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2020年5月15日 - |
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ニュース |
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3490人 |
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399,322回 |
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ラサール 石井(、1955年〈昭和30年〉10月19日[1][2] - )は、日本のお笑いタレント[2]、俳優[2]、声優[2]、司会者、脚本家、演出家、物書き、コラムニスト。石井光三オフィス所属[2]。本名:石井 朗夫、旧芸名:石井 章雄(いしい あきお)。
略歴
大阪府[2]大阪市住吉区帝塚山出身。お笑い番組好きな家庭だった影響もあって子供の頃から三木のり平や大村崑の番組を好んで視聴し、コメディアンに強い憧れを抱く。しかし、中学時代に自分よりも面白い生徒に敵わないと感じたため、青島幸男の存在から放送作家志望に転向する[3]。
1960年代から1970年代にかけ、関西の有名学習塾「入江塾」で受験勉強をし[注釈 1]、鹿児島市の私立ラ・サール高等学校に入学。しかし東京大学受験には落ち、上京して浪人したら遊びの誘惑に勝てないと判断して卒業後は早稲田大学第一文学部に進学。同大学ミュージカル研究会にも所属しており、大学1年の時に放送作家をしている先輩の目に留まったことがきっかけで自身も放送作家としてテレビ朝日の歌謡バラエティ番組『チビラサンデー』のコント制作などに携わっていたことがあった[3]。
早大在学中に劇団テアトル・エコー養成所に入所。声優養成試験はリップノイズがあることとマイクに息が吹きかかる癖があるという理由から、不採用だった[3]。その後、養成所で一期下の渡辺正行、小宮孝泰と共にコント赤信号を結成。のち先輩コメディアンのコント太平洋から誘われて本格的に芸能活動を始める。多忙で単位不足となり、成業の見込みがないため早大から除籍処分となる[注釈 2]。
1990年代にはテレビ番組『目撃!ドキュン』(テレビ朝日系)や深夜番組『おとなのえほん』(サンテレビ)などで司会を担当。お笑い界きってのクイズ王として『オールスター感謝祭』(TBS)などのクイズ番組で優勝経験を持ち、インテリ芸能人としても活動していた。また、『たけし・逸見の平成教育委員会』では、同郷出身の辰巳琢郎と共に優等生として活躍した。辰巳とは、後にキリンビール「秋味」のCMや『決戦!クイズの帝王』でも共演している。
1996年(平成8年)から放送されたテレビアニメ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』では主人公・両津勘吉の声を担当。放送開始当初は「話題作りのための芸人起用」と批判されていたが、次第に原作ファンや視聴者から「ハマリ役」と絶賛され、幅広い世代に支持される。原作者の秋本治も漫画内で「わしにそっくり」という両津自身の台詞という形で絶賛し[4]、ドラマ化の際に両津役にラサールを推薦するほど高く評価していた。主役だと自分専用のマイクが用意されるため、かつてテアトル・エコー時代に指摘されたマイクに息が吹きかかる癖はマイクの前に斜めに立つことで解消したという[3]。同作品の舞台版では、同じく両津役として出演した他、脚本・演出も担当。2009年放送の実写ドラマ版では当初は両津勘吉役でオファーが来たが本人が辞退し、両津勘吉の父親・銀次役での出演となった(なお、同作で両津役は香取慎吾が演じた[5])。
2004年4月から2005年3月25日まで、『ウォッチ!』(TBS)に新聞コーナーの編集長として出演(月曜日 - 金曜日)し、2005年3月28日からはTBSの夕方の顔として『イブニング・ファイブ』(月曜日 - 金曜日16:54 - 18:55)に出演していたが、2006年3月に「舞台演出家としての仕事が好調で両立が困難なため」という理由で番組を降板した。2007年度からは、『イブニング・ファイブ』と同じ時間帯(14:00 - 17:50)に、毎日放送(TBS系列)で関西ローカルとして放送されている『ちちんぷいぷい』に月1回のレギュラーとして出演している。
舞台・演劇活動にも力を入れ、俳優としての出演に留まらず、脚本・演出も数多く手がけている。主な作品は、舞台版『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、日本音楽事業者協会創立40周年記念ミュージカル『スター誕生』など。声優としての活動は前述の『こち亀』での両津勘吉以外には、ほとんど行っていない。
年に1度行われるイベント『M-1グランプリ』には、2001年の初回から計6回審査員を務めている(2006年・2008年・2009年を除く。石井の代わりに出演したのは2006年は南原清隆、2008年・2009年は渡辺正行[6])[注釈 3]。また、『R-1ぐらんぷり』でも2009年以降審査員を務めている。
2011年(平成23年)1月、15年前から別居していた妻と正式に離婚が成立。
2012年(平成24年)1月、24歳の一般人女性と2度目の結婚したことを31日に所属事務所が明らかにした。出会いから結婚に至るまでの交際期間が4か月というスピード婚だった。
2020年(令和2年)4月から日刊ゲンダイで週1回、コラム「ラサール石井 東憤西笑」を担当。
人物
- 芸名の「ラサール」は、母校の「ラ・サール高等学校」に由来する。
- 渡辺正行と同様、兄と姉がいる末っ子。
- 幼少時は大村崑に憧れ、眼鏡をかけたいために自ら視力を悪くする努力をしていた。コンタクトレンズの使用を経て2005年にはレーシック(視力回復手術)を受けたが、奇遇にも同年同月日、同じクリニックで大村の長男もレーシックを受けていた。
- 母と並んで微笑んでいる小学生時代の写真が、「笑える」として一時期ネタにされていた。また、その写真がカレンダーになったこともある。本人のTwitter(後のX)アカウントのアイコンにも使われていた。
- テアトル・エコーに入った理由の1つは井上ひさしがいたことであったが、入所時にはすでに井上は同事務所を去っていた。2014年6月にはこまつ座の舞台『「てんぷくトリオのコント」〜井上ひさしの笑いの原点〜』で脚本・監修を務めた[7]。
- 学生時代に上京して芸歴を積んできたこともあり、全国ネットの放送(関西以外のローカル放送も含む)では標準語で話すことが多い。ただし、関西芸人(明石家さんまなど)と共演するときや関西ローカルの番組に出演するときなどには、関西弁を使う場面が見られる。
- 前妻との間に年子の娘が2人いる。
- 名古屋のローカル番組『ヴィヴィアン』の本番終了後、麻木久仁子らスタッフたちと一緒にホテルの部屋で夜通しクイズの合宿をしていたことから、麻木には「クイズの師匠」と呼ばれている[8]。
- 石井光三のモノマネを『オレたちひょうきん族』のコント内で一時期多用していた。
- 『ひょうきん族』で共演した明石家さんまとは仲が良く、彼の個人事務所「オフィス事務所」にも籍を置いている。また、年末年始に明石家さんまがオーストラリアの別荘に向かう際にも毎年同行している。
- 『ひょうきん族』時代のギャラは3人で2万3,000円であり、途中から倍になった(事務所の取り分もあるので、1人分はその4分の1であった)[9]。
- 実家は帝塚山でうどん屋「帝塚山めん処 いし井」を経営[10][11]。この店は石井の兄がおじからの暖簾分けで始めたもので[10]、2020年代には石井の姪夫婦が切り盛りしている[11]。
- 両津勘吉に決まった経緯について、制作サイドからのオファーでオーディションを受けたといい、その内容は原作の第1巻を渡され、両津のセリフのみを朗読するというものだったという。初期にはまだアフレコに不慣れだったことから満足なテイクが取れず、自身の演技に納得が行かなかったことを『超こち亀』所載のインタビューで明かしている。
- 『こち亀』で共演した森尾由美によると、両津の声はかなり喉を酷使して出しているといい、共演者やスタッフもラサールに配慮してなるべくNGを出さず、早期に収録を終える様に努めていたとのこと[12]。
- ゴジラシリーズなどの怪獣映画が大好きで、テレビなどでよく知識を披露している。関連番組『冒険!ゴジランド』では司会を務めたほか[13]、『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)にも出演。同作品では、劇中で最初にゴジラの名を呼ぶ役どころであったため、感激して撮影の前夜は眠れなかったという。
- 受験関係の著作も多いが、その内容は入江塾時代のものが多い。
- ブログに「電通調べ認知度98%」と書いたことがある[15]。
不祥事
2024年能登半島地震における誤情報騒動
岸田文雄首相が2024年1月11日夜に能登半島地震の被災者に向け「自らと命と健康を守るため、ぜひホテルや旅館などへのより安全な環境へ、積極的な二次避難をお願いします」とXで呼びかけたことに対し「被災者にそんな金あるか。だったらあんたが金を出して、旅館やホテルを借り上げ避難民を移動させろ。五輪誘致のアルバム作りみたいに、馳浩石川知事に官房機密費から金出してやらせろ」と投稿した。岸田首相は石井の投稿を受け「二次避難について誤解を招きかねない、事実に基づかない投稿が散見されていますが、二次避難先は行政で手配しており、避難者の方にご負担いただくことはありません。その他の誤情報も散見されます」と投稿。その上で「影響の大きいアカウントだから正しいとは限りません。公共機関等からの情報の確認をお願いします」と呼び掛けた。 石井はこの日、「正月以来政府の地震災害への対応に怒りを感じる連続だったので、二次避難の呟きにも即反応してしまい、ホテルや旅館が有料であるかのような誤情報を流す結果になりました」とし、「被災地の皆様にはただならぬご迷惑をお掛けしたことを深くお詫びします。1日も早く平穏な日々が戻りますことを願っております」と謝罪した[16][17]。また、本件を巡っては被災地の地域紙である北國新聞が震災特集にて名指しで批判している[18]。
その他
2011年5月、フィギュアスケートの浅田真央に対し、ツイッターで「表現力をつけるために彼氏を作ってエッチするべきだ」という趣旨の発言をし、批判を浴びた。当該のツイートは削除し、謝罪した[19]。
出演
バラエティ・情報番組
テレビドラマ
テレビアニメ
Webドラマ
CM
ゲーム
映画
劇場版アニメ
Vシネマ
- 難波金融伝ミナミの帝王12「消えない傷跡」(1999年) - ディスカウントショップ「マルツウ」の婿養子・磯辺
- 通貨と金髪(2000年) - ホームの男
- 報復(かえし)(2017年11月、オールインエンタテインメント)[26]
- 報復(かえし)2(2017年12月、オールインエンタテインメント)[27]
舞台
舞台演出
- 燃えよ剣(2004年) - 演出
- プレイバックPart2 屋上の天使(2005年) - 演出
- 志村魂(2006年) - 脚本・演出
- 志村魂2(2007年) - 同上
- 志村魂3(2008年) - 同上
- その男(2009年) - 演出[33]
- ペテン・ザ・ペテン(2011年) - 演出・主演
- 志村魂6(2011年) - 脚本・演出
- オーデュボンの祈り(2011年) - 演出
- HEADS UP!(2015年) - 原案・作詞・演出[34]
ラジオ
音楽作品
歌唱
楽曲 |
歌 |
収録作品 |
発売日 |
規格品番
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おいでよ亀有 |
両津勘吉(ラサール石井)とこち亀うぃ〜ん合唱団 |
「おいでよ亀有」 |
1999年12月18日 |
CODC-1786
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ほんのささいな恋だから 〜マリアのマンボ〜 |
両津(ラサール石井)&麻里愛(麻生かほ里) |
「毎日、ノープロブレム」 |
2000年3月18日 |
CODC-1834
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ロボ刑事番長の歌 |
両津勘吉(ラサール石井) |
『こち亀百歌選 〜主題歌ベストコレクション〜』 |
2003年3月19日 |
PCCA-01869
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ジュゲム〜こち亀バージョン |
両津勘吉(ラサール石井) and 大江戸台風族 |
「ジュゲム〜こち亀バージョン」 |
2004年7月7日 |
TKCA-90028
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作詞
- 亀有は昨日も晴れだった(斉藤レイとこち亀うぃ〜ん合唱団)
脚注
注釈
- ^ 遅刻防止のため住み込みで通っていた。
- ^ 本人が正式な手続きを踏んでおらず、退学ではないため成績証明書などの発行はできない。
- ^ 石井の著書『笑いの現場 ひょうきん族前夜からM-1まで』によると、2006年については視聴率強化というテレビ局側の意向で審査員から外されたとのこと[要ページ番号]。石井はこの審査員の仕事が誰よりも適任だという自負から、この年はM-1グランプリの生放送を見ながら逐一評点をつけ、その評点をリアルタイムで自らのブログに公表するという試みを行なった。
- ^ アニメ第102話の「呪いの梅干し壺」で登場した慶長5年の両津家の祖先。
- ^ アニメスペシャル「湯けむりポロリ 2001京都の旅」で登場した弟の金次郎の子孫。
- ^ 劇場公開と同日からNetflixで配信開始[24]。
出典
参考文献
- 『ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』監修 田中友幸、責任編集 川北紘一、Gakken〈Gakken MOOK〉、1993年12月10日。
外部リンク
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出演テレビ番組 | |
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出演ラジオ番組 | |
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主演アニメ | |
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コント赤信号 | |
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楽曲 | |
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関連項目 | |
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平成教育委員会シリーズ |
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レギュラー番組 | |
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スペシャル番組 | |
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司会(学級委員長及び助手) | |
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アシスタント(教育実習生) | |
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代理司会(特別講師など) | |
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関連項目 | |
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ナレーター | |
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関連人物 | |
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ヘキサゴンファミリー | |
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関係者 | |
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番組発のユニット | |
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CD/DVD | |
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番組 | |
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ファミリーコンサート | |
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関連項目 | |
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解答者…最終回までの1年以内に3回以上番組に出演していた人が対象 |
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1990年代 (チーム戦) |
1991秋 ニュース・教養チーム / 1992春 TBSアナウンサーチーム
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1990年代 (個人戦) | |
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2000年代 (個人戦) | |
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2010年代 (個人戦) | |
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2010年代 (チーム戦) | |
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2020年代 (個人戦) | |
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関連項目 | |
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※1997年のみ、年末に特別編を開催。 ※1991秋・1992春・2015秋はチーム対抗戦。2013秋もチーム対抗戦だったが、個人別成績も競っていたためチーム優勝・個人MVPの両方を掲載。 ※2020春は番組中止。 |
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主なコーナー | |
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後輩番組 | |
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