ライン・サンドバーグ

ライン・サンドバーグ
Ryne Sandberg
現役時代のサンドバーグ(1990年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ワシントン州スポケーン
生年月日 (1959-09-18) 1959年9月18日(65歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
175 lb =約79.4 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手
プロ入り 1978年 ドラフト1巡目(全体20位)でフィラデルフィア・フィリーズから指名
初出場 1981年9月2日
最終出場 1997年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • フィラデルフィア・フィリーズ (2013 - 2015)
殿堂表彰者
選出年 2005年
得票率 76.16%
選出方法 BBWAA[:en]選出

ライン・ディー・サンドバーグRyne Dee Sandberg, 1959年9月18日 - )は、アメリカ合衆国ワシントン州スポケーン出身の元プロ野球選手及び監督。ポジションは二塁手。他に遊撃手三塁手としてのプレー経験がある。右投右打。

ニックネームは"Ryno(ライノ)"

経歴

高校時代は野球のほかにバスケットボールアメリカンフットボールで州代表に選出された[1]ワシントン州立大学のフットボール部からは奨学金が提示されたが、野球好きの両親の影響などで、1978年フィラデルフィア・フィリーズからドラフト1位(全体20位)に指名され入団[1][2]1981年9月2日にメジャーデビュー。ラリー・ボーワの後釜として注目されたが[1]、13試合の出場で打率.167に終わった。1982年1月27日イバン・デヘスースとのトレードでボーワとともにシカゴ・カブスへ移籍[2]

遊撃手から三塁手へ転向し、1982年は開幕からメジャーで出場。最初の32打数で1安打にもかかわらず安定した守備のため、起用され続けた[1]。156試合に出場し、打率.271、7本塁打、103得点、32盗塁を記録し、新人王の投票では6位に入った。ロン・セイの加入に伴い、二塁手へ転向[3]1983年ゴールドグラブ賞を初受賞。以後、1991年まで9年連続で受賞。

身体能力が優れていたにもかかわらず、意図的にゴロを打つことに終始していたサンドバーグに対し、ジム・フライ監督は「カウントが有利な時は、三塁線にファウルを打つつもりでバットを振ってみたらどうだ?」とアドバイスを送った[1]。このアドバイスが的中し、1984年にはオールスター初出場を果たし、1993年にかけて10年連続で出場。チームをナ・リーグ東地区優勝に導き、200安打に加え、二塁打・三塁打・本塁打・盗塁がいずれも20以上というメジャー史上初の「THE 200-20-20-20-20 CLUB」に、三塁打と本塁打が1本ずつ足りず逃したが、ナ・リーグMVPに選ばれた[3]。この記録は2007年、ジミー・ロリンズが達成した。

1986年の日米野球で来日し、ア・リーグのスーパースター、カル・リプケン・ジュニア遊撃手ボルチモア・オリオールズ)とメジャーでは実現しなかった二遊間を組んだ。

その後も活躍を続け、1989年には本塁打数が30の大台に達し、1990年5月18日にかけてジョー・モーガンの二塁手としての91試合連続無失策のMLB記録を上回る123試合連続無失策を記録(2006年から2007年にかけてルイス・カスティーヨに抜かれた)[4]。同年、二塁手としてはロジャース・ホーンスビー1922年)、デーブ・ジョンソン1973年)以来史上3人目の40本塁打を記録[4]

1992年3月2日にMLB史上最高額となる4年総額2840万ドルで契約延長[4]。契約を満了していないにもかかわらず、1994年6月13日に離婚問題のため現役引退[1][4]。1年半のブランクを得て1996年現役復帰し、1997年2度目の現役引退。二塁手としての通算277本塁打はMLB記録であったが、2004年ジェフ・ケントに抜かれた。

サンドバーグのカブス在籍時の背番号「23」。
シカゴ・カブスの永久欠番2005年指定。
A+級ピオリア・チーフス監督時代(2007年)

引退後、2005年アメリカ野球殿堂入りを果たす。殿堂入りを記念し、古巣カブスはサンドバーグ在籍時の背番号23』を永久欠番に指定した[4]2007年にカブス傘下A級ピオリア・チーフスの監督に就任。2009年にAA級テネシー・スモーキーズ2010年にAAA級アイオワ・カブスの監督を歴任する。

2011年からフィリーズ傘下AAA級リーハイバレー・アイアンピッグスの監督を務め、2013年シーズンよりフィリーズの三塁コーチを務める。同年8月16日、チャーリー・マニエル監督が解任されたため、シーズン終了まで監督代行を務める[5]。11月22日、翌2014年シーズンから監督に昇格することが発表された。契約は2016年までの3年契約で、2017年の契約はオプションとなる[6]

2015年6月26日に成績不振を理由に辞任を発表した[7]

2016年より古巣カブスのアンバサダーに就任している。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1981 PHI 13 6 6 2 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .167 .167 .167 .334
1982 CHC 156 687 635 103 172 33 5 7 236 54 32 12 7 5 36 3 4 90 7 .271 .312 .372 .684
1983 158 699 633 94 165 25 4 8 222 48 37 11 7 5 51 3 3 79 8 .261 .316 .351 .667
1984 156 700 636 114 200 36 19 19 331 84 32 7 5 4 52 3 3 101 7 .314 .367 .520 .887
1985 153 673 609 113 186 31 6 26 307 83 54 11 2 4 57 5 1 97 10 .305 .364 .504 .868
1986 154 682 627 68 178 28 5 14 258 76 34 11 3 6 46 6 0 79 11 .284 .330 .411 .741
1987 132 587 523 81 154 25 2 16 231 59 21 2 1 2 59 4 2 79 11 .294 .367 .442 .809
1988 155 679 618 77 163 23 8 19 259 69 25 10 1 5 54 3 1 91 14 .264 .322 .419 .741
1989 157 672 606 104 176 25 5 30 301 76 15 5 1 2 59 8 4 85 9 .290 .356 .497 .853
1990 155 675 615 116 188 30 3 40 344 100 25 7 0 9 50 8 1 84 8 .306 .354 .559 .913
1991 158 684 585 104 170 32 2 26 284 100 22 8 1 9 87 4 2 89 9 .291 .379 .485 .864
1992 158 687 612 100 186 32 8 26 312 87 17 6 0 6 68 4 1 73 13 .304 .371 .510 .881
1993 117 503 456 67 141 20 0 9 188 45 9 2 2 6 37 1 2 62 12 .309 .359 .412 .771
1994 57 247 223 36 53 9 5 5 87 24 2 3 0 0 23 0 1 40 6 .238 .312 .390 .702
1996 150 621 554 85 135 28 4 25 246 92 12 8 1 5 54 4 7 116 9 .244 .316 .444 .760
1997 135 480 447 54 118 26 0 12 180 64 7 4 0 3 28 3 2 94 5 .264 .308 .403 .711
MLB:16年 2164 9282 8385 1318 2386 403 76 282 3787 1061 344 107 31 71 761 59 34 1260 139 .285 .344 .452 .796
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



二塁(2B) 三塁(3B) 遊撃(SS)




































1981 PHI 1 1 2 0 1 1.000 - 5 6 5 0 0 1.000
1982 CHC 24 57 95 1 9 .993 133 79 278 11 19 .970 -
1983 157 330 571 13 126 .986 - 1 0 1 0 0 1,000
1984 156 314 550 6 102 .993 - -
1985 153 353 500 12 99 .986 - 1 0 1 0 0 1,000
1986 153 309 492 5 86 .994 - -
1987 131 294 375 10 84 .985 - -
1988 153 291 522 11 79 .987 - -
1989 155 294 466 6 80 .992 - -
1990 154 278 469 8 81 .989 - -
1991 157 267 515 4 66 .995 - -
1992 157 283 539 8 94 .990 - -
1993 115 209 347 7 76 .988 - -
1994 57 96 202 4 35 .987 - -
1996 146 228 421 6 82 .991 - -
1997 126 203 297 8 58 .984 - -
MLB 1995 3807 6363 109 1158 .989 133 79 278 11 19 .970 7 6 7 0 0 1,000

年度別監督戦績

年度 チーム 地区 年齢 試合 勝利 敗戦 勝率 順位/チーム数 備考
2013 PHI NL 東 53 42 20 22 .476 4 / 5 シーズン途中より代理監督、順位は最終順位
2014 54 162 73 89 .451 5 / 5
2015 55 74 26 48 .351 5 / 5 シーズン途中退任、順位は最終順位
通算 3年 278 119 159 .428

タイトル

表彰

記録

背番号

  • 37(1981年)
  • 23(1982年 - 1994年、1996年 - 1997年、2013年 - 2015年)

脚注

出典

  1. ^ a b c d e f ナガオ勝司 「祝☆記者投票殿堂入り!/ライン・サンドバーグ&ウェイド・ボッグス」『月刊メジャー・リーグ』2005年3月号、ベースボールマガジン社、2005年、雑誌 08625-3、89 - 90頁。
  2. ^ a b Ryne Sandberg Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2009年3月3日閲覧。
  3. ^ a b The Ballplayers - Ryne Sandberg” (英語). BaseballLibrary.com. 2009年3月3日閲覧。
  4. ^ a b c d e Ryne Sandberg from the Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2012年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年3月3日閲覧。
  5. ^ http://www.yomiuri.co.jp/sports/mlb/news/20130817-OYT1T00299.htm?from=ylist
  6. ^ Stark, Jayson (2013-09-22), Philadelphia Phillies tap Ryne Sandberg as permanent manager, ESPN.com, http://espn.go.com/mlb/story/_/id/9708012/philadelphia-phillies-tap-ryne-sandberg-permanent-manager 2013年9月22日閲覧。 
  7. ^ フィリーズ、サンドバーグ監督が辞任「簡単な決断ではなかった」”. スポーツニッポン (2015年6月27日). 2015年7月20日閲覧。

外部リンク

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