『週刊少年マガジン 』(しゅうかんしょうねんマガジン、英 : WEEKLY SHONEN MAGAZINE )は、講談社 が発行する日本 の週刊 少年 漫画雑誌 。1959年 3月17日 創刊。毎週水曜日 発売。略称は 「マガジン」「週マガ」。
特徴
原作と漫画の分業制
それまで月刊誌であった少年誌の週刊誌 化に伴い、初代編集長の牧野武朗 は週刊誌における漫画家の負担を考え、原作と漫画の分業制を打ち出し、当初のマガジンは原作付き漫画が多かった。後に本誌をホームグラウンドとして活躍する原作者の梶原一騎 も当時「東京中日スポーツ 」で『力道山物語[ 2] 』を連載し好評を得ていたことからマガジンでの漫画の原作を依頼したことがきっかけである[ 3] 。
劇画路線
1960年代中盤に人気であった『8マン 』の連載終了と手塚治虫 の『W3 』の連載中断から「サンデー 」へ移籍した事件(W3事件 )に伴い、マガジンとしては手塚漫画に対するアンチテーゼとして関西で勃興していた劇画 に目をつけ、劇画路線の方針を打ち出す。そこに人間ドラマを取り入れた作品を発表し、『巨人の星 』『無用ノ介 』『あしたのジョー 』『ワル 』『空手バカ一代 』『愛と誠 』『釣りキチ三平 』といった大ヒット作品を世に送り出す[ 3] 。
連載漫画家の特徴
創刊当初はライバル誌であった「少年サンデー 」に手塚治虫 や藤子不二雄 、石森章太郎 、赤塚不二夫 といった通称『トキワ荘 』組の有名漫画家たちの連載を先に取られたことから「マガジン」は原作付き漫画を余儀なくされた。そうしたなかでちばてつや が台頭し、川崎のぼる 、さいとう・たかを 、水木しげる 、横山光輝 、楳図かずお 、ジョージ秋山 、永井豪 、松本零士 、水島新司 といった漫画家たち(先のトキワ荘組も含む)も参入し、1960~70年代の「マガジン」を盛り立てることとなる。
1970年後期には後発である「ジャンプ 」「チャンピオン 」が若手漫画家を中心に部数を伸ばしていたために「マガジン」でも先の大家からの方針転換として柳沢きみお 、小林まこと 、三浦みつる 、もとはしまさひで 、村生ミオ 、楠みちはる といった新進気鋭の若手漫画家たちを起用し、新たな読者を獲得することとなる。
一方で大島やすいち 、竜崎遼児 、小林よしのり など「マガジン」出身ではない漫画家を多く起用していた。1990年 頃になるとその傾向は一旦低下するが、1999年 頃から再び同社他誌の主力漫画家や他社デビューの漫画家を積極的に起用するようになっている。前者についてはCLAMP (『なかよし 』)や福本伸行 (『週刊ヤングマガジン 』)が該当し、後者については大暮維人 (『ウルトラジャンプ 』)や木多康昭 (『週刊少年ジャンプ』)、久米田康治 (『週刊少年サンデー』)、ヒロユキ [ 注 1] (『月刊少年ガンガン 』)、鈴木央 (『週刊少年ジャンプ』、『週刊少年サンデー』、『週刊少年チャンピオン 』)、大久保篤 (『月刊少年ガンガン』)、雷句誠 (『週刊少年サンデー』)、大高忍 (『ヤングガンガン 』、『週刊少年サンデー』)などがいる。その他能條純一 や板垣恵介 など他社の主力漫画家が一時的に『週刊少年マガジン』で連載を行なうことがある。
女性漫画家の起用は早い時期から多く行なっているが、ペンネームが男性風になることが多い。例として塀内真人(現・塀内夏子 )、島崎譲 、大島司 、さとうふみや 、恵広史 、山本航暉 などがおり、他誌では女性風だったペンネームをわざわざ男性風にした久保ミツロウ のケースもある。最近では咲香里 や吉河美希 、西山優里子 など男性風に変えない女性漫画家もいる。ちなみに初の連載女性漫画家は高橋美由紀 である(1982年46号)。
ショートギャグにも比重を置いていることから専門の漫画家も多く起用しており、過去には斉藤富士夫 や三ツ森あきら 、現在は西本英雄 や氏家ト全 がそれに該当する。また島田英次郎 のように普段は他誌で連載をしているが、本誌の連載漫画が休載したときの穴埋めとしてショートギャグ漫画の読み切りを描くことがある。
作家には3人ほどの担当者が付き、それぞれ意見を出すというシステムであり、赤松健 は責任の所在が明らかでないなど公務員的だが、満遍なく意見が聞けるとしている[ 4] 。また、週刊少年ジャンプ と同じく専属契約制度がある[ 4] 。
グラビア企画
多数の女性芸能人を輩出しているオーディション企画ミスマガジン を始め、グラビアアイドル や人気女優 などのカラーグラビアも積極的に行なっている。また、「マガジン一押し!若手アイドル○連発」などと銘打ってまだ知名度の低いグラビアアイドルをまとめて掲載する企画が不定期で行なわれており、中には乙葉 や小倉優子 など、その後知名度が高くなった女性タレントも出演していた。しかし、2000年代後半以後はすでにテレビで活躍している女性タレント(スザンヌ 、南明奈 など)が出演することが多い。稀に男性芸能人が出演することもあり、2000年8号では男性バンドのL'Arc〜en〜Ciel が、2015年42号では男女4人組バンドのSEKAI NO OWARI が出演した。ちなみに本誌の表紙を飾った最初の女性芸能人は1970年43号の藤圭子 [ 5] 、表紙を飾った最初の水着アイドルは1972年33号の山口いづみ [ 5] である。
アンケートの扱い
読者アンケートは、編集方針の参考という扱いである。『週刊少年ジャンプ 』とは異なり、アンケート至上主義ではないが、アンケートで人気が芳しくなかった作品は打ち切り となることが多い。
掲載順は「アンケート上位順」ではなく、様々な要因によって決定される。例えば、「単行本の売り上げや作品同士の相性を考慮する、特に読者にアピールしたい作品を上位にする」「巻末にギャグ漫画 [ 注 2] を配置する」などである[ 6] 。そのため、常時下位掲載でも打ち切られないケース[ 注 3] も見られる(いわゆるしんがり 漫画)。
作品の転出および転入
人気が低迷したり作者・編集部側の事情などにより本誌で打ち切りになったとしても完全に打ち切るのではなく、兄弟誌である『マガジンSPECIAL 』や『月刊アフタヌーン 』へ舞台を移して連載をするケースがある。例として「Dreams 」や「ガチャガチャ 」などが前者へ、「ヴィンランド・サガ 」が後者へ移籍している。逆に『マガジンSPECIAL』や『別冊少年マガジン 』から本誌へ舞台を移すケースがあり、「将太の寿司 」や「生徒会役員共 」などが前者から、「神さまの言うとおり 」や「リアルアカウント 」などが後者から移籍している。移籍しても同一タイトルとして話数を継続させるケースもあれば、移籍を機に改題して(「神さまの言うとおり」→「神さまの言うとおり弐 」など)別シリーズとして始めるケースもある。また、「彼女とキスする50の方法 」のように本誌で短期連載を行なったのち『マガジンSPECIAL』で本連載を開始するケースや、「Dr.デュオ 」のように『マガジンSPECIAL』でサイドストーリーを行ってから本誌で本連載を開始するケースがある。
特異な例として、料理 冒険漫画である「中華一番! 」は本誌から『マガジンSPECIAL』に移籍したのち、『真・中華一番!』と改題して本誌に復帰。逆に「スミレ17歳!!」は『マガジンSPECIAL』で連載が始まり、「スミレ16歳!! 」と改題して本誌に移籍したのち、再び『マガジンSPECIAL』へ戻っている。また「KAGETORA 」のように『マガジンSPECIAL』での本連載を一度休み、本誌で同名別ストーリーの短期集中連載を行なうこともある。その他、『マガジンSPECIAL』や『別冊少年マガジン』の連載作品がPRも兼ねて本誌で読みきりを掲載することもある。
コラボレーション・メディアミックスなど
当誌におけるメディアミックス の代表作として『魔法先生ネギま! 』が挙げられ、アニメ・ドラマ化以外にもTVゲームやカードなど幅広いジャンルで活動している。エイベックス とのメディアミックスで『アソボット戦記五九 』が連載。西尾維新 プロジェクトとのメディアミックスで大暮維人 による「化物語 」のコミカライズ版が連載。小説家になろう からは不二涼介 による「シャングリラ・フロンティア〜クソゲーハンター、神ゲーに挑まんとす〜 」のコミカライズ版が連載。また、創刊50周年記念として『週刊少年サンデー』との数々のコラボレーション企画が行われたり、テレビ朝日 のドキュメント番組『GET SPORTS 』とのタイアップ による短編作品や女性アイドルグループ 『AKB48 』公認漫画作品『AKB49〜恋愛禁止条例〜 』の連載が行われている。さらに、パズル&ドラゴンズ とのコラボイベントが行われていたり、『週刊少年ジャンプ 』とのコラボレーションとして、専用アプリ『ジャンマガ学園 』を配信している。創刊60周年記念として真島ヒロ の作品「RAVE 」、「FAIRY TAIL 」、「EDENS ZERO 」とのクロスオーバー漫画「HERO'S 」が作者本人によって連載される。
約物の使用
作中の台詞表現において、句読点 を原則として用いず、沈黙を表すリーダー も三点リーダー(…)ではなく二点リーダー(‥)を用いるという特色がある。この特徴は、マガジンSPECIAL や月刊少年マガジン 、週刊ヤングマガジン 等の系列・派生誌でも見られる(一方、同じ講談社発行のモーニング とその系列誌では、一貫して三点リーダーが用いられている)。
また、『スクールランブル 』と『新約「巨人の星」花形 』の三点リーダーや『さよなら絶望先生 』の木津千里の台詞にある句読点など、例外も存在する。
歴史
1959年 - 1960年
1950年代に入りテレビ時代の到来によって人々の生活が月単位から週単位に変わり、雑誌の世界でも週刊誌が続々刊行された。それは少年誌の世界にも押し寄せ、小学館 も月刊誌から週刊誌への移行に向けて着々と準備を進めていた。同じく『ぼくら 』『少年倶楽部 』などの月刊少年誌を持つ講談社 も少年誌の週刊化に着手する。互いに創刊時期を予定日よりも早く繰り上げた結果、1959年3月17日に小学館の『週刊少年サンデー』とともに講談社で『週刊少年マガジン 』が創刊した。
「サンデー」の創刊号表紙が大物ルーキーとして新人王 に輝いた読売巨人軍 の長嶋茂雄 であったことに対し、「マガジン」は当時大人気だった大相撲の大関 ・朝潮 (後に第46代横綱)を起用。当初は火曜日発売で定価は40円だったが、同年5号で30円に値下げ。キャッチコピーは同年14号から翌1960年26号まで「ゆめと希望の少年マガジン」だった。当初の主力作品は連続小説が大半を占めていた。漫画は5本のみで、全体のページ数の6割以上は小説とニュース、スポーツ、科学などの読み物で占められ、教育的雰囲気が漂っていた[ 7] 。
創刊当初はライバル誌である『週刊少年サンデー 』がすでに手塚治虫 を筆頭に寺田ヒロオ 、藤子不二雄 、石森章太郎 、赤塚不二夫 など「トキワ荘 」組の有名漫画家たちの連載を勝ち取り、「マガジン」は後れをとった。また、初代編集長の牧野武朗 は週刊誌における漫画家の負担を考え、原作と漫画の分業制を打ち出し、当初のマガジンは原作付き漫画が多かった[ 3] 。
1961年 - 1965年
1961年に野球漫画『ちかいの魔球 』の連載開始。後にマガジンの若きエースとして活躍するちばてつや の本誌初連載(原作・福本和也 )となる。1962年には、プロレス漫画『チャンピオン太 』の連載開始。後にマガジンにおいて数々のヒット作を生み出しスポ根 ブームを巻き起こす原作者・梶原一騎 の本誌における初めての連載(画・吉田竜夫 )となる。
1963年には『黒い秘密兵器 』(原作:福本和也、漫画:一峰大二 )、『8マン 』(原作:平井和正 、漫画:桑田次郎 )、『紫電改のタカ 』(ちばてつや)、1964年に『丸出だめ夫 』(森田拳次 )のヒットにより後れをとっていたマガジンも軌道に乗り出す。
1965年、当時テレビアニメとなり人気の頂点にあった『8マン 』だが、作者の桑田次郎が拳銃不法所持で逮捕されたことで連載の打ち切りが決定。本誌初連載となる手塚治虫 のSF漫画『W3 』がわずか連載6回で突如中断し、「サンデー 」に移籍するといった事件(W3事件 )が相次ぎ、マガジンにとっても試練を迎えることとなる[ 3] 。
1966年 - 1967年
この窮地に三代目編集長として抜擢された内田勝 は手塚漫画のアンチテーゼとして関西で勃興していた劇画 に着目する。劇画のリアルな表現手法と人間讃歌を描いた大河ドラマを企画していたことから小説家志望であった梶原一騎 を原作者に起用。当時、物書きとして先行きに不安を感じ思い悩んでいた梶原だが「梶原さん、マガジンの佐藤紅緑 [ 注 4] になってほしいんです 」と言った内田の一言から引き受ける決意をする。
1966年から始まった『巨人の星 』(原作:梶原一騎、漫画:川崎のぼる )は瞬く間に人気となって大ヒットし、テレビアニメとなり視聴率は常時30%台を記録。アニメとの相乗効果により社会現象となってそれまで大人たちから悪書としてみなされていた漫画の中で初めて市民権を得た作品となった。
『巨人の星』の空前のブームによりマガジンの快進撃が始まり、それ以前の『ハリスの旋風 』(ちばてつや)、『悪魔くん 』(水木しげる)を含めて『サイボーグ009 』(石森章太郎)、『天才バカボン 』(赤塚不二夫)、『無用ノ介 』(さいとう・たかを)、『ゲゲゲの鬼太郎 』(水木しげる)などのヒット作を生み出し、1967年1月にはついに100万部を突破した。また大伴昌司 の構成によるグラビア記事も人気に大きく貢献した。円谷プロ の怪獣物テレビ番組「ウルトラQ 」の怪獣を表紙に採用し、メディア・ミックスの先駆ともなった[ 3] 。
1968年 - 1971年
日本万国博覧会 (大阪万博)を記念して制作されたタイムカプセル 。当時の少年雑誌の最高部数雑誌として1970年14号が納められた[ 5] 。
1968年に『あしたのジョー 』(原作:高森朝雄 、漫画:ちばてつや)の連載開始。『巨人の星』同様、人気が爆発し、テレビアニメになった。連載中に主人公の矢吹丈 のライバルである力石徹 が死亡した時は全国から1万通もの弔電が寄せられ、あまりの反響の大きさから東京・音羽の講談社講堂で現実の葬儀が行われ、全国から700名を超える弔問客が集まった。この時期、週刊少年マガジンは学生運動 家からの支持を得ており[ 8] 、当時発生した日航機「よど号」ハイジャック で犯人のリーダーである田宮高麿 は「そして最後に確認しよう。われわれはあしたのジョー である 」と言い残して北朝鮮へと旅立ち、ジョーの人気(社会現象)を象徴する事件であった。それまで子どもの読み物であった漫画が『あしたのジョー』などによって大学生も読むようになり、大学生の間で「右手に(朝日)ジャーナル 左手にマガジン」と言われたこともあった。
『巨人の星 』『あしたのジョー 』の2大スポ根マンガでライバルであった「週刊少年サンデー 」を引き離し一気に少年雑誌としての地位を不動のものとしたマガジンであったが、当時の青年の感性に合わせ、1969年に開始した『キッカイくん 』(永井豪)ではエログロナンセンスが用いられ、1970年には『ワル 』(原作:真樹日佐夫 、漫画:影丸譲也 )、『光る風 』(山上たつひこ)、『メッタメタガキ道講座 』(谷岡ヤスジ )、『アシュラ 』(ジョージ秋山)など多くの問題作が登場。それによって部数が急落し、ピーク時に150万部を超えていたマガジンが1971年4月には50万部台にまで落ち込んだ[ 注 5] [ 3] 。
1971年 - 1977年
内田の後を継いだ四代目編集長・宮原照夫 はアングラ化したマガジンを従来の少年誌へ戻す方向転換をし、『釘師サブやん 』(原作:牛次郎 、漫画:ビッグ錠 )、『男おいどん 』(松本零士)、の新連載を始め、兄弟誌『ぼくらマガジン』の休刊に伴い、『仮面ライダー 』(石森章太郎)、『タイガーマスク 』(原作:梶原一騎、漫画:辻なおき )を本誌に移籍[ 注 6] 、「別冊少年マガジン」で連載が内定していた『空手バカ一代 』(原作:梶原一騎、漫画:つのだじろう )を本誌に登場させ軌道修正を図った。
1973年には梶原一騎原作の青春純愛劇画『愛と誠 』(画:ながやす巧 )の連載開始。この頃には部数を100万部の大台を再び回復させるなど原点回帰の方向性は結果として現れた。『釣りキチ三平 』(矢口高雄)、『おれは鉄兵 』(ちばてつや)、『うしろの百太郎 』(つのだじろう)、『三つ目がとおる 』(手塚治虫)、『野球狂の詩 』(水島新司)がスタートする。
しかし、マガジンが低迷期を過ごしていた間に後発である「ジャンプ 」「チャンピオン 」が急速に部数を伸ばし、マガジンは新たに篠山紀信 による人気アイドルのグラビア記事を導入するも、1973年に『週刊少年ジャンプ』に発行部数首位の座を奪われた。このため1975年1号より創刊以来親しまれた誌名ロゴを初めて大幅に変更するなどのリニューアルを行なった[ 3] 。
1978年 - 1982年
2度目の誌名ロゴ変更を行った1978年2号で創刊1000号到達。だがこの頃の『マガジン』は『ジャンプ』だけでなく、『サンデー』や『チャンピオン』の後塵をも拝する状態となっていた。その原因として他誌が若手漫画家を中心にしている時代にマガジンだけが大家となった漫画家たちをメインに据えていたことが挙げられる。
五代目編集長に就任した三樹創作 は他誌に倣ってマガジンでも新進気鋭の若手漫画家たちに力を入れ、『翔んだカップル 』(柳沢きみお)、『1・2の三四郎 』(小林まこと)を連載させ、大ヒットとなる。特に『翔んだ』はラブコメ ブームの火付け役となった。そこから『胸さわぎの放課後 』(村生ミオ)、『あした天気になあれ 』(ちばてつや)、『The♥かぼちゃワイン 』(三浦みつる)、『あいつとララバイ 』(楠みちはる)、『コータローまかりとおる! 』(蛭田達也)といった新たな主力作品の登場と新体制により勢いを徐々に取り戻し、部数を回復させた[ 3] 。
1982年 - 1988年
1982年には初の雑誌系オーディション企画「ミスマガジン」が開始され、同年26号からはイメージキャラクターのモグラ 「ピモピモ」が登場する[ 5] 。1983年は定期増刊『マガジンSPECIAL 』を創刊、オートバイ漫画としては『マガジン』始まって以来の大ヒット作となる「バリバリ伝説 」の連載が開始。さらに創刊25周年イヤーである1984年、春より誌名ロゴを現在のバージョンに変更。1980年代後半には少年誌の部数で『サンデー』を再び抜き、2位となったが、首位の『ジャンプ』の背中はまだ遠く、差は開く一方だった。この時代には、『ミスター味っ子 』(寺沢大介)「THE STAR 」(島崎譲)『オフサイド 』(塀内夏子)、「ブレイクショット 」(前川たけし)「名門!第三野球部 」(むつ利之)「スーパードクターK 」(真船一雄)などが掲載された。
1989年 - 1994年
平成時代の幕開けとなった1990年代前半は大ヒット作となる「金田一少年の事件簿 」の連載が開始され、『マガジン』史上最も連載期間の長い[ 注 7] 「はじめの一歩 」を始めとする「シュート! 」「オフサイド 」「風のシルフィード 」などのスポーツ漫画や、「湘南純愛組! 」「カメレオン 」「疾風伝説 特攻の拓 」などのヤンキー漫画 の分野でヒット作が続出。1990年代の第2次黄金期の基礎を築いた。
しかし1990年代初頭に『ジャンプ』が発行部数600万部を突破したことなどもあってか、この頃のマガジンの健闘ぶりは当時は過小評価されがちで、スポーツものや不良ものに比重を重く置いたこの頃の誌面の内容には、「絞れば汗が出る」と揶揄する声も一部にはあった。
前述の作品と同時期には「MMR 」「BOYS BE… 」「将太の寿司 」「覇王伝説 驍 」「ビバ!柔道愚連隊 」「破壊王ノリタカ! 」「キャプテンキッド 」「LET'S ぬぷぬぷっ 」「MAYA 真夜中の少女 」などの作品も連載されていた。
1994年には草創期から長年に渡って『マガジン』で連載を続けていたちばてつや が、「少年よラケットを抱け 」の連載終了をもって『マガジン』から離れている。
1995年 - 1999年
「金田一少年の事件簿」「はじめの一歩」「シュート!」などの看板漫画を擁する『マガジン』は、看板漫画を失った『ジャンプ』との差を徐々に縮め、1997年にはついに『ジャンプ』を抜き久々に発行部数首位の座を取り返す。この期間には「金田一少年の事件簿」「GTO 」「サイコメトラーEIJI 」などの看板・主力作品のドラマ化・アニメ化といったメディアミックスが行われたことで、多くの読者を呼びこんだ。
また、1998年から始まった「ラブひな 」がヒットし、関連グッズも飛ぶように売れ、そのことが後の『マガジン』の路線に多大な影響を与えることとなる。さらに、それまでの『マガジン』としては珍しかった「RAVE 」「SAMURAI DEEPER KYO 」「GetBackers-奪還屋- 」などのファンタジー漫画 ・アクション漫画が立て続けにヒット。他には、「へなちょこ大作戦Z 」「中華一番! 」「脳みそプルン! 」「Dreams 」「蒼き神話マルス 」「哲也-雀聖と呼ばれた男 」など、まさしく第2次黄金期と言えるほどの、誌面の充実振りを見せた。
2000年 - 2005年
2000年代に入ると、1990年代中 - 後期の第2次黄金期を支えた主力作品の休載・終了が目立つようになり、部数は徐々に下降していった。そして2002年5月20日 、副編集長が大麻所持で逮捕される事件が起きる。『マガジン』はこの1年で部数が急落し、8月 には再び『ジャンプ』に首位の座を奪われてしまう。
2003年にはCLAMP を少年誌 の『マガジン』本誌に引き抜き、「ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE- 」を連載する。またこの年に「魔法先生ネギま! 」の連載が開始され、同作のメディアミックスが盛んに行われた。2004年40号から作者目次コメントが開始される[ 5] 。その直後より「スクールランブル 」を始めとした萌え 系や恋愛漫画 などが多く誌面に見られるようになった。
これらと従来の連載陣に加えて、『サンデー』から移籍した久米田康治 が「さよなら絶望先生 」の連載を開始したり、巻末漫画として「もう、しませんから。 」が定着するなど、ギャグ漫画 の分野でも個性的なヒット作が登場した。その他にも、「魁!!クロマティ高校 」「ゴッドハンド輝 」「クニミツの政 」「DRAGON VOICE 」「探偵学園Q 」「トッキュー!! 」「15の夜 」などがこの時期に連載された。
2006年 - 2014年
「あひるの空 」「Over Drive 」「エリアの騎士 」「ダイヤのA 」「スマッシュ! 」「ベイビーステップ 」などスポーツ漫画 の新連載が大量に始まる。「巨人の星 」のリメイク漫画、「新約「巨人の星」花形 」の新連載が決定されたときは、テレビや新聞などの各種マスコミにも取り上げられた。勢いがあった萌え系・ファンタジー系はやや落ち着いた反面、「FAIRY TAIL 」や「ダイヤのA」等のヒットこそあったものの部数の減少に歯止めはかからず、2007年には発行部数が200万部を下回る。2008年には50周年記念として様々な企画を行い、ライバル誌の『サンデー』と協力して異例のコラボレーションを見せた。「シバトラ 」「BLOODY MONDAY 」「賭博覇王伝 零 」「CØDE:BREAKER 」「生徒会役員共 」「ゼロセン 」などが連載開始。
2009年3月17日「少年サンデー・少年マガジン創刊50周年大同窓会」が東京で開催された。一方テレビドラマ化の乱発やGTOの続編にあたる「GTO SHONAN 14 DAYS 」を連載する。2001年に連載が終了し、以降短期集中連載を行なっていた「金田一少年の事件簿」の定期連載を2012年に再開し、その続編となる「金田一少年の事件簿R」として通常連載する。また、これまで『ジャンプ』『サンデー』『チャンピオン』で連載を行っていた鈴木央 が「七つの大罪 」の連載を開始し、現在出版されている週刊少年漫画四誌すべてで連載を開始することになった[ 注 8] 。この頃からスポーツ漫画の新連載が落ち着き、ジャンルが多種多彩になる。この時期には、「波打際のむろみさん 」「我間乱〜GAMARAN〜 」「だぶるじぇい 」「GE〜グッドエンディング〜 」「A-BOUT! 」「アゲイン!! 」「AKB49〜恋愛禁止条例〜 」「探偵犬シャードック 」などが連載開始。
2013年1号に「はじめの一歩」が週刊少年マガジン初となる連載1000回を達成し、同年には赤松健 が「魔法先生ネギま!」の続編にあたる「UQ HOLDER! 」の連載を開始、2014年には瀬尾公治 が「涼風 」の続編にあたる「風夏 」の連載を開始するが、出版不況 や「ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE- 」「ヤンキー君とメガネちゃん 」「魔法先生ネギま! 」「エア・ギア 」「さよなら絶望先生 」「エデンの檻 」「君のいる町 」などの人気作品の連載終了および打ち切り、さらに新連載の短期打ち切りなどが影響し発行部数は下がり続け、2014年には120万部を下回った。2002年から『マガジン』で連載を続けていた山田恵庸 が、「CHARON 」の打ち切りをもって『マガジン』から離れる。その他には、「山田くんと7人の魔女 」「我妻さんは俺のヨメ 」「アホガール 」「聲の形 」「ACMA:GAME 」「りぶねす 」「せっかち伯爵と時間どろぼう 」などが連載開始。
2015年 - 2019年
2015年1月7日、電子 版の配信が開始されるが[ 9] 、森川ジョージの作品や紙版で表紙を飾る巻頭グラビアは非掲載のため、表紙の中心が巻頭カラーを飾る漫画作品となっている[ 注 9] [ 注 10] 。同年8月3日にはウェブコミックサイト『マガジンポケット 』(以下:マガポケ )を開設。2016年は「聲の形 」が映画化されたが、発行部数は引き続き下がり100万部を下回った。2017年には「エリアの騎士」「FAIRY TAIL」「金田一少年の事件簿」「ベイビーステップ」などの人気作品の連載が終了され、さらに90万部を下回った。2018年には瀬尾公治 の作品「風夏」が連載終了となるが、同作者による「ヒットマン 」、Twitter で大反響を起こした「男子高校生を養いたいお姉さんの話 」、真島ヒロ による新作「EDENS ZERO 」が連載される。
2019年にマガジンが創刊60周年を迎え、同年4・5合併号の紙版に「はじめの一歩」が連載30周年を迎えた。
他誌で活躍していた漫画家による連載もますます盛んに行われ、2015年には『週刊ヤングマガジン 』で連載を行っていた和久井健 が初の少年誌漫画となる「デザートイーグル 」、『月刊少年ガンガン』で連載を行っていた大久保篤 が「炎炎ノ消防隊 」、『ジャンプ』で連載していた甲斐谷忍 が22年ぶりの週刊少年誌漫画「無敵の人 」、2016年には『サンデー』や『別冊少年マガジン』で連載していた雷句誠 が「VECTOR BALL 」、2018年には『ヤングガンガン 』や『サンデー』で連載していた大高忍 が「オリエント 」、2019年には『ゲッサン 』で連載していた山本崇一朗 が「それでも歩は寄せてくる 」の連載を開始している。
後に和久井は「東京卍リベンジャーズ 」を連載する。「東京卍リベンジャーズ」はアニメ化や実写映画が大ヒットし、一躍人気作品となった。その他にも「DAYS 」「ドメスティックな彼女 」「リアルアカウント 」「徒然チルドレン 」「星野、目をつぶって。 」「川柳少女 」「不滅のあなたへ 」「五等分の花嫁 」「彼女、お借りします 」「寄宿学校のジュリエット 」「ランウェイで笑って 」「ブルーロック 」「化物語 」などが連載している。
『マガジンポケット』と『少年ジャンプ+ 』との共同企画である『ジャンマガ学園』が2019年4月8日から同年6月10日の期間限定で、「週刊少年マガジン」と「週刊少年ジャンプ」等の連載作品約150タイトルを無料で読むことができるwebサイトを立ち上げ、史上初めて両誌による共同企画が実現した。
2020年 -
2020年5月下旬から7月上旬までは新型コロナウイルス の影響で、紙版ではそれまで表紙の中心だった巻頭グラビアの代わりに、巻頭カラーを飾る漫画作品が表紙の中心になる傾向となった。
2020年には「山田くんと7人の魔女」を連載していた吉河美希 が「カッコウの許嫁 」、「アホガール」を連載していたヒロユキ が「カノジョも彼女 」を連載開始。2021年には「七つの大罪」を連載していた鈴木央 が続編である「黙示録の四騎士 」、「風夏」や「ヒットマン」などを連載していた瀬尾公治 が「女神のカフェテラス 」、「五等分の花嫁」を連載していた春場ねぎ が「戦隊大失格 」、「エリアの騎士」を連載していた伊賀大晃 ・月山可也 が「iコンタクト 」、「DAYS」を連載していた安田剛士 が「青のミブロ 」の連載を開始しているなど連載経験作家が次々に新作を発表している。その他にも「シャングリラ・フロンティア〜クソゲーハンター、神ゲーに挑まんとす〜 」「甘神さんちの縁結び 」「黒岩メダカに私の可愛いが通じない 」などが連載を開始した。
作品のメディアミックス
アニメ化
テレビアニメ については1960年代 から1970年代 前半にかけては『巨人の星 』や『あしたのジョー 』などといった人気作品がアニメ化 されたが、1970年代後半から1980年代 にかけてはアニメ化される作品が少なかった。これは上記に記述されているとおり「泥臭さ・社会性」の誌風のため時代背景にあった作品を出すことができなかったためである。
1990年代 以降はラブコメ や萌え 路線など誌風の多様化によりアニメ化される作品が多くなったが、2000年代 になると少子化 の影響により全日枠での放映が縮小され、深夜枠 での放映が多くなっている。
週刊少年ジャンプ における『ONE PIECE 』や週刊少年サンデー における『名探偵コナン 』のような長期に渡って放映し続けている作品がないため、時期によっては全く本誌の作品のアニメが放映されないこともある。
2000年代後期からは他社に先駆け、単行本の限定版にOVA を同梱する販売形態も行っている。
現在放送中の作品
放送予定の作品
過去にアニメ化された作品
ドラマ化
テレビドラマ ・実写映画 については1960年代に『無用ノ介 』、1970年代に『愛と誠 』、『野球狂の詩 』、1980年代に『翔んだカップル 』、『胸キュン刑事 』(テレビドラマのみ)、『コータローまかりとおる! 』(実写映画のみ)、1990年代に『シュート! 』(実写映画のみ)、『金田一少年の事件簿 』、『GTO 』などが放映された。特に『金田一少年の事件簿』と『GTO』は視聴率も良好であったため後に映画化、更にはアニメ化もされている。平成期以降の作品で映画化のみされたものとして、『東京卍リベンジャーズ 』、『赤羽骨子のボディガード 』などが挙げられる。
レコード化
レコード については1967年7月20日にキングレコード から当時の連載作品『巨人の星』『天才バカボン』『墓場の鬼太郎[ 注 11] 』『パットマンX 』『でっかい奴』『ハリスの旋風 』『丸出だめ夫 』『幻魔大戦 』『サイレントワールド』と読者ページ『パンパカ学園』のイメージソングを収録したLPレコード『少年マガジン マンガ大行進』(規格品番:SKK(H)-354)が発売された(ディレクターは中島彰[ 10] )。同年10月には同LP収録の4曲が「巨人の星 /天才バカボン 」(規格品番:BS-722)と「墓場の鬼太郎 [ 注 12] /ハリスの旋風」(規格品番:BS-723)としてシングルカットされている。1977年には創刊1000号を記念してLPレコード『創刊1000号記念 少年マガジン』(規格品番:SKD(H)-470)が発売された。
連載作品
以下、2024年12月25日(2025年4・5合併号)現在連載中の作品。休載中の不定期連載作品も含む。
休載中
作品名
作者(作画)
原作など
開始号
備考
あひるのそら あひるの空
ひなた たけし 日向武史
-
2004年2・3合併号
表紙について
読者コーナー
1960年代後半にはダジャレやナンセンスギャグをメインとした「パンパカ学園」が人気だったが、1970年代に入ると「へんな学校」や「星一徹のモーレツ人生相談」があった。その後、「マイマガジン」や「マイマガ7」へと変遷し、少年誌の読者コーナーでは最もレベルの高い投稿センスを誇っていたが(編集長まで三段腹などが毎週ネタにされていた)、次第に「ジャンプ放送局 」にその座を抜かれ、さらに2000年代には「サンデー青春学園 」の影響もあり、「ピモピモ広場」を最後に現在は廃止されている。
なお、ピモピモ広場でマスコットキャラクターとして活躍していた、鉄腕アトム みたいな髪型に眼鏡をかけたキャラクターには「こく坊」という名がちゃんと存在し、「マイマガ7」から出演し続けていた(ただし、イラストレーターは交代している)知られざる長寿キャラクターであった。流れとしては、ハル坊だけが編集長などと競演→こく坊が途中参戦し、ハル坊とこく坊のコンビで活躍→ハル坊がフェードアウトしてこく坊のみ、となる。
2008年に連載していたルポ漫画『発掘!マガジン野郎!!』にて、2人とも実在人物であることが判明しており、こく坊のモデルは小久保さんであった。ただし、ハル坊と実在のモデルは似ても似つかない。
歴代編集長
牧野武朗 (1959年1号[ 21] - 1964年38号[ 22] )
井岡秀次(1964年39号[ 23] - 1965年39号[ 24] )
内田勝 (1965年40号[ 25] - 1971年27号[ 26] )
宮原照夫 (1971年28号[ 27] - 1978年16号[ 28] )
三樹創作(1978年17号[ 29] - 1986年28号[ 30] )
五十嵐隆夫 (1986年29号[ 31] - 1997年14号[ 32] )
野内雅宏(1997年15号[ 33] - 2003年13号[ 34] )
工富保 (2003年14号[ 35] - 2005年2・3合併号[ 36] )
森田浩章 (2005年4号[ 37] - 2013年28号[ 38] )
菅原喜一郎(2013年29号[ 39] - 2017年40号[ 40] )
栗田宏俊(2017年41号[ 41] - 2022年)
川窪慎太郎(2022年 - 在職中)[ 1]
発行部数
1959年 20万5000部(創刊号)[ 5]
1963年 30万部余[ 42]
1968年新年増大号 120万部[ 43]
1970年3号 150万部[ 44]
1991年6月 約250万部[ 45]
1995年3 - 4号 403万部[ 46]
1996年新年号 436万部[ 47]
1997年7月 約415万部[ 48]
1997年8月 440万部(実売推定413万部)[ 49]
1997年49号(1997年11月5日発売号) 415万部[ 50] [ 51]
1998年新年号 445万部[ 52] [ 53]
1998年 425万部
2000年 405万部
2001年 380万部
2002年 364万部
2003年 319万部
2004年 272万部
2005年 236万部
2006年 215万部
2007年 187万部
2008年 178万部
2008年16号時点での本誌累計発行部数は約45億5000万部である[ 5] 。
発行部数(2008年4月以降)一般社団法人 日本雑誌協会
1〜3月
4〜6月
7〜9月
10〜12月
2008年
1,755,000 部
1,720,000 部
1,691,667 部
2009年
1,664,167 部
1,633,334 部
1,614,616 部
1,593,637 部
2010年
1,571,231 部
1,565,000 部
1,556,250 部
1,551,819 部
2011年
1,529,693 部
1,491,500 部
1,489,584 部
1,472,084 部
2012年
1,447,500 部
1,436,017 部
1,412,584 部
1,404,834 部
2013年
1,376,792 部
1,357,000 部
1,324,209 部
1,308,117 部
2014年
1,277,500 部
1,245,417 部
1,211,750 部
1,192,267 部
2015年
1,156,059 部
1,127,042 部
1,107,840 部
1,085,110 部
2016年
1,038,450 部
1,015,659 部
995,017 部
986,017 部
2017年
964,158 部
932,713 部
883,804 部
840,667 部
2018年
815,458 部
791,833 部
760,917 部
744,583 部
2019年
715,417 部
692,083 部
664,625 部
649,167 部
2020年
627,533 部
593,917 部
575,000 部
559,545 部
2021年
545,000 部
518,333 部
502,083 部
493,182 部
2022年
480,000 部
462,500 部
445,750 部
441,000 部
2023年
404,167 部
370,083 部
358,167 部
354,333 部
2024年
345,500 部
323,250 部
309,667 部
価格の変遷
創刊号以外は20号時点の値段。消費税 導入以降は税込み価格。
創刊号 40円
1960年 30円
1961年 - 1963年 40円
1964年 - 1966年 50円
1967年 - 1969年 60円
1970年 70円
1971年 80円
1972年 90円
1973年 100円
1974年 - 1975年 130円
1976年 150円
1977年 - 1980年 170円
1981年 - 1988年 180円
1989年 - 1990年 190円
1991年 - 1994年 200円
1995年 - 1997年 210円
1998年 220円
1999年 - 2004年 230円
2005年 - 2006年 240円
2007年 - 2008年 250円
2009年 - 2015年 260円
2016年 - 2017年 270円
2018年 - 300円
2024年 - 400円
講談社コミックスマガジン
単行本は講談社コミックス レーベルで発行される。通称は少年マガジンコミックス (しょうねんマガジンコミックス)。コード番号はKCM406から振られているが、これは1 - 405の番号はKCMの前身であるKCが使用しているからである。
デザインの特徴は初代では表紙の上部に「Kodansya Comics マガジン」の表記が使用され、背表紙にはKとCの間にマガジンと黒文字と黄色のバックが使用された。
1984年の2代目では現在(2011年)にも雑誌のロゴマークとして使われているピモピモを使用し、「SHONEN MAGAZINE COMICS」と表記され、斜め向きの旗風のデザインを1995年頃まで使用した。現在連載中の作品では「はじめの一歩」のみ使用し続けている。
1996年頃からデザインを一新し、KCロゴとマガジンの旗印の「MAGAZINE」を組み合わせたデザインを採用。KC部分の色が作家によって自由に指定が出来る様になっている。現在も使用されている。
2008年時点で累計約10億部が発行されている[ 5] 。
2008年時点で最大の発行部数の巻は、『金田一少年の事件簿 』第1巻の約275万部[ 5] 。
節目の通番は以下の通り。
増刊号
『週刊少年マガジン』本誌と雑誌コード 、通巻ナンバーを共有する増刊号で、『別冊少年マガジン』としては1964年 秋に季刊誌で創刊されているが、それ以前にも不定期で増刊号を刊行していた。
1967年頃には石森章太郎 の『ミュータント・サブ 』を掲載したり、白土三平 作品の特集号が刊行されていた。1969年 に季刊から月刊へ刊行頻度を変え『月刊別冊少年マガジン』となるが、1971年 に休刊。元の増刊号枠に戻る。『月刊別冊少年マガジン』は1974年に復刊するが、『月刊少年マガジン 』として増刊号枠から独立する形になった。
『月刊別冊少年マガジン』時代を除くと、基本的に本誌の連載作品を再録・特集する役割だったが、1981年には掲載誌『月刊少年ポピー 』が休刊した『タイガーマスク二世 』の連載を引き継ぐなど、次第に本誌を補完する形でいくつかの連載漫画や若手の読切作品が掲載されるようになった。
1983年 には定期増刊『マガジンSPECIAL 』の刊行が始まり、1990年代 に入ると増刊枠では様々な形の特集増刊をコンスタントに発刊したが、2017年に『マガジンSPECIAL』が休刊。増刊号枠に該当する書籍も次第に講談社mookでの刊行へ移行したことから、増刊号としての刊行は途絶えている。
通常の増刊・『SPECIAL』以外の増刊号
ここでは単発・シリーズなど様々な形で発行された増刊号を紹介。
コラボレーション企画用の作品
名探偵コナン&金田一少年の事件簿
『週刊少年サンデー 』(小学館 )と『週刊少年マガジン 』との創刊50周年記念のコラボ企画「コナン&金田一 」の一環として2008年に発刊。12冊のうち偶数号がマガジンの増刊にあたる。
マガジン単体
はじめの一歩・総集編
週刊少年マガジン特別編集 として、2014年まで全36冊刊行。
はじめの一歩・アニメスペシャル
こちらはアニメ版第2シリーズのエピソードを収録しており、2009年4月まで全3冊刊行。
はじめの一歩・ベストバウト総集編
2017年まで全4冊刊行。
-勝負師伝説-哲也・総集編
2001年 から2005年 まで全28冊刊行。文字通り『哲也-雀聖と呼ばれた男 』の総集編である。
-勝負師伝説-哲也・BEST傑作選
同じく。『哲也-雀聖と呼ばれた男』から傑作エピソードをチョイスした内容。2002年 から2004年 まで全10冊刊行。
釣りキチ三平・平成版
矢口高雄 の書き下ろし新作である『平成版・釣りキチ三平 』の連載と矢口の別作品(「9で割れ!!」など旧作または書き下ろし作)および、矢口と著名人との対談インタビューなどを収録した、一冊丸ごと矢口高雄作品で占められたプライベートコミック誌。2001年9月に刊行開始。年1-2巻ペースで不定期発刊され、2009年12月までにvol.8まで刊行。
釣りキチ三平CLASSIC
『釣りキチ三平 (昭和版・読み切り版)』を選り抜いて掲載したものと、同作にまつわるコラム記事や著名人のインタビューなどを収録。アンソロジー に近いもので、2003年から2005年まで隅週刊で57巻まで刊行された。
釣りキチ三平・平成版総集編
過去の『平成版・釣りキチ三平』エピソードを再収録したもので、2004年に3冊が刊行している。
マガジンドラゴン
詳細は#マガジンドラゴン の項を参照。
イッキ読み! FAIRY TAIL
2012年に全7冊が刊行している。第1巻のみ後に講談社mookでアンコール刊行された。
マガジンドラゴン
『マガジンドラゴン 』は、講談社 が発行していた漫画雑誌 である。『週刊少年マガジン 』の増刊にあたる。第1号(週刊少年マガジン通算2927号)が2007年 12月12日 に、第2号(通算2999号)が2009年 1月7日 に発刊され、以後は続刊がない。
内容は新人の読み切り作品がメインであった。マガジン本誌の連載作品の番外編も掲載された。
「ドラゴンカップ」という名称で新人漫画家による読者参加型人気投票レースが行われた。読者投票で1位になった作家には、マガジン本誌での掲載権が与えられた。また、第2回では「ストーリー部門」と「ショートギャグ部門」といった2つの部門に分かれることとなった。
第1回 エントリー作品
妖一夜(片山あやか )
オハナ迷彩(石沢庸介 )
メガバカ (豪村中) 除外処分 [ 注 13]
アタシハ(朝陽昇 )
青空配達人 かぜ屋(高木聡 )
魂キス!(佐武リョウ ) 優勝作品 - 『週刊少年マガジン』2008年 39号に同作者による読切『恋愛無双』が掲載
夏、がんばってます!(向山知成 )
赤毛のサスケ(佐藤陽介)
なのはの秘密(坂本伊助)
地球迷宮(北川やいち)
第2回 エントリー作品
ストーリー部門
スマイルアンサー(流石景 ) ストーリー部門優勝作品 - 『週刊少年マガジン』2009年19号に同作者による読切『GE〜グッドエンディング〜 』が掲載、同年38号より連載開始
カズトノミカタ(千田灰司)
探偵流儀(高本ヨネコ )
LOVIN'(幡アサ子)
桜町ブックマーク(栗田啓志)
ドールズ・ツー・メン(佐藤陽介)
プレミア(下田将也 )
ヤリすぎっ★アキナさん!!(古閑裕一郎 )
フルメタル バースト(乾武丸 )
首狩り人形 キリコ(黒谷宗史 )
YSJ(川口毅)
ショートギャグ部門
天拳(鷹巣ひろき )
課長令嬢 (高地ひろなり ) ショートギャグ部門優勝作品 - 『週刊少年マガジン』2009年17、18号に同作品を掲載、同年37号より連載開始
時の野良犬(佐藤将 )
ライぱに!(浅嶋竜之介)
ネガティブ・スパイラル(石垣冬樹)
派生誌およびウェブコミック誌
本誌と同一の編集部
本誌と別の編集部
マンガ雑誌アプリ
マンガボックス (本誌と同じ講談社コミックスレーベル。編集長は元本誌編集者の樹林伸 。)
マガジンポケット(詳細は下記 を参照。)
マガジンポケット
マガジンポケット は、2015年8月3日より講談社 が配信するウェブコミック配信サイト および同名の漫画アプリ。略称は『マガポケ 』。
セガネットワークス と共同で企画・運営・開発を取り組んだプロジェクトで[ 54] 、マガポケオリジナル作品の連載はもちろん、マガジンや別マガ など講談社各誌の連載中作品の並行連載、過去の人気作品の再掲などをしている。大半の再掲作品はマガジンの作品だが、一部青年誌からの再掲も含まれている。
大半の作品が毎週更新だが、一部月1更新・隔週更新の作品も存在する。
閲覧は各話とも原則有料(ポイント制)となっており、予め会員登録をした上で購入したポイントから各話とも初回のみ閲覧に必要なポイントが消費されることになっている(同じ話であれば2回目以降の閲覧は無料)。ただし、各作品とも第1話(作品によっては第2話・第3話も)は無料で閲覧できるほか、最新話より2〜3話前については一定期間無料で、また作品によっては期間限定で最新話以外全てが無料で閲覧できることもある。
単行本のレーベルはマガポケオリジナル作品はマガジンポケットKCで発行されており、移籍作品は移籍元と同様のレーベルで継続されている。ただし、『少年マガジンエッジ 』休刊に伴い本誌に移籍した『しかのこのこのここしたんたん 』に関しては、移籍元ではないシリウスKC に移籍している。
『マガジン』紙版2018年32号が平成30年7月豪雨 による影響で一部地域にて未発送となっていることから無料での公開が同年7月20日から31日まで実施された[ 55] 。
マガジンポケットの連載作品一覧
オリジナル作品、再掲作品含む、曜日別五十音順
月曜日
火曜日
水曜日
木曜日
金曜日
土曜日
日曜日
マガジンポケットの連載終了作品
マガジンポケットの映像化作品一覧
アニメ化(マガポケ)
劇場アニメ
作品
公開年
アニメーション制作
備考
ひゃくえむ。
2025年
ロックンロール・マウンテン
ドラマ化(マガポケ)
脚注
注釈
^ なお、ヒロユキの実姉は恵広史であり、現在二人揃って別の作品で連載を行なっている。
^ 2004年からは『もう、しませんから。 』→『ちょっと盛りました。 』がそれにあたる。
^ 『神to戦国生徒会 』などが挙げられる。
^ 昭和初期に大活躍した少年熱血小説の大家であり、梶原も少年時代に大いに影響を受けた。
^ それら青年向け作品の質が低かったのではなく、列挙した各作品は後々まで残る優れた作品で各作者の評価も高かったが、マガジンの主要読者には難解で暗かったことや『巨人の星』が終盤の重々しい雰囲気にさしかかっていたことや、ちばてつやが体調を崩して『あしたのジョー 』の休載が続いていたことも読者の購買意欲を削いだ要因となっている(『夕やけを見ていた男―評伝 梶原一騎』斎藤貴男)
^ 1971年に休刊した兄弟誌の『週刊ぼくらマガジン 』を受け継ぐ形で「タイガーマスク 」「仮面ライダー 」などの特撮・アニメヒーロー作品がいくつか掲載されているものの、ウルトラマンなどの空想特撮シリーズ の頃のように表紙を飾ることはなく、またそれらのジャンルは当時創刊されていた『テレビマガジン 』や学年誌の対象分野となりつつあったことから、以後その手の作品の掲載は控えられた。ただし、それらの中には「デビルマン 」「ロボット刑事 」「デロリンマン 」などといった作品も存在している。
^ (続編が連載途中でマガジンSPECIALに移動した『コータローまかりとおる! 』は除く)
^ 存命中の漫画家で「四大週刊少年漫画誌」だけに限ればつのだじろうと小林よしのり、永井豪が該当する。三人は現在休刊となっている『週刊少年キング 』でも連載を行っているが、つのだじろうは『ジャンプ』、小林は『サンデー』での定期連載を行っていない。永井のみ当時の5つの週刊連載誌すべてに同時連載した記録を持つ。なお、『キング』を含めた「五大週刊少年漫画誌」すべてで連載を行った漫画家として手塚治虫や赤塚不二夫がいる。
^ 『月刊少年マガジン』では川原正敏 も同様の方針を取っている。
^ ただし、紙版で「はじめの一歩」が巻頭カラーを飾る号では、センターカラーを飾る漫画作品が表紙の中心となる
^ 『墓場の鬼太郎』のイメージソングは、後に放送されたテレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』において「ゲゲゲの鬼太郎」と改題して主題歌に起用された。
^ テレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎 』の放映開始後にプレスされた版では「ゲゲゲの鬼太郎」と改題
^ トレース 及びそれによる盗作 ・著作権侵害 が発覚し、講談社が謝罪、同作品の選考除外処分が発表された。
出典
関連項目
関連文献
外部リンク
文芸誌 一般誌 ファッション・美容誌 児童誌 休・廃刊 その他
野間三賞 国際 文芸 漫画 ライトノベル 終了 その他 後援等 ミスコンテスト