板垣 恵介(いたがき けいすけ、1957年4月4日[2] - )は、日本の漫画家[1]、元陸上自衛隊第一空挺団所属。北海道釧路市出身[1]。本名は板垣 博之(いたがき ひろゆき)[1]。刃牙や餓狼伝に代表される格闘技を題材とした作品を書いている。既婚者で三女の父親であり、三女は、同じく漫画家の板垣巴留。
少年時代から格闘家に対する憧れが強く[2]、阿寒高校時代には少林寺拳法に励み、二段位を取得した。高校卒業後、一旦地元企業に就職するも間もなく退職、20歳のときに陸上自衛隊に入隊し、陸自屈指の精鋭部隊である第1空挺団に約5年間所属した[2]。その間、アマチュアボクシングで国民体育大会に出場したこともある[2]。この時に小銃など総重量30kgの荷物を背負いながら真夏の富士山麓を100キロ歩き続ける訓練を完遂し[2]、「この訓練が人生で一番きつかった。これに比べればたいしたことはない」と人生の糧になったことを語っている。後に板垣の強い希望でこの訓練は自伝として漫画化された(後述)。
その後、B型肝炎を患って自衛隊を除隊し1年近い入院生活を送った後、職を転々としながらの生活を送っていた。1987年、格闘技と並ぶ少年時代からの趣味だったイラストの腕を生かし漫画家として身を立てようと、小池一夫主催の「劇画村塾」に入塾(東京第6期生)[2]。小池原作の漫画『傷追い人』の主人公・茨木圭介と自身の妻・惠子の名前からペンネームを取って「板垣恵介」とし[3]、1989年『メイキャッパー』でデビュー[2]。1991年、『週刊少年チャンピオン』に『グラップラー刃牙』の連載を開始[2]。その後シリーズ第2部『バキ』、第3部『範馬刃牙』、第4部『刃牙道』、第5部『バキ道』を経て、『週刊少年チャンピオン』2023年39号より第6部『刃牙らへん』を連載している[2][4]。
東京都府中市在住。2014年に市制60周年を迎えた府中市の「武蔵国 府中大使」に任命された[5]。事業の一環として原動機付自転車のナンバープレートが製作され、そのデザインに『刃牙道』が採用された[6]。
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