美章園駅(びしょうえんえき)は、大阪府大阪市阿倍野区美章園二丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線の駅である。駅番号はJR-R21。
駅名は、大阪の財界人であり大阪商工会議所第8代会頭、大阪商船(現在の商船三井)や日本電力(現在は解散)の社長などを務めた山岡順太郎が、1921年(大正10年)に美章土地株式会社を設立し、住宅地「美章園」を建設するに加えて、美章園駅の建設費を寄付したことに由来する。「美章」の名は山岡順太郎の父・山岡美章から取られたものである[3][4][5]。
1945年(昭和20年)2月14日[14]午後8時過ぎ、アメリカ軍による空襲で、B29が阿倍野区内だけに3発の爆弾を投下した。そのうち1トン爆弾1発が当駅構内に落下し阪和線の鉄筋コンクリート橋脚を粉砕、付近の民家20件ほどを破壊し死傷者30余名を出した。運悪く東和歌山方面行きの電車が発車した直後でホームに多くの人がいたため、多くの死者が出た[15]。1951年(昭和26年)8月24日、駅東側に当時の駅職員によって「遭難供養之碑」が建てられた。
この時に明浄高等女学校(現・明浄学院高校)裏にも爆弾が落下し、同校生も犠牲になった[15]。近くの文の里公園に「慰霊塔」がある。それには大阪市最初の被爆地と書かれているが、実際には2月14日より前から大阪市内に空襲が行われている。
大阪市内で空襲慰霊碑のある駅としては、他に1945年8月14日の京橋駅空襲で被害を受けた京橋駅(大阪環状線・片町線)がある。
相対式ホーム2面2線を持つ高架駅。分岐器や絶対信号機がない停留所に分類される。
通常使用される改札口は東側のみだが、平日の朝ラッシュ時には西側の改札口も利用できる。2008年3月にエレベーターが整備され、歩道と改札口の段差にもスロープが設置されるなど、バリアフリー化が進んでいる。
業務委託駅で[2]、JRの特定都区市内制度における「大阪市内」に属する駅である。ICカード「ICOCA」を利用することができる(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)。
202年(令和5年)度の一日平均乗車人員は4,859人である。付近に学校が多く、学生の利用者がかなりの部分を占める。
各年度の1日の平均乗車人員は以下の通りである。
駅の東側は古くからの商店や住宅が所狭しと軒を連ねている。阪和線の高架下には商店が軒を連ねている。周辺道路は交通量が多い上に歩道が狭い。
「美章園」停留所にて、大阪シティバスの路線が発着する。
1990年代まで近鉄バスの、あべの橋と志紀車庫・国分方面を結ぶ路線が停車していた。