森田 耕次(もりた こうじ、1963年2月28日- )は、ニッポン放送報道スポーツコンテンツセンターの解説委員、元アナウンサー。
東京都出身。1986年3月、中央大学文学部卒業後の同年4月、アナウンサーとしてエフエム東京に入社[2]。
同社退職後、1991年、ニッポン放送へ移籍。アナウンサー職から報道部へ異動し、副部長となる[3]。2009年6月人事にて報道部長に就任[4]。2011年6月1日付の人事異動にて、解説委員となる。以降、ニュースリーダーをローテーションで受け持つ傍ら、報道特別番組や特設ニュースの進行役を主に担う。
2012年10月、日本災害情報学会主催の「廣井賞」(社会的功績分野)を受賞[5]。
2022年4月3日より、ニッポン放送のスポーツアナウンサーが日替わりで投稿しているブログ「アナLOG ショウアップナイター実況アナのつぶやき」の毎週日曜日の担当を、小永井一歩アナウンサーより交代し担当することとなった[6]。これは『ショウアップナイタープレイボール』など、土曜日のナイタースタジオ担当となったことも決め手である。報道部の取材の一環でアトランタ五輪やフランスワールドカップなどを担当したことはあったが、自身の夢でもあった「現場であの試合を生で伝えられるスポーツ(特にプロ野球)中継」には縁がなかった[7]。
2023年6月末をもって解説委員としての役職ではなくなったものの、引き続き嘱託社員として報道部に籍を置きながら、定時ニュースやショウアップナイターに携わっている。
1975年の広島東洋カープ初優勝時からのカープファン[8]。このことは報道部記者・報道部長・解説委員という立場である関係で放送上でめったに触れられることはないが、『辛坊治郎ズーム』などで掛け合う(専ら代行で入った増田英彦に振られることがお決まりのパターン)際などに触れられることがある。『上柳昌彦 あさぼらけ』で上柳昌彦の代演を行った際、リスナーからのメールで東京出身なのに広島カープファンなのはなぜ?の質問に対し、赤ヘルフィーバーの立役者、山本浩二と同じ自身の名前も【コウジ】と言うことで親近感を持ったことがきっかけと話し、他のメディアでも言及している[8]。2023年6月9日の千葉ロッテマリーンズ対広島東洋カープ戦の『RCCカープナイター』(中国放送)への裏送りでは、実況予定だった清水久嗣が体調不良により休養し、山内宏明に交代したことから、急遽ベンチリポーターを担当した。放送上は「ニッポン放送森田耕次アナウンサー」と紹介された[注 1]。その後6月11日付のアナLOGでSTVラジオ・KBCラジオ向けの中継でもリポーターを担当する予定であることを伝えた。その後はベンチリポートの他にも素材収録の実況を担当することがある。
同じく『上柳昌彦 あさぼらけ』で「(5年間エフエム東京に在籍したが)曲名紹介はものすごく苦手である」と告白。関連して、「FM(エフエム東京)からAM(ニッポン放送)に転籍して戸惑ったことは」との問いに、「むしろFMの方が戸惑いが多く、在籍当時洋楽は邦題ではなく原題で紹介せねばならないことが曲紹介の苦手さを増幅させた」とも語っている。ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースとマドンナのコンサートの影アナウンスを担当したことも明かした(両方のコンサートに上柳が観客だったことも判明した)。また子どもの頃からキャンディーズのファン、特に伊藤蘭が好きだったと告白。
エフエム東京
ニッポン放送
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