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寺田 吉孝(てらだ よしたか、1953年2月4日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)。右投右打。
筑紫工業高等学校では、捕手として1970年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、博多工に敗退。高校の1年下に鶴崎茂樹がいた。
同年のドラフト6位で近鉄バファローズに入団。辻佳紀、岩木康郎ら捕手陣の壁を破れず二軍暮らしが長かった。捕手としては1977年に1試合に出場したのみで、地肩の強さを活かすため外野手に転向。同年はウエスタン・リーグで首位打者を獲得、一軍でも6試合に指名打者として先発出場(うち3試合に偵察要員が使われた)を果たす。
1978年オフに神部年男・佐藤竹秀と共に、チャーリー・マニエル・永尾泰憲との交換トレードでヤクルトスワローズに移籍。主に代打として起用されるが、1979年には2試合に一番打者、外野手として先発。1980年11月に自由契約となり広島東洋カープに移籍。ここではあまり活躍の機会がなく、1982年限りで現役引退。
引退後は1983年から2年間、南海ホークスの二軍守備コーチに就任した。