大野木 宣幸(おおのぎ のぶゆき、1956年1月27日 - 2019年[1])は、日本の作曲家。ゲームミュージックを主体としていた。
静岡県出身。千葉大学工学部中退。
来歴
株式会社ナムコ(現・株式会社バンダイナムコエンターテインメント)の『キューティーQ』を見てゲーム制作に興味を持ち[2]、1980年同社に入社。当初はプログラムデザイナーとしての入社だったが、シンセサイザーで作った曲が『ラリーX』[3]のハイスコアBGMに採用された。その後はサウンド担当として、『ギャラガ』や『マッピー』などの音楽を手掛ける。
1985年にナムコを退社し、遠藤雅伸のゲームスタジオ設立に参加。翌1986年、デジタル・エンターテイメント(のちにサイトロン・アンド・アートに社名変更)設立に参加し、代表取締役に就任[2]。G.M.O.〜初期サイトロン・レーベルのゲームミュージックアルバムをプロデュースし、オリジナルバージョン収録の際のエディットやアレンジも多数手がけている。
その後サイトロンを退社し、ゲーム業界から離れ、実家の味噌屋を継いでいた[4]。
2019年2月、コロンバスサークル社からリリースされたMD/MD互換機[注釈 1]用リズムゲームソフト『16ビットリズムランド』に楽曲を提供した[5]。
同年死去。63歳没[1]。
人物
ナムコ入社は1980年だが、学籍を残したまま入社したようで、千葉大学は翌1981年に中途退学している[2]。
遠藤雅伸とは出身大学および学部が同じ。その遠藤は、大野木の楽曲を「二度や平行五度が多いのが大野木さんの味[6]」「不協和音の使い方がとてもうまい[7]」と評している。
『ギャラガ』のチャレンジングステージでパーフェクト以外のリザルトBGMは、ディレイのような効果が得られているが、バグによる偶然の産物である。当人曰く、「単音3つがバグでずれて鳴ってしまった」とのこと[6]。
ゲーム音楽作曲の先駆者として、小倉久佳[1]やHiro師匠[8]、小沢純子[6]といった後進に多大な影響を与えた。
携わった作品
作曲
ナムコ在籍時
ナムコ退社以降
アルバム制作
自身の楽曲のサウンドトラックは除く。
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク