この項目では、家庭用据置型ゲーム専用機の「PCエンジン」について説明しています。舶用・発電用4サイクル中速ディーゼルエンジンの「PCエンジン」については「JFEエンジニアリング 」を、パーソナルコンピュータPC-88VAシリーズ用OSの「PC-Engine」については「PC-8800シリーズ 」をご覧ください。
PCエンジン (PC Engine )は、ハドソン と日本電気ホームエレクトロニクス (NECホームエレクトロニクス、以下NEC-HE )により共同開発され、1987年 10月30日 [ 3] にNEC HEから発売されたHE-SYSTEM規格に基づく家庭用ゲーム機 。当時のメーカー 希望小売価格 は24,800円。
北米市場 ではTurboGrafx-16 (ターボグラフィックス16)の商品名で発売され、NECの米国法人 から販売された。HE-SYSTEMの北米仕様であり、HE-SYSTEMのロゴだけは使用している。
発売当初はファミリーコンピュータやセガ・マークIII と競合し、後にスーパーファミコン やメガドライブ とも競合した。トップシェアを占めることはなかったが、世界累計販売台数764万台を記録している[ 2] 。
歴史
日本国内展開
任天堂 のファミリーコンピュータ が発売され数年が経過し、ハドソン 社内におけるより高性能のハードウェア を望む声があった。同時期に日本電気 (NEC)社内において計画されていたCD-ROM機開発の思惑と合致したため、ハドソンとNEC-HEとの共同開発が始まった[ 注 1] 。
1988年11月にはCD-ROM2 が発売された[ 4] 。
1989年末にはテレビへの出力端子を従来のRF端子 からAV端子 に変更して色はダークグレーになり、コントローラーのI・IIボタンに連射機能が搭載されたものに変わったPCエンジンコアグラフィックス 、拡張バスを削除してCD-ROM2 や天の声などは繋げなくHuカードのみ専用にした廉価版[ 5] のPCエンジンシャトル 、Hu6270を2個に増量しVRAMを2倍、メインメモリを4倍に強化したPCエンジンスーパーグラフィックス 、本体の拡張バスから繋ぎPCエンジンを使って画面に絵を描け、アーティストツールで印刷をすることも可能なプリント&イラストブースタという4種類のハードを発売している。
1991年6月にコアグラフィックスと性能は同じだが、価格を5,000円ダウンさせたコアグラフィックスIIが19,800円で発売された。同年12月にはSUPER CD-ROM2 を発売している。
1992年3月にはCD-ROM2 が100万台を突破し、ソフト供給はCD-ROM中心になり[ 6] 、本体もPCエンジンDuo シリーズが主力になっていったが、HuカードもコンパクトサイズハードであるPCエンジンGT 、PCエンジンLT などの存在もあり、供給を継続していた。国内市場では1992年時点でスーパーファミコンに次ぐ24.7%のシェアを占めていたとする調査結果が雑誌に掲載された[ 7] 。
1994年春にはアーケードカード が発売、RAMは18 Mbitへ増強された。同年末にはPCエンジンの次世代機PC-FX が発売されたが、それ以降もPCエンジンの市場は1999年まで継続した[ 5] 。
日本国外展開
TurboGrafx-16
CD-ROMユニットを接続したTurboGrafx-16
HuCARD変換アダプタ
北米ではNECホームエレクトロニクス の現地法人により「Turbografx-16」の名称で1989年5月23日に発表、同年8月29日にニューヨーク とロサンゼルス でテスト販売が開始された。価格はTurboPad1個とTurboChip(HuCARDの海外名称)のソフト『Keith Courage in Alpha Zones (魔神英雄伝ワタル )』が付属して$199.99。一方でメガドライブ の北米版である「Sega Genesis 」も二週間前にテスト販売を開始しており、ほぼ同時に市場投入される形になった。日本のCD-ROM2 に該当する「Turbografx-CD」も同年12月に$399.99で発売された。CD-ROMドライブとインターフェースユニットのセットでバンドルソフトはなかった。
1992年4月より、取り扱いがNECテクノロジー社とハドソンの共同出資であるターボ・テクノロジー社に変更され、そのキャンペーンとして発売予定のTurboDuo(価格$299.99)に250ドル相当の特典(『イースI・II 』『PC原人 』『PC原人2 』『ゲート オブ サンダー 』『ダンジョンエクスプローラー 』、専門誌『TURBO FORCE』[ 注 2] 、$5×10枚のソフト購入割引クーポン)を添付させる「Add $250 Value」を実施。また1992年のサマーCES に合わせてTurboGrafx-16の本体価格が$69.99、Turbografx-CDの価格が$149.99にそれぞれに引き下げられた。TurboDuo発売後、既存のTurboGrafx-CDユーザ向けにスーパーシステムカードと3-in-1 CD(Bonk's Adventure、Bonk's Revenge、Gate of Thunder)と$5×10枚のソフト購入割引クーポンをセットにしたバリューパックが$95で販売された。ちなみに旧来のシステムカードは起動画面がTurboGrafx-CDのロゴになっていたが、スーパーシステムカードは国内版と同じ「SUPER CD-ROM2 SYSTEM」の起動ロゴになっている。
TurboGrafx-16は参入業者が少なかったために、販売面で苦労した。またCD-ROM2 にあたるTurboGrafx-CD (HES-CDR-01 TurboGrafx-16と同時発売)やPCエンジンGTと同機能のTurboExpress (HES-EXP-01 1990年11月発売)、PCエンジンDuoと同機能のTurboDuo (HES-DUO-01 1992年10月発売)なども発売された。これらは日本ではCD-ROMのゲーム環境としてヒットしたがTurboGrafx-CD関連は1993年中には市場からほぼ淘汰された。晩年は慢性的なソフト不足を補うため国内向けのソフトを輸入販売し、PCエンジンのHuCARDのピンアサインをTurboGrafx-16向けに変換するアダプタも非公式に流通した[ 注 3] 。
また、北米においてはTurboGrafx-16を業務用ゲーム機 として展開する計画も立てられていたが、こちらは業務用ゲーム機のメーカーの反発や、NECホームエレクトロニクスの北米法人内で業務用ゲーム機業界に詳しい者がいないことなどが原因で頓挫した[ 8] 。
欧州市場 ではフランス を除いて正式販売は行われなかった。フランス版HE-SYSTEMは、当時日本で販売されていた本体をRGB 仕様に改造したのみで、本体の形状や商品名称などは日本と同様PC Engineとなっていた。イギリス ではNTSC 出力のままの米国モデルがTelegames 社より極少数販売された実績がある。
アジア 市場では大韓民国 でも発売され、韓国版HE-SYSTEMは、大宇電子 がZemmix PC Shuttle(CPG-100)としてZemmix のラインナップの一部でPCエンジンシャトルを輸入し、その後はPCエンジンシャトル自体が生産を終了したということもあり、ヘテ 電子からも『スーパーコン バイスター』の名称でハドソンとの共同開発によるオリジナルの本体で発売されていた(こちらもHE-SYSTEMのロゴだけは使用していた)。ただ、NEC-HEは一切関与していなかった。ソフトのラインナップは、基本的に日本や北米からHuカードのみを輸入し、パッケージを独自に製作したものだった。そのため、コナミのタイトル全般や、ドラえもんのゲーム など、北米で発売されていないタイトルも含まれていた。
なおTurboGrafx-16は本体の大きさが国内版に比べ横幅が倍になっているが、これは本体が小さくて価格が高いと割高感が出て敬遠されるというアメリカの消費者心理を考慮したためである。またCD-ROMユニットは本体後部に接続する形式を取っているが、CD-ROMユニットの大きさは国内版と同じのため、組み合わせると、さらに特異な形状(真上から見ると『凸』型)となる。
またTurboGrafx-16の名称はPCエンジンは画像処理周りなど一部の処理を16ビットで行っていたため、Sega Genesis(北米版メガドライブ)及びSuper Nintendo Entertainment System (北米版スーパーファミコン)が搭載していた16ビットCPUの話題性に対抗する意味でつけられた。
ハードウェア
開発経緯
チップの開発
当時、ハドソンの目指す高度な表現に対してファミコンやパソコンの「性能の限界が見えてきた」という状況に直面していた。この問題に対して「自分たちが欲しいものを自分たちの手で作り上げる」という目的でハドソン社長の工藤浩をはじめとしたハドソン技術者たちが動き出した(ハドソンはシステム開発も行っており、また半導体技術者も擁していた)。ハドソン技術者の山村喜美夫は「ハードを作るという発想ではなく、ソフトを作る発想で開発が始まったんです。ハードメーカーがハードを作ってくれないなら、性能を上げるためのチップを作ってみようということになったわけです。最初から新しいハードを作ろうとしていたわけではなく、あくまでチップの開発だったんです」と語っている。
この時点ではビジネスのことは考えておらず、単純に「自分たちの夢を追いかけただけ」である。
しかし、半導体メーカーではないハドソン単体ではチップを作ることができない。開発者(岡田節男・山村喜美夫、他1名)が仕様書を書き、半導体メーカーに持ち込んでも「北海道から来た訳のわからない会社」では信用されない。NECを含む国内の主な半導体メーカーには断られた[ 注 4] 。
最後に訪問したセイコーエプソン (以下エプソン)で、ようやく工藤の話をまともに聞いてくれた。ここで工藤は「別に売るつもりはないから、とにかく一個作ってほしいんだ」「自分の机にファミコンより性能のいいゲーム機があればいいんです」という話をしている。対するエプソン担当者が開発には相当な額がかかると言うと、工藤は「お金はいくらでも用意します。何なら、いまここに積みますから」と返した。この時点で相手もあきれていたと後に工藤は言っている。
こうしてチップの開発はスタートした。ハドソン、エプソン双方のメンバーがほぼ同年代で、細かい点ではよく話し合って決めた部分もあるので山村は「一緒に作ったという感覚が強い」と証言している。そして完成したのが『Hu-7』(工藤の証言より。山村の証言ではHu6270と呼んでいる)と呼ばれるチップである(山村はHu6270の開発スタートが1985年春、Hu6270の完成のめどがつき、次の段階に進んだのが1985年末から1986年初め頃と証言している)。費用は2億円、数量として「1000個だか10000個だか(工藤の証言より)」が作られた。
(出典[ 5] [ 10] )
ゲーム機の開発
完成したHu-7(Hu6270)の画像処理能力はファミコンのCPUを上回る性能を見せ、独自の新ハードの野望を抱かせるようになった。
ハドソンは、これをまずシャープに持ち込んだ(「思ったよりもいいものができたというか、画像の処理能力なんかファミコンのCPUよりも数段いい。これを使って何かできるんじゃないかと思って、とりあえずパソコンの関係でおつき合いのあったシャープさんにそれを見せたわけです。そうしたら『これは商売になる!』というんで話が一気に盛り上がって…」と工藤は証言している)。結局シャープとは話がまとまらなかった。任天堂と協力関係にあり、それがネックになったといわれている。
次に工藤が向かったのがNECである。ここで幸運なことに「ちょうどゲーム機を作りたいと思っていたんだ」という対応を受け、話がスムーズに進んでいった。
一方のNECも任天堂のファミコンの急速な普及に触発され、1983年末頃から後藤富雄を中心とした若手社員により、社内で「パソコン以外の何か」を作るための議論が続いていた。1985年に「記録メディアにCD-ROMを使ったゲーム機」という結果となった[ 11] 。目標価格を10万円以下に設定したが、ゲーム機用の安価なチップ(CPU)を内製化する設計力がNECには当時無かった。そのため計画が頓挫していた。NECの多部田俊雄 も当時から家庭用のCD-ROMの企画書を提出していたが価格の問題があり却下されていた[ 12] 。
工藤が完成品のチップと一緒にNECを訪問したのはちょうどその頃で「PC-8801 の後継機としてCD-ROMを搭載したマシンを作りたいNEC」と「スプライトに強いチップを売り込みたいハドソン」という二者の利害が一致した[ 13] 。
その後チップの開発とツール開発が同時進行して、チップはエプソン、製品化はNEC、Huカードは当時の三菱樹脂 とハドソンが共同開発することでPCエンジンは誕生した。
(出典[ 5] [ 14] )
CD-ROM2 の開発
上記の通りNECからハドソンにもたらされたCD-ROM機開発計画であるが、PCエンジン発売後1年でCD-ROM2 本体として発売されることになった。当時パソコン用のCD-ROMドライブは本体接続用のインターフェース と合わせて25万円もしていたが、価格を5万7800円に落とすことで、家庭用ゲームへの採用を可能にした[ 15] 。搭載されたRAMの容量はメイン64KB、ADPCM用64KBだった。このため大きなデータを一度に取り込めず、凝った演出を行うために頻繁なロードが必要だったが、この問題点は後にスーパーCDROM2 、アーケードカードへとRAM容量が拡張されることで解決していった。
シークに片道で3秒、往復で最大6秒かかるため、複数のファイルをバラバラに読ませる、読み取り時にエラーが発生するなどの状況下では実用性に問題が出るほど時間がかかった[ 16] [ 17] 。ゲームの進行などで一部のデータだけが変更される事象が起こった場合、差分をバラバラに読むのではなく「それらをひとまとめにしたファイルを進行毎に用意してシークをなるべくさせないで一度に読み込む」方式を採用した[ 16] 。データの二重保存と合わせてCD-ROM内でデータトラックが占める割合が大幅に増すことになったが、CD-ROM自体が大容量であったのでこのような対処が可能であった。
CD-ROM2 の発売以前、ハドソンの朝礼の時に中本伸一 がCDを持ってきて「お前ら、この中にゲームが入るから」と発言したがハドソンの他の開発者たちは当時「CD=音楽CD」という知識しか無く、中本が何を言っているのか分からなかったという[ 5] 。このようにハドソン社内でも具体的な形になるまでは開発情報の公開に制限がかかっていたという話がある。
システムカードがバージョン2.0以降の物からはCD-G (CDグラフィック)に対応する様になり、カラオケ用の再生プレーヤーとしても利用が可能となった。
コア構想
PCエンジンは「コア構想」という拡張思想を持ち、パーソナルコンピュータ のようにコア(核)の役割を持たせ、様々な周辺機器を接続することでゲーム以外にも対応させる。いわば周辺機器のエンジン に見立たものであり「PCエンジン」の命名はここが由来である。そのためDUO系統を除く本体にはゲーム機としては最小限の機能しか無く、他社ゲーム機では標準装備もしくはカートリッジに内蔵されるような機能も別売りの周辺機器 で補完していく必要があった。
構想の要であった拡張バスは初代PCエンジンから始まり、コアグラフィックス系統などの本体後部に標準装備[ 注 5] されており、周辺機器の接続は主にこれを使う。多くの周辺機器が発売されたが、拡張バスを用いる機器は排他仕様であり、またLTやスーパーグラフィックスなどハードの形状が統一されておらず接続できない代物もあった。この問題を解決するために「周辺機器を接続するための周辺機器」も発売された。拡張バスは機能を追加するものであったが、性能を向上するためのものではなかったためPCエンジンをスーパーグラフィックス相当にする周辺機器は発売されず、専用ソフトをプレイするにはスーパーグラフィックス自体を別途購入する必要があった。
PCエンジン専門誌の一つ「マル勝PCエンジン 」でも1989年10月号の116頁では天の声2をAV出力へ対応させるための改造記事を掲載したり、PCエンジンSGについて1989年12月でに記事を組んだものの19頁で「みんな自分のマシンが旧機種になってしまうという不安を感じているようだ。しかし価格設定や販売方針を考えると、この新機種が主流になることはまずないと言ってよさそうだ」と記載しており、ユーザーへの余計な出費をさせないような配慮も行っている。
HE-SYSTEM
NEC-HEとハドソンによって提唱された規格 。ライセンス商品 の証明としてPCエンジンに関連する本体とソフトウェア には必ずロゴ が記載されている。なお、「HE-SYSTEM」(エイチイーシステム)の「HE」はH ome E ntertainmentの略であり、『ホーム・エンターテイメント・システム 』という意味である。
そのPCエンジンのブランドロゴはNECが販売する日本国内向けのHE-SYSTEMのハードで用いられているため、他社製品のレーザーアクティブ に関しては、NECからもOEM供給することによってPCエンジンのロゴを使用できたのに対し、X1twinに関しては、NECの製品ではないが、ハドソンが開発に関与しているため、HE-SYSTEMのロゴだけを使用しており、PCエンジンのロゴは一切使用していない。
CD-ROM2 用のディスクをCDプレーヤーで再生した時の警告音声に関しては、標準メッセージからではあるが、「HE-SYSTEMのCD-ROMディスクです」と言っており、PCエンジンの名称は一言も発していない。これは、登場キャラクターが担当するタイトルも同様の措置である。
ソフトウェア媒体と規格
PCエンジンは時期によりパソコンのように拡張を繰り返し、1つのハードに2つの媒体で計5つの規格のソフトが流通した[ 注 6] 。
HuCARDのパッケージはCDアルバムの様な大きさ、太さのケースに収納されていて、ケースの背面にはメーカーシールのみのソフトも多数あり、どのようなゲームなのかが確認し難い要素があった。
バックアップ機能
Huカードにはバックアップ 機能がなかったため、初期のソフトはゲーム再開時にパスワード を手動で入力する必要があった。
やがて天の声2やバックアップブースターなど周辺機器が発売されるとセーブデータ ・バックアップが可能になった。1つで複数のソフトに対応する必要からファミコンなどのカートリッジ 内蔵式のものよりは容量が大きい。CD-ROM2 が発売されると本体の機能として統合された。DUOの登場で拡張バスが廃止され、またゲームのデータの肥大化に伴いHuCARDスロットやコントローラーポートで接続する機器も発売された。
コントロールパッド
標準パッド は見た目を変えているものの、ボタンの配置と大きさはファミコンのIコンと同等のものとなっている。十字ボタンのみ形状が変更されており、ボタン類は名称が異なるものの、「START→RUN」「A/Bボタン→I/IIボタン」と位置関係上それぞれ対応している。PCエンジンコアグラフィックス 以降の機種ではそれぞれ色調を合わせた連射パッドが標準装備されている。その後ボタン数(3/6ボタン仕様)を変えたものが発売されている。
また「RUNボタン」を押しながら「SELECTボタン」を押すことでリセットをかける機能が基本的にソフト側に搭載されている(『妖怪道中記』など、サードパーティー 製のソフトでは例外的に「SELECT」→「RUN」でもリセットを行える場合がある)。この操作はマルチタップ経由でも可能なので、1プレイヤーのみが可能な機能には留まらない。
パッドは脱着式だが本体にはコントローラー端子が1つしか無く、2人以上の同時プレイには別売りのマルチタップを購入し、端子を増設する必要がある。マルチタップは5人用の他に、3人用・2人用等、ゲームの用途に合わせて発売されている[ 注 7] 。
仕様
CPU HuC6280A
VDC HuC6270
VCE HuC6260A
CPU:HuC6280(音源内蔵)
クロック:1.79MHz/7.16MHz (ソフトウェアで選択可能)
ファミリーコンピュータやコモドール 社のパソコン等に搭載されたMOS 6502互換CPUに、独自に命令を追加したカスタムCPUを採用。クロック周波数は7.16MHzで、1.79MHzのファミリーコンピュータに対して4倍の動作周波数を実現[ 18] 。
音源部:波形メモリ 6音または波形メモリ4音+ノイズ2音(1周期32アドレス波形メモリ方式、LFO 内蔵)。Ch.0とCh.1はLFOで合成させてFM音源 のような変調音を作ることが可能。
波形メモリを使わずにCPUで直接値を書き換えて出力するDirect D/Aモード有り。タイマー割り込みで同期を取ってストリーミングさせることでサンプリング 周波数7kHz相当の5bitPCM 音声が再生可能。ただしサンプリングの発音数が多くなるにつれそれ相応のCPU負荷が生ずる[ 注 8] 。またサンプリングを使用時は発音数に応じて波形メモリ側の音数は間引かれる。※例 サンプリング3音を使用の場合は残り3音で波形メモリやノイズを発声する。[ 注 9]
VDC (Video Display Controller):HuC6270
VCE (Video Color Encoder) :HuC6260
※ CPU・VDC・VCEの詳細 はHuC62 を参照。
メモリ
RAMには高速なSRAM を使用[ 18]
表示解像度(単位は画素 )
256×240
320×240(N/A)
336×240
512×240[ 注 11]
TV の表示範囲に入るのは 224 ライン程。横方向の画素数は256、336、512の3種類から任意で切り替え可能。
VDC(HuC6270 )に16ビットのレジスタ があり、横512の座標も問題なく扱える。
画素単位で制作したグラフィックを横512画素で表示するにはVRAM の容量が不足するが、BG画面(後述)を使うことで表示可能。[ 注 12]
縦スクロールシューティングなどでは、256×240ドットの解像度を336×240ドットの画面モードで表示することで、アーケードゲームの縦画面に似せるモードが設けられたものもあった。
画面発色数
512色中最大481色[ 注 13] ※最大512色同時表示や最大112色の同時表示が可能という事実と違う広告も多数あった。[ 19] [ 20]
RGB各3ビットの512色からBGとスプライトでそれぞれ256色をエントリ可能。
スプライト:(256色中15色+透明色のパレット)×16スロット[ 21]
BG:(256色中15色+共通色のパレット)×16スロット
NTSC信号出力の際に、カラーバースト信号を切ってモノクロ表示にすることが可能。
スプライト
最大64個(1個のスプライトサイズは16×16から最大32×64 カラー指定512色中15色+透明色)
横方向へ16×16のサイズを最大16個(横320ドットモード時は14個に制限される。[ 注 14] )
バックグラウンド(BG画面)
1画面(1キャラクタ8×8画素固定で最大2048個定義 カラー指定512色中16色 ただし内1色はBGパレット内で共通色となる)。この仕様により多重スクロール は苦手である。そのため背景の一部をスプライトにする・バックグラウンド のキャラクタを複数用意してアニメーションさせる、横方向ではそれに加えラスタースクロール を併用することで対応している。なお、これらは他のゲーム機でも使われるテクニックである。
バリエーション
コア構想に基づき多くの本体・周辺機器が発売された。
NEC製
他社製
型番
名称
発売日
拡張バス
備考
CZ-830C-BK
X1 twin
1987年12月
無
PCエンジンをシャープ が開発していたパソコン 、X1 に内蔵させたもの。
CLD-A100
レーザーアクティブ
1993年8月20日
無
パイオニア製。
CPG-100
Zemmix PC Shuttle
1990年
不明
HE-SYSTEMの 韓国 専売版にあたり、Zemmix ブランドで発売された。
各ソフトの規格に対応する機器
標準クラスのプレイ環境の一例: コアマシン + CD-ROM2 + 各種システムカード
標準クラスのプレイ環境の一例: コアマシン + SUPER CD-ROM2
スーパーグラフィックス + SUPER CD-ROM2 。アーケードカードがあればLD-ROM2 以外の全ソフトのプレイが可能
一般に多く流通したソフトを遊ぶにはSUPER CD-ROM2 が可動する環境があれば良いが、上記の通り本体および周辺機器共に多くのバリエーションが存在するため、システムの組み合わせパターンは数多い。分類すると下記のようになる。なお下記では、初代PCエンジン・PCエンジンコアグラフィックス・PCエンジンコアグラフィックスIIを合わせ「コアマシン 」と称する。
発売されたソフトの規格
HuCARD
HuCARD(PCエンジンスーパーグラフィックス 専用)
CD-ROM2
コアマシン + CD-ROM2 + 各種システムカード
コアマシン + SUPER CD-ROM2
PCエンジンスーパーグラフィックス + ROM2 Adapter + CD-ROM2 + 各種システムカード
PCエンジンスーパーグラフィックス + SUPER CD-ROM2
PCエンジンLT + SUPER ROM2 ADAPTER + SUPER CD-ROM2
PCエンジンDuo 系列機(R・RXを含む。以下同様)
レーザーアクティブ+LDRom2 パック
SUPER CD-ROM2
コアマシン + CD-ROM2 + システムカードVer.3.00(SUPER SYSTEM CARD) or アーケードカード PRO
コアマシン + SUPER CD-ROM2
PCエンジンスーパーグラフィックス + ROM2 Adapter + CD-ROM2 + システムカードVer.3.00(SUPER SYSTEM CARD)or アーケードカードPRO
PCエンジンスーパーグラフィックス + SUPER CD-ROM2
PCエンジンLT + SUPER ROM2 ADAPTER + SUPER CD-ROM2
PCエンジンDuo系列機
レーザーアクティブ+LDRom2 パック(パック内蔵のスーパーシステムカード機能の場合不具合が出るソフトが有るので、その場合スーパーシステムカードをHuカードスロットに挿すことで回避可能)
アーケードカード 専用CD-ROM
コアマシン + CD-ROM2 + アーケードカードPRO
コアマシン + SUPER CD-ROM2 + アーケードカードDUO or アーケードカードPRO
以下も含め、SUPER CD-ROM2 上(Duo系列機含む)でのアーケードカードPROの使用は公式にはサポート外
PCエンジンスーパーグラフィックス + ROM2 Adapter + CD-ROM2 + アーケードカードPRO
PCエンジンスーパーグラフィックス + SUPER CD-ROM2 + アーケードカードDUO or アーケードカードPRO
PCエンジンLT + SUPER ROM2 ADAPTER + SUPER CD-ROM2 + アーケードカードDUO or アーケードカードPRO
PCエンジンDuo系列機 + アーケードカードDUO or アーケードカードPRO
レーザーアクティブ+LDRom2 パック+ アーケードカードDUO or アーケードカードPRO
周辺機器
発売された本体が多岐にわたるため、それぞれの本体に対応する周辺機器は以下のページを参照すること。
CD-ROM
型番
名称
発売日
備考
CDR-30
CD-ROM2
1988年12月4日
PCエンジンのCD-ROMドライブ。
PI-CD1
SUPER CD-ROM2
1991年12月13日
上位規格のCD-ROM2 システム。
セーブ用外部メモリ
型番
名称
発売日
備考
HC66-6
天の声2
1989年8月8日
拡張バスに接続するセーブ用外部メモリでハドソンが発売。内容保持に単3電池を使用するため電池が切れたらデータも消失する。本体通電中なら電池交換してもデータは保持される。AVブースターと併用はできないため初代PCエンジンよりも1989年12月8日に発売されたコアグラフィックス 向きである。価格・流通量の多さにより利用者数はバックアップブースターより多い。名前の由来はハドソンのRPG『桃太郎伝説 』のパスワード が「天の声」という名称だったことによる。
PI-AD7
バックアップブースター
1989年11月12日
天の声2とAVブースターの機能を併せ持つため、IFU-30 と同様にRF出力しかない初代PCエンジンでAV出力とセーブ機能を両立できる。天の声2よりは高価だが、IFU-30に比べると機能を絞り込んだ分値段が安い。
PI-AD8
バックアップブースターII
1989年12月8日
バックアップ用電源がキャパシタ(コンデンサ )に変更され、本体使用中に充電されるようになった。同時発売のコアグラフィックスでの使用が前提でAVブースター機能を削除し価格も下げられた。
HC692
天の声BANK
1991年9月6日
HuCARD型のセーブ用外部メモリ。言わばPCエンジン用SRAMカード 。それまでの外部記憶ユニットのセーブデータを4台分バックアップできる。バンク切り換え 式でゲームタイトルごとの管理はできない。電池は内蔵リチウム電池 で長寿命であったが交換不可能。隠し要素としてハドソンの人気ゲームのデータが初めから記録されていた。
PI-AD19
メモリーベース128
1993年3月
パッド端子に接続して使用するセーブ用外部メモリ。後期ソフトのセーブデータの肥大化に対応し容量は128KBと非常に大きいが、対応ソフト以外は使用不可能。コーエー 発売の同機能の周辺機器「セーブくん」もある(『信長の野望・武将風雲録 』・『三國志III 』などの一部に同梱)。 対応ソフトのうち、『エメラルドドラゴン 』・『リンダキューブ 』・『プライベート・アイ・ドル 』・『ぽっぷるメイル 』の4本には本体のバックアップメモリとの間でセーブデータをコピーするなどの操作が出来る管理ユーティリティを内蔵。『エメラルドドラゴン』・『リンダキューブ』は共通のツールでデータの互換性があるが、『プライベート・アイ・ドル』と『ぽっぷるメイル』は両者との互換性はない。
映像/音声出力
型番
名称
発売日
備考
PAD-105
ACアダプタ
1987年10月30日
PAD-106
ACアダプタ
アンテナスイッチ
1987年10月30日
初代PCエンジンで使用可能。RF信号を出力するための機器。
PI-AD2
AVブースター
1988年4月8日
拡張バスに接続するコンポジット映像信号 出力用の機器。初代PCエンジンでの使用が前提の商品。専用のDIN5ピンコネクタで本体と接続するコアグラフィックスと違い、汎用のAVケーブルをダイレクトに挿すことができる。
PI-AN2
AVケーブル
1989年11月22日
初代PCエンジン以外で使用可能なステレオAVケーブル。
PI-AN3
RFユニット
AVブースターとは逆にコンポジット映像信号 出力のマシンに使用し、RF信号を出力するための機器。
PI-AD20
バーチャルクッション
1992年12月18日
エアークッションにサブウーファー を内蔵。音声が出力されるとクッション内の空気が振動する機器。アンプ・エアークッション本体・カバーに分かれている。AVブースター等が付いたPCエンジンと直接接続するのは困難で、TV側の外部出力端子から接続されるのが一般的。発想は先進的だが本体価格が高く、長期間使用するとエアークッションの空気が漏れる・接触不良で音声や振動が出ない等の影響か普及には至らなかった。
CA-54
PCエンジンコネクターケーブル
NEC製テレビ専用の接続ケーブル。一部のNECのTVに「PCエンジン端子」があり、ケーブル一本で映像/音声の入力・電源供給が可能。
パッド関連
PCエンジン用パッド
パッドの接続プラグ
ターボスティック
型番
名称
発売日
備考
PI-PD001
PCエンジンパッド
1987年10月30日
初代PCエンジンに同梱されていたパッド。
PI-PD002 PI-PD06 PI-PD8
ターボパッド
PI-PD001に連射機能を付けたもの。
PI-PD003
マルチタップ
パッドを5つまで接続できる純正機器。本体のみではパッドを1つしか接続できなかった弱点が逆に普及を促し、ファミコン以上に多人数同時プレイソフトを登場させることとなった。2人用や4人用のサードパーティ製のものもあった。
PI-PD4
ターボスティック
1988年10月1日
NEC-HE純正では唯一のジョイスティック型コントローラ。
HC63-8
ジョイタップ3
1988年10月4日
純正品。マルチタップの廉価版で、3つまでしかパッドを接続できない。
PI-PD5
ターボパッドII
1989年11月22日
PCエンジンシャトルの形状に合わせたターボパッド。
NAPD-1001
アベニューパッド3
1991年1月31日
3ボタン操作のフォーゴットンワールド の発売に合わせて登場。IIIボタンはSELECTかRUNボタンのいずれかに設定して使用する、連射もできるのでRUNボタンに設定してスローモーション(ポーズの連射)をかけることも可能。
PI-PD10
PCエンジンマウス
1992年11月27日
後期、PCから移植等の一部ゲームに対応。親指で押せるセレクトボタン・ランボタンも付いており、当時としては珍しい4ボタンマウスだった。
PI-PD11
コードレスマルチタップ
1992年12月18日
PCエンジンDuoに合わせたデザインの純正品。パッド信号を赤外線 で伝達することでコントローラのコードレス化を実現。コードレスマルチタップ自体はPCエンジン本体のパッド端子に接続する。コードレスパッドを5本揃えれば5人同時プレイ可能である。受信可能距離は約3mまで。
PI-PD12
コードレスパッド
コードレスマルチタップ用のパッド。単四乾電池4本必要。
NAPD-1002
アベニューパッド6
1993年5月28日
6ボタンパッド。『ストリートファイターII' 』の移植に対応する形で登場。
PCE-TP1
アーケードパッド6
1994年6月25日
6ボタンパッド。PC-FXの標準パッドとデザインがほぼ同じ。
グラフィック
型番
名称
発売日
備考
PI-AS1
アーティストツール
1989年9月29日
グラフィックソフト。イラストブースターがなくてもパッドで描画可能。画像の保存機能は無し。
PI-AD3
プリントブースター
本体に接続できるプリンター。ペンを差し込んで使うペンプロッター 式。
PI-AD4
イラストブースター
専用ペンタブレット 。透明なので下絵をなぞることができる。
PI-AD5
フォトリーダー
ペン型モノクロ イメージスキャナ 。プリントブースターのリーダ端子に接続して使用する。
ライセンス品
型番
名称
発売元
備考
AS-7749-EG
アスキースティックエンジン
アスキー
BT-BG1
バトルパッド
ビッグクラブ
BT-BG2
バトルタップ
HJ-13
ホリコマンダーPC
ホリ電機
XE-1 PRO HE
ジョイスティック
マイコンソフト
XHE-3
ジョイスティックアダプタ
アタリ仕様のコネクタを変換するアダプタ
CJPC-101
パチンコ専用コントローラー
ココナッツジャパン
KH-1001
セーブくん
光栄
非純正品
PCエンジンのパッド端子は汎用のミニDIN8pinコネクタを採用している。同じミニDIN8pinコネクタを採用しているPC-9801用のキーボード延長ケーブル(2016年時点の現行品の例としては KB-K98-3K、KB-K98K)をPCエンジンのパッド延長ケーブルとして使える。
2020年 4月 上旬にコロンバスサークルより無改造でポータブル化できる外付け液晶ディスプレイ が発売された[ 23] 。これによって安価にPCエンジンLT を再現することが可能になった。
発売中止
通信ブースター
モデム とRAMディスク を内蔵した拡張アダプタと、同梱品の通信ツールを使用して、テキストベースのパソコン通信 が行えるという物。通信ツールにはBASIC インタプリタが含まれており、ユーザが作成したゲームをPDS 化して公開する構想もあった[ 24] 。1988年に雑誌の企画として、ホスト用のパソコンと電話回線 を介したPCエンジン同士の通信や手書き文字の送受信が行われた他、1990年にはPC-VAN 会員限定で一般モニターが募集されたが、開発期間が長引き性能が陳腐化したなどの理由で発売中止となる。
XPE-1RGB(仮称)
マイコンソフト より発売予定だった。本体をRGB接続に対応させる外部接続アダプタ。CD-ROM2との互換性を維持するため、PCエンジン本体の下に積むという独特の接続方法になる。形状の合致しないスーパーグラフィックス 、専用バックアップユニット接続端子のみ対応のシャトル 、拡張バスの無いDuo には非対応[ 26] 。
PCエンジン標準の映像出力方法はRF接続 とRCA端子 のみだが、拡張バスにはRGB 出力が含まれている[ 27] 。電波新聞社 は、ここからRGB信号を取り出すコネクターの発売を予定していたが企画倒れとなった[ 26] ため、正規の方法でS端子 やRGB端子への接続は出来ない。
関連機器
PC-8801MC
CD-ROMドライブとしてCD-ROM2 を接続することができたが、同PCでPCエンジン用のソフトは使用できない。
ソフトウェア
日本
ゲームソフトとして、HuCARDメディアのローンチタイトル は『上海 』と『ビックリマンワールド 』である。
1987年に設立されたNECアベニュー がゲームソフトの開発と販売を行っている(NEC-HEはハードウェア製造メーカーだった)。また、ハドソンが初期のラインナップを充実させている。この時期ファミコンソフトの製造での優遇措置停止で任天堂とのトラブルになっていたナムコ(現:バンダイナムコエンターテインメント) が参入。ハドソン・NECアベニューと共に初期の三本柱に[ 28] 、参入社数過多により飽和状態になっていたファミコン市場から新たな市場を求めたサードパーティがPCエンジンへと参入した、タイトー ・アイレム ・データイースト ・日本物産 などが参入。一方でカプコン [ 注 16] やコンパイル [ 注 17] などはソフトのOEM供給などをしていたが、参入して自社ブランドで販売することはなかった。これらサードパーティの参加もあり、ファミコンでは実現が難しかったアーケードゲーム が移植された。
1991年にはコナミ (ブランド名は『KONAMI』、その後ゲーム事業はコナミデジタルエンタテインメント へ移管)も参入し、NEC HEも日本市場(それまで当社は米国市場のみでゲームソフトを発売する程度だった)でゲームソフトを販売するようになり、後期以降の主要ソフトメーカーにまで発展した[ 注 18] 。
1992年には『天外魔境II 卍MARU 』『スナッチャー 』といったSUPER CD-ROM2 を代表するキラーソフトが発売されている。CD-ROM2 の普及に伴い、日本ファルコム ・アートディンク ・システムソフト ・リバーヒルソフト ・ブレイングレイ ・マイクロキャビン ・コーエー (現:コーエーテクモゲームス )・日本テレネット といったPCゲーム のソフトハウスが参入した。
1994年春にはアーケードカード 専用CD-ROM2 が登場、ネオジオ で人気を博していた『餓狼伝説2 』『龍虎の拳 』が目玉ソフトとして発売された。HuCARDメディアでの最後のタイトルは1994年12月16日発売の『21エモン めざせホテル王 』である。
1999年6月にメッセサンオー とソフマップ 専売で発売された『デッド・オブ・ザ・ブレイン 1&2 』を最後に、ソフトの供給は終了した[ 5] 。
またゲームソフト以外にも事典やカラオケソフトが発売された。
北米
『Keith Courage in Alpha Zones (魔神英雄伝ワタル )』がTurbografx-16に付属したほか、『エイリアンクラッシュ 』『魔境伝説 』『ビクトリーラン 』がローンチタイトルとして発売された。
Turbografx-CD発売時にはローンチタイトルとして『ファイティング・ストリート 』『ワンダーボーイIII モンスター・レアー 』の2本がリリースされた。
反響
販売台数
1987年に発売された本機は初年度で60万台を出荷し[ 32] 、任天堂のファミリーコンピュータが独占状態であった国内家庭用ゲーム機市場では任天堂に次ぐ2番手となった。
日本国内出荷台数は1987年度から1995年度まで584万台である[ 33] 。(Huカード機が392万台、CD-ROM(Duo含む)が192万台)
海外のウェブサイトGamePro The 10 Worst-Selling Consoles of All Time の推計によると最終的な出荷台数は世界で合計1000万台、北米での約250万台その他の地域(ほぼすべて日本) [要出典 ] 750万台としている。
NEC-HEの事業部長の本庄、NEC社長(インタビュー時は相談役)の関本のインタビューと資料を基にした朝日新聞 2001年12月1日(夕刊)「ウィークエンド経済 第765号 あの失敗がこう生きた」にて「だが、PCエンジンは世界で580万台売るヒットになる」と書かれている。
NEC-HE取締役支配人の小林淳二は日経BP社『新世代ゲームビジネス』の117ページで「PC-FXは新世代のゲーム機であるが、従来のPCエンジンを190万台普及させてきた延長線上で地道に売っていく」と発言している。
影響と評価
1987年当時の家庭用ゲーム機の常識を覆す高速・高性能であり[ 4] 、任天堂のシェアを崩すには至らなかったが、新規ハードとして一定の普及に成功し国内市場では1992年時点でスーパーファミコンに次ぐ24.7%のシェアを占めていた[ 7] 。1990年代前半の日本市場において、PCエンジンの周辺機器であるCD-ROM2 (シーディーロムロム)は最も普及していたCD-ROM ゲーム機である。
関係者
ハドソンの中本伸一 はPCエンジン発売前のインタビューで「任天堂との共存、共栄を目指す」と発言しており、PCエンジンと並行して任天堂のファミリーコンピュータやスーパーファミコンへのソフト供給を続けた。当時任天堂の一強状態であった家庭用ゲーム機市場において初めて二番手市場を築き、それまで家庭用ゲーム機ではファミコンにしか参入していなかったサードパーティがPCエンジンに数多く参入し、任天堂ハードと共存できる市場を作り上げた。
またハドソンの工藤浩社長(当時)は「成功か失敗か?成功と言えば成功ですよね『PCエンジン』シリーズはトータルで450万台くらい売れて、ソフトも何千万本か売れたんだから。だけど市場から姿を消してしまったし、今ではもう作っていないわけですから、そういう意味で失敗したということもできるかもしれない。少なくともNECにとっては失敗だったかも。ハドソンとしては成功だったように思うけど、本当のことをいうと自分でも成功したのか失敗だったのかよくわからないね[ 34] 」と語っている。
ユーザー
1996年創刊の雑誌『ユーズド・ゲームズ』(後の『GAME SIDE 』)では、PCエンジンの熱狂的なユーザ のことを「PCエンジニア」と呼んでいた。この言葉は同誌2号のメガドライブ特集記事で誕生したものである。
外部団体
1988年度の商品デザイン部門でグッドデザイン賞 を受賞している[ 35] 。
その他ファミリーコンピュータとは異なる以下の点が評価されている。
多人数プレイ
コア構想の一環として、NEC-HEより本体と同時に発売されたマルチタップを使用することにより、対応するゲームでは最大5人まで遊べるようになる。ハドソンからは5人同時プレイ対応のアクションRPG『ダンジョンエクスプローラー 』が発売された他、日本コンピュータシステム からはレースゲームの『モトローダー 』が発売され、ナムコの『プロテニス ワールドコート 』ではファミコンの『ファミリーテニス 』では実現しなかった4人同時プレイによるダブルス対戦が可能になった。その後、ハドソンの代表作となる『ボンバーマンシリーズ 』や『桃太郎電鉄シリーズ 』はマルチタップに対応することでパーティゲームとしてのジャンルを確立させ、「パーティゲームの定番」として21世紀初頭現在に至るまで新作が発売され続けている。ハドソンの中本伸一はボンバーマンシリーズについて「本当にラッキーだったのが、PCエンジンにマルチタップがあったことです」「5人プレイが出来るハードに移植された段階で全く新しいボンバーマンの歴史がスタートした」と、PCエンジン版の『ボンバーマン 』とマルチタップを評している[ 36] 。
先進性
PCエンジンは家庭用ゲーム機として世界で初めてCD-ROMを採用したゲーム機であり[ 4] 、PCエンジンが世に送り出したCD-ROMゲーム機の思想はその後のゲーム機にも受け継がれていった[ 34] 。元NECアベニューの多部田俊雄 は後に、「CD-ROMシステムは200万台近く売れた。PCエンジンがなければ全世界規模でCD-ROMの普及が1年は遅れていたでしょう[ 15] 」と語っている[ 37] 。またNEC(当時)の後藤富雄は「他のメーカーに先駆けてCD-ROMを採用したことに対しては、私としてはそれなりの自負がある[ 34] 」と述べている。
ゲームジャンルの拡大
PCエンジン専門誌のPC Engine FAN では「『R-TYPE 』や『ドラゴンスピリット 』。ほんとうにほしいゲームがよくそろっていました。その後、『ドラゴンナイト II』『卒業 』『ときめきメモリアル 』が登場。こういった今はギャルゲー と呼ばれるソフトがゲーム機で遊べるようになったのもPCエンジンの功績です。」という評価を受けている[ 38] 。
広告
メディア展開としてテレビの専門番組にハドソンが提供・協力、一部は日本電気ホームエレクトロニクスも提供をしている。それに加え広報の一つとしてPCエンジン発売に合わせファミコンソフトのイベントだったハドソン全国キャラバン の課題ゲームをPCエンジン用に切り替えており、『コロコロコミック 』のタイアップ 記事やさくまあきら が担当した『週刊少年ジャンプ 』の読者コーナー など、影響下にあるメディアでPCエンジンの話題を多く取り上げた。
また富士見ファンタジア文庫 から1990年2月に刊行された『悪の江ノ島大決戦』(とまとあき ・塚本裕美子著)では、当時発売直後のシャトルやスーパーグラフィックスなどが作中のアイテムとして登場し、ゲーム機本体とライトノベル という、タイアップ が行われた。
テレビ番組
専門誌
販売終了後の展開
本機の製造終了後には実機を使用せずにゲームを遊べる環境を各社が提供している。
ダウンロード販売サービス
クラウドサービス
PCエンジンライブラリー - 2013年6月20日に発売されたクラウドゲーム 機「G-cluster 」向けのサービスとして開始。数本を一つにまとめたセット購入となる。
復刻型ゲーム機
2019年には、ゲームソフトを内蔵した小型復刻版「PCエンジン mini 」の販売が、コナミデジタルエンタテインメント (KDE)[ 注 19] より正式発表され[ 39] 、2020年3月19日に発売された。
58本のゲームがプリインストールソフトとして収録されている。また、北米市場向けに「TurboGrafx-16 mini」、欧州市場向けに「PC Engine CoreGrafx mini」がリリースされている。
その他
2019年現在、「PCEngine」という商標名はコナミデジタルエンタテインメント(KDE)およびビッグローブ の登録商標 (第2272123号ほか)となっている[ 39] [ 40] [ 41] (「PCエンジン」では商標登録されていない)。発売当時はハドソンおよびNEC-HEが商標などの諸権利を保持していたが、ハドソンは2012年にKDEに吸収合併され、NEC-HEは2001年の会社解散に伴って権利関係が親会社のNECを経て2006年にNECから分社したビッグローブ[ 注 20] へ承継されたためである。なお、「PCエンジン mini」の著作権表記にはKDEおよびビッグローブの2社が表示されていた[ 42] が、その後にビッグローブは削除された[ 43] (理由は不明)。
PC-88VA のOS を「PC-Engine」と呼ぶが、PCエンジンとの関係はない。
同様のコンセプトを持つ品として、テクナート(業務用基板を取り扱う会社)より「PCメイト」というRGB出力/業務用筐体に接続できる機能を持つ基板が販売されていた。発売当時にはゲーメストに広告が載っていたが、価格が2万円と高価だった。同基板をさらに改造し、業務用として設置できるようクレジット機能(コインの投入数分だけRUNボタンの押下を受け付ける)を搭載したものも存在した。
脚注
注釈
^ NECはチップ単位では任天堂やエポック社 のスーパーカセットビジョン やカシオ のPV-1000 への供給を行っていたものの、完成品としてのコンシューマゲーム機としてはNECグループ では初参入である。
^ TurboDuo発売と同時に創刊された専門誌。創刊号はTurboDuo本体に同梱され、さらにユーザ登録することで3号まで無償で送付されたので、どちらかというと広報誌に近い。4号から有償になったが、その4号で告知もなく休刊した。
^ PCエンジンはリージョンチェックが無いため、物理配線さえ何とかすれば国内・国外問わず全てのソフトが動作したが、SUPER CD-ROM2 のソフトについてはシステムカードのチェックを行っているため、海外版のSUPER CD-ROM2 のシステムカードで日本のソフトを起動すると警告画面が表示されてしまう。無論変換アダプタを使用して日本版のシステムカードを使えば動作する。
^ 時期は明記されていないがNECより前にソニー へも持ち込んだことがあるという証言もある[ 9] 。
^ ただしCD-ROM2 本体により占有されたりDUOシリーズで一体化された結果消滅した。
^ パイオニア製のレーザーアクティブ によるLD-ROM2を除く。
^ 最大5人で協力・対戦が可能なゲームには『ボンバーマン 』『スーパー桃太郎電鉄II 』『ダンジョンエクスプローラー 』『モトローダー 』がある。
^ Twitterでの『ガンヘッド』のプログラマーだったジェミニ広野のコメントによれば、『ガンヘッド』製作時のサウンドドライバでは3音までサンプリングが発声可能であり、最大で使うとCPUパワーの半分くらいの負荷がかかるとコメントしている。
^ 『ゼビウス ファードラウト伝説 』『ガンヘッド』等では主にドラムパートを、『源平討魔伝 』等ではボイス再生に使用された。『スーパースターソルジャー 』以降は波形メモリを制御することでドラム音が再現可能となり、処理速度の向上と再生チャンネルを稼ぐことが可能となっている。
^ 『ポピュラス 』(HuCARD版)のみカード側にメインRAM :32KBを増設。
^ HuCARDの『TVスポーツ バスケットボール』の選手選択画面や、CD-ROM2 の『シャーロック・ホームズの探偵講座 』の全編、『シャドー・オブ・ザ・ビースト 魔性の掟』のOPデモで使用
^ 高解像度なソフトが少ない理由は、画素単位で制作したグラフィックをフル画面表示しづらい・スプライト が複数並び易く、横並び制限によるスプライト 欠けが生じ易いからである。
^ スプライト240色(15色×16パレット、透明色は透過処理に使われるので発色はできない)とBG241色(15色×16パレット+共通色)合わせての数字。
^ 解像度が320ドット時に横へ16個並ぶ設定にすると、VRAMのアクセスタイムを超える駆動のオーバークロック状態となり、PCエンジン本体の動作保証が出来ないことからNECのガイドラインにより設定された。※ガイドライン制定前に発売されたR-TYPEでは例外的に使用[ 22]
^ 専用のバックアップユニットのみ接続可能。
^ 『サイドアーム 』『サイドアーム・スペシャル 』『F1ドリーム 』『ソンソン2 』『ポンピングワールド』『ストリートファイターII' 』などを開発。
^ 『エイリアンクラッシュ 』『デビルクラッシュ 』『サイバーナイト 』『ガンヘッド 』『精霊戦士スプリガン 』『スプリガン mark2 』『シルフィア 』などを開発。
^ 後継機のPC-FXではNEC HEが大半のソフトを発売している一方、開発元のハドソンのソフトは少数派で、初期の間しか発売されていなかった。
^ 2012年にハドソンはコナミデジタルエンタテインメント に吸収合併されたため、その後は同社が権利を保有した。
^ 2014年3月まではNECビッグローブ。同年に日本産業パートナーズ へ売却された後、2016年にKDDI へ売却された。
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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