コロムビア・トップ(1922年〈大正11年〉5月6日 - 2004年〈平成16年〉6月7日[1][2][3])は、日本の漫才師、漫談家、声優、政治家。参議院議員。 本名、下村 泰(しもむら ゆたか)[1]。勲等は勲二等。東京市浅草区(現:東京都台東区浅草)出身[1][2]。三男は俳優の下村彰宏[1]。孫にダンス作家の下村唯。
略歴
人物
- 「青空一門」の総帥。漫才協団(現:漫才協会)を率いて「トップに嫌われては東京の漫才師としては生きられない」と言われる程の勢力を誇った。議員活動としては「あゆみの箱」活動、障害者福祉などの分野に取り組んだ。議会内では必ず和服を着ていた。
- 懐メロ番組の司会も多く務め、「昭和歌謡大全集」ではご意見番として出演し、「年忘れにっぽんの歌」では途中何度か間はあるものの、1968年から2000年まで通算30年以上司会を務めている。
- 第二次世界大戦前からの野球ファンで、東京巨人軍を贔屓にしていた。
- 最晩年は癌を患いながらも死去する数か月前までラジオに生出演するなど仕事への執念を見せた。
エピソード
- 1994年3月に当時の細川護煕首相と会食した際、首相が「もう辞めたい」とこぼした事を報道陣に暴露し騒然となる。細川は一ヶ月後退陣に追い込まれた。
- 一度テレビ番組の企画で同じ政治家の浜田幸一と「コロムビア・トップ・ラスト」で漫才をやった事がある。また、晩年は内海桂子と共に漫才を行うこともあった。
- 1990年の夏、笑点に出演した時のこと。大喜利の第3問で「田舎にいる母親(司会者)が、息子(大喜利メンバー)へ『お前、帰って来なさいよ』と言うので、答を返す」というお題が出た。このお題に林家こん平が「お母さん。政治家というのはね、夏休みを返上して国民のために働くのが本当の務めなんだよ。笑点に出て、漫談なんかやってちゃ駄目なんだよ」と答えたところ、舞台の袖にいたコロムビア・トップが鬼の形相で飛び出して来た。トップは一拍の間を置いた後、こん平を突き飛ばし、座布団を全部取り上げて下がった。大喜利への乱入という前代未聞の珍事に場内は大爆笑。当時の司会者だった五代目三遊亭圓楽は「よく言った!!こん平さんに座布団5枚!!」と言って締めた。
- 1990年11月21日に日本コロムビア版の日本語吹き替えとしてビデオで発売された『早射ちマック 昇天ビスケット/他』では、コロムビア・トップがナレーション役を演じた。
出演番組
著書
- 『珍ゲームと福引』コロンビア/トップ・ライト 鶴書房 1964
- 『恍惚のお遊び トップの青春千夜一夜物語』日本文華社 文華新書 1967
- 『司会者用せりふ入り歌謡集』編著 三交社 1973
- 『オレは芸人議員だ』商業経済新聞社、1988年12月25日。
脚注
関連項目
外部リンク
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第1回 (定数100) |
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†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。 |
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↓:途中辞職・在職中死去など、▼:除名、↑:繰上げ当選、x:繰上げなし |