飯田 精太郎(いいだ せいたろう、1885年(明治17年)9月8日[1] - 1952年(昭和27年)3月7日[1])は、明治末から昭和前期の鉄道技術者、政治家、華族。貴族院男爵議員、参議院議員。
経歴
山口県出身。陸軍士官・飯田俊助、マサ夫妻の長男として生まれる[1][2]。1907年(明治40年)京都帝国大学理工科大学電気工学科を卒業[2][3]。父・俊助の死去に伴い、1914年(大正3年)4月23日、家督を相続し男爵を襲爵した[1][4]。
1908年(明治41年)臨時台湾工事部嘱託に就任[3]。以後、臨時台湾工事部技師、鉄道技師、鉄道省新橋電力事務所長、同東京電気事務所長、同電気局長、運輸通信次官、技術院参与、鉄道電気工業 (株) 相談役、鉄道電化協会会長、鉄道会議議員、工作機械製造事業委員会委員、帝都高速度交通営団評議員、産業設備評価中央委員会委員などを務めた[2][3]。
1935年(昭和10年)12月7月、補欠選挙で貴族院男爵議員に選出され[5]、公正会に属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[3]。
戦後、1947年4月、第1回参議院議員通常選挙に全国区から出馬し当選(任期3年)[3]。緑風会に属し、参議院電力問題に関する特別委員長を務めた[3]。次の第2回通常選挙には出馬せず、参議院議員を1期務めた[3]。
1952年3月7日死去、66歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈(勲三等からの昇叙)[6]。
親族
脚注
- ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成 上巻』83-84頁。
- ^ a b c 『人事興信録 第14版 上』イ92頁。
- ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』63、244頁。
- ^ 『官報』第519号、大正3年4月24日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、44頁。
- ^ 『官報』第7562号429頁 昭和27年3月25日号
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
議会
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先代 周布兼道
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貴族院決算委員長
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次代 廃止
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日本の爵位
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先代 飯田俊助
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男爵 飯田(俊助)家第2代 1914年 - 1947年
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次代 華族制度廃止
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第1回 (定数100) |
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†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。 |