中山 秀征(なかやま ひでゆき、1967年〈昭和42年〉7月31日 - )は、日本のタレント、司会者、俳優、元お笑いタレント。ワタナベエンターテインメント所属。愛称はヒデちゃん・ヒデさん。キャッチコピーは「ボクが来たからもう大丈夫!」。
群馬県藤岡市出身。身長173cm、体重58kg。藤岡市立神流小学校[1]→藤岡市立北中学校[2](3年の2学期まで[3][4])→川崎市立柿生中学校(3年の3学期のみ[3][4])。妻・白城あやか(元宝塚歌劇団星組トップ娘役)との間に4人の息子がいる。長男の中山翔貴は2022年に俳優として芸能界デビューした[5]。
来歴
実家は工場「中山縫製」を経営していた。中山も少年時代に永谷園のお茶漬けの袋詰を手伝った事がある。当時工場ではラジオをつけ、流行歌や歌謡曲をBGMにした状態で従業員が仕事をしていた。中山は工場の休憩時間に殿さまキングス、フィンガー5、御三家(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)、石原裕次郎らの歌を歌い、従業員に握手して回るなど歌手の真似事をしていた[6][7][8][9]。
芸能界への憧れを抱いたのは5歳の頃。両親に連れられ訪れた遊園地「カッパピア」で行われていたフィンガー5のイベントを観覧した際のこと。客席の子どもたち数名がステージにあがってメインボーカルの晃と一緒に歌えるコーナーが設けられ、中山も受付に向かったがちょうど自身の前で締め切られて悔しい思いをした。その時に「客席で熱狂するより、ステージに立ちたい」と自覚したという[注釈 1][12]。
小・中学校時代には、“芸能人野球大会で活躍したいから”という理由で野球を始め、“アクションも出来るように”という理由で器械体操、“カッコよくサインを書くために”という理由で書道も習った[12]。中学時代には友人と共にたのきんトリオを真似た『クソガキトリオ』を結成。当時、大人気だった田原俊彦が衣装に取り入れていたレッグウォーマーを母に頼んで作って貰って着用した[6]。この頃には既に自身のサインを考え、同級生らに「必ず価値が出るから」と渡して回った[13]。また、「将来、写真週刊誌「FOCUS」などに過去の自分が掲載されるのは嫌だ」という理由で女子生徒との2ショット写真を撮らないよう、注意を払って生活していた[14]。
その後俳優を志し、3ヶ月でデビューできなければ辞めるつもりで、1981年に東京の児童劇団「エヌ・エー・シー」に入団した。それから3ヶ月後、火曜サスペンス劇場『狙われた女教師』(1982年4月20日、日本テレビ系列)の準主役を射とめて芸能界デビューした。学校や近所で話題になるが、長くは続かず、その後はオーディションを受けても落ちる日々が続く。母を説得した末に東京近郊の高校へ進学するため、中学3年の3学期から神奈川県川崎市の中学校へ転校した。知人や学校の教師の家に下宿しながら数々の芸能事務所のオーディションを受け続ける[12]。当時周囲につけられたニックネームは「グンマ」だったという[11]。本人は15歳で上京した理由について「自分でもわからない」「無鉄砲だった」と振り返っている。また、下宿先では周囲との関係が上手くいかず、自死を意識したこともあると語っている[6][15]。
1984年、渡辺プロダクションの新人募集オーディション[注釈 2]に歌手として合格。しかし「歌も芝居もいまいち(本人談)」で、当時のマネジャーに「歌や芝居は、バラエティーで天下をとれたら全部やれる」と言われ、藁をもつかむ思いでバラエティ路線を選ぶ事になり[18]、若手お笑いタレントグループ「BIG THURSDAY(ビッグサースデー)」の第1期生として参加(同期には後に『ホンジャマカ』として活動する石塚英彦がいた)[19]。中高生の頃に芸能界入りしたため年上の同期や後輩、同世代の後輩が多い[16][19][20]。
1985年、同プロダクションの松野大介(現在は小説家)とコンビ『ABブラザーズ』を結成した。同年、フジテレビ『ライオンのいただきます』のアシスタントとしてレギュラー出演[注釈 3]。アイドルのルックスを兼ね備えた中山は一気に人気者となった。特に女子中高生らからの人気は凄まじく、生放送の行われていたスタジオアルタで出待ちする少女たちの姿が頻繁に見受けられた。当時中山が住んでいたのは国立市にあった渡辺プロの寮であり電車で往復していたが、ファンが大挙して中山のあとを追い、寮までついていってしまうこともしばしばあったという。
同年10月からニッポン放送にて『ABブラザーズのオールナイトニッポン』(1985年10月 - 1987年7月)を担当し、同性からの支持も集めた。
また、コンビでの活動のみに留まらず、単独でもドラマや映画で主演を務め、アイドル雑誌の表紙を飾ることもあった。1986年9月には念願だったレコードデビューも果たした。
しかし『いただきます』を降板した1989年を境にABブラザーズの人気は低下した。俳優活動やタレント業に力を入れたいと考えてた中山は、お笑い芸人として一貫したいと主張する松野との間に溝を感じ始めた。コンビとしての活動はぎこちなくなり、お笑い番組やライブに出演する機会も激減し、披露するネタも尽きた。
芸能活動の方向性に悩む中山に対して当時のマネジャーは「コンビとしての負けを認めろ。その代わり、お前はこれから1人で戦っていけるから。芝居や音楽も含めて、バラエティとにかく頑張れ」とアドバイスをした。これ言葉を切っ掛けに、中山は単独での仕事にシフトし、ABブラザーズとしての活動は自然消滅する[18][21][22]。1998年に松野は、この時期の中山との関係をモチーフとして自伝的小説『芸人失格』(幻冬舎)を執筆する[23]。
1991年にはフジテレビ『東京ラブストーリー』、TBS『デパート!夏物語』などの人気テレビドラマにバイプレイヤーとして参加。また、1992年から、日本テレビ『DAISUKI!』にレギュラー出演するようになる。松本明子や飯島直子らと交わす和気あいあいとした軽妙なトークと街歩き企画が視聴者の支持を集め、深夜番組であるにもかかわらず最高視聴率14.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)という数字を記録する程の人気番組となる[24]。1994年にはドラマ『静かなるドン』への主演、翌年には音楽番組『THE夜もヒッパレ』(共に日本テレビ)への出演など多方面で活躍した[25][26]。
1995年にはプロボウラーを目指しプロテストも受験するが、スコアが伸び悩み不合格となった[27][28]。
1998年6月、元宝塚歌劇団娘役の白城あやかと結婚し、明治神宮で挙式をした。ちなみに白城との交際や結婚を最初に報じたのは写真週刊誌「FOCUS」であり、見出しには「お姫様と平民の結婚」と書かれていた[29]。
1999年、飯島愛とのコンビでフジテレビ『ウチくる!?』が放送開始(飯島引退後は久保純子、その後中川翔子とのコンビに)、2005年秋には日本テレビ『ラジかる!!』の総合司会を担当し、関東ローカルながら久々に平日の帯番組を持つことになった(金曜日を除く)。中山をはじめとする出演者の自由な雰囲気でのトークやタカアンドトシ、ザ・たっちなど若手芸人の出演もあって夕方ながら高視聴率を叩き出す人気番組に成長する。翌年の春には『ラジかるッ』に改題して昼前の枠に移動し、視聴率10%を超えたこともあった。下記のように否定的な評価が目立った80年代から90年代と異なり時代が尖った笑いから、「雰囲気作りのうまさ」や「人を傷つけない笑い」が高評価されるように変化した事もあり、この頃から業界や芸人内での中山への評価は好意的なものに変わっていく[30]。
2008年(平成20年)12月10日、出身地である群馬県の宣伝を行う「ぐんま大使」に井森美幸とともに任命される[31][32]。
2009年3月30日から『ラジかるッ』・『おもいッきりイイ!!テレビ』の流れを汲み、統合された新番組『おもいッきりDON!』の総合司会に就任し、みのもんたに代わる日本テレビのお昼の顔となった。同年秋改編で第1部の総合司会をビビる大木と岡田圭右(ますだおかだ)に譲り、第2部の総合司会に専念するようになる。2010年3月26日で『おもいッきりDON!』としては終了し、同年3月29日より『DON!』にリニューアルされた。2011年3月25日で『DON!』は終了し、代わって同年4月3日から放送開始した日曜朝8・9時台の『シューイチ』の総合司会に起用された[33]。
『ウチくる!?』終了後のテレビ番組における地上波でのレギュラー番組は『シューイチ』のみのため、平日の番組を中心に他番組にゲスト出演する機会が増えた。1990年代や2000年代などでMCの番組でゲストやレギュラーで出ていた出演者が後に総合司会となり、それらのタレントの番組にゲストで出演するケースもある。例として『DON!』で総合司会を務めていた時の曜日レギュラーに有吉弘行がいたがその有吉が2012年以降MCを務めるレギュラー番組が増えると、有吉がMCを務めた『超問クイズ! 真実か?ウソか?』に中山がゲストで出演することもあった。
人物
テレビでの活動にとどまらずYouTube番組への出演[34][35]、演劇への出演や昭和歌謡などをカバーする『ヒデライブ』などの活動も度々行っている[36][37]。
交流関係
事務所の先輩である松本明子とは公私に渡り交友関係にあり、失言により謹慎していた松本を励ましバラエティー班に誘ったのが中山であった[38]。
若手時代にABブラザーズの前座を務めた経験がある爆笑問題とも共演の機会が多い[39][40]。
木村祐一とも親交が深い[14]。
中山と同じ群馬県出身のタレント・井森美幸と共に群馬県のPRを務める「ぐんま大使」を務めている。
第30回ベスト・ファーザー イエローリボン賞、芸能部門受賞。また、妻が元宝塚歌劇団トップ娘役だったこと等が縁となり、数々のタカラジェンヌと公私にわたって交流がある。2007年、舞台『SHOW店街組曲』で真琴つばさと共演し[41]、2014年9月17日放送の『タイムショック』にゲストとして遼河はるひが出演する等、自身のレギュラー番組でタカラジェンヌがゲストとして出演することも多い。また、2014年6月19日放送のNHK-BSプレミアム『宝塚歌劇 華麗なる100年〜スターが語る夢の世界〜』でも司会を務めた。
フジテレビ『殿様のフェロモン』で共演した今田耕司とは番組に対する受け取り方の違い(詳しくは殿様のフェロモン#今田耕司と中山秀征をめぐるエピソードを参照)により反りが合わなかったが、2011年に共通の飲み仲間である松尾陽介(元ザブングル)の仲介により和解した[30]。
吉田栄作とは挨拶が無視されたのをきっかけに初対面から2年間は不仲であったが、お互いに矢沢永吉のファンだという事が判明してからは打ち解けている[42]。
後輩ではふかわりょうと仲がいい。ふかわが音楽活動を拡大していくか悩んでいた時に中山が「お笑いだけを極めるのは芸人としてもちろんかっこいいが、お笑いだけでなくオールマイティーに活動していくことも芸能界で生き残っていくためには重要」と背中を押したという。
大人になって以降も野球では熱心な読売ジャイアンツのファンであり、多くの球界関係者との交流がある[43]。
志村けんを「師匠」と呼ぶ程慕っており、番組で共演したり、2000年からは誕生日会の幹事を務めるなど公私ともに交流があった[44][45]。
趣味・特技
俳優では石原裕次郎や渡哲也に憧れていた[39]。
業界用語(ズージャ語)を使う事を得意としており、度々披露している[46][47]。
兄の影響で始めた書道に関しても度々腕前を披露している[48]。2024年には地元・群馬県藤岡市にて個展を開催した[49]。
野球好きが高じて草野球チーム『ジェットキッズ』を結成した[50]。
喫煙者であり、50歳になってからは電子タバコに変えた。禁煙はしたいものの踏ん切りがついていないと語っている[51]。
評価
上述のような理由で芸能界入りし複雑な経緯で活躍の仕方が変わったため、自身の職業を「歌手でも俳優でもお笑いでもない」とし「テレビタレント」と名乗っている[12]。また、太田光はそんな中山の才能を認めたうえで「苦労人」と評している[52]。
『ライオンのいただきます』で司会を務めた小堺一機は中山の事を「芸能界に向いている」「好奇心があったから」「今のままで全然いい、自分の椅子を確立している」と評価している[6]。
自身の芸能界における立ち位置については「子供のころからお調子者で、テレビの中の楽しそうな雰囲気に憧れたんです。だから、芸を極めるとかではなく、生放送にもうまく反応し続けて、何だか楽しそうな番組だなって雰囲気作りをすることが、僕の持ち味だと思ってきました」と語っている[23]。
愛想の良さ、誰に対しても気さくな性格が高く評価されており、ファンおよびスタッフや共演者に親切に接する姿が報じられた事もある[23][53]。
お笑い第三世代が台頭する以前はABブラザーズは関東の若手お笑い芸人代表格の一組として扱われており[20]、それに対する違和感からダウンタウン、今田耕司、東野幸治といった主に関西勢の芸人からは敵視されていた[20][23]。
ナンシー関には「なまぬるいバラエティー番組全盛の状況が産んだスター。テレビを見ている私には全く関係のない『(芸能界内の)しがらみ・関係性・その他諸事情』のみでスムーズに回っているブラウン管の中の和気あいあい。中山秀征はこれらの象徴的存在だ」とコラムで言われていた[54]。中山はこういった批判を「悪評も評価のうち」と自らを鼓舞し、そのスタイルと芸風を貫いた[55]。
松本人志の著書『遺書』(1994年、朝日新聞社)には「レギュラー番組を十数本持ったことを自慢していたタレント」を批判する文章が掲載されており、その人物が中山の事ではないかと一部で囁かれ共演NG説まで流れていた[56]。一方で松本は『ラジかるッ』『シューイチ』のインタビューに『笑ってはいけないシリーズ』の番宣でVTR出演している。なお、中山は前述のお笑い第三世代の台頭を「絶対に勝てるわけがないと思った」、中山自身の台頭を「自分の意図しないところで人気者になってしまい、必死になって努力したが、ABブラザーズとしてのコンビとしての敗北を認めることで少し自分は変わった」と回想し、その思いをゲスト出演した『ホンネ日和』で中山の友人であり、松本とも友人関係にある木村祐一[注釈 4]に漏らしている。また、YOUは、この事実を知り「そんな苦悩を抱えていたとは知らなかった」と驚いた旨を述べた[14]。
前述の通り、番組に対するスタンスの違いが生じた今田は、のちに考えを改め「『ラジかるッ』はむちゃくちゃ面白い番組だったのに、なんで終わったんだろうね」「いま考えたら、あの当時(『殿様のフェロモン』の頃)からテレビのことをわかってたのはヒデさんだった。今の自分だったら理解できるけど、あの当時はまったく理解できてなかったんだよ」「『あのときの俺は間違ってた』って今はハッキリ思う」「当時いちばんスターの秀ちゃんが、いちばん被害を受けたと思う。ほんまに申し訳ないとしか言いようがない」と反省の弁を述べている[20][30]。
単独での活動に移行した直後は度々関西の番組にゲスト出演し、上岡龍太郎、桂三枝、島田紳助、やしきたかじんと共演して可愛がられた。特にたかじんは中山を批判したタレントに対して「ヒデのどこがアカンねん! お前、中山秀征の何が分かっとんねん!」と反論していた[58]。
エピソード
自身が番組でゲストを迎える時の接し方は「わが家に呼ぶのと一緒」と語っている[51]。
「どんなときでも態度を変えないこと」が自身が長く活躍できた理由であったと述べており「少し売れると態度が変わり、落ちていく人をたくさん見た。僕は後輩に教えられることは特にないですが、(態度を変えないことを)やめなかったから、チャンスが回ってきたんだと思います」と語っている。祖母からは「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と謙虚でいることの大切さを説かれたという[51]。
自身のスタンスは「聞く耳は持つけれど鵜呑みにはせず、批判は受けるが迎合せず我が道を行く」であると語っている[59]。
子育てで大事にしていることとして「うちはうち、人は人」「その家族のルールというものを自信を持って作っていくこと」と語っている[60]。
芸能界デビューした頃は出身地の話をしないタレントも多くいたが、当時から中山や井森は群馬出身であることを積極的に話題にしていた[61]。
違法薬物の存在および薬物乱用を「とにかく一度でも手を出してはいけない」「薬物を買うことで自分だけではなく社会を破壊していくと言うことになりますね」と批判しており[62]、自身が出演している情報番組でも薬物事件の話題が取り扱われるほか[63]、ラジオ番組でも麻薬取締官をゲストに招き違法薬物の危険性を啓蒙した[62][64]。2019年に所属タレントや社員に向けて同様の内容を啓蒙したコンプライアンスセミナーも受講している[65]。なお、過去に違法薬物に関連する飛ばし記事をスポーツ新聞に書かれたことがある旨をゲスト出演した『太田上田』(中京テレビ)で語っている[43]。
お笑い芸人による闇営業問題については「会社を通せば会社の責任だけど、個人で受けたら個人の責任になっちゃう」「何のために(芸能事務所に)所属しているかっていうことを、改めて考えるべきではないかなと思います」と警告している[66]。
出演
テレビ
現在の出演番組
- レギュラー番組
- 準レギュラー番組
- スペシャル番組
過去の出演番組
- レギュラー番組
- スペシャル番組
ラジオ
現在の出演番組
過去の出演番組
テレビドラマ
- 火曜サスペンス劇場「校内暴力殺人事件 狙われた女教師」(1982年4月20日、日本テレビ系列) - 香山さとる 役
- 高校聖夫婦(1983年、TBS系列)※エキストラ出演
- 青い瞳の聖ライフ(1984年、フジテレビ系列)
- ハーフポテトな俺たち(1985年、日本テレビ系列) - 主演・野村薫 役 ※初の主演作品
- 月曜ドラマランド(フジテレビ系列)
- HEND24 1/2「CAESERS PALACE(シーザースパレス)」(1986年10月 - 1987年3月、日本テレビ) - 主演
- 瑠璃彩夢物語(るりいろるーじゅ)(1987年、日本テレビ系列) - 主演・夏目圭一 役
- 美少女学園(1987年 - 1988年、テレビ朝日系列)
- ときめきざかり(1988年、フジテレビ系列)
- ミスマッチ(1988年、テレビ朝日系列)
- 強力45(フジテレビ)
- 熱いハートの声をきけ!(1988年12月106日)
- トラ(1989年3月6日4)
- 季節はずれの海岸物語 砂浜のDESTINY(1988年1月3日、フジテレビ系列) - 勇次 役
- 華の別れ(1989年、東海テレビ制作・フジテレビ系列) - 真吾 役
- 抱きしめたい!'90(1990年、フジテレビ系列) - 片山リョウ 役
- 世界で一番君が好き!(1990年、フジテレビ系列) - 万吉の同僚 役
- DRAMADAS「4月4日に生まれて」(1990年6月2日、関西テレビ) - 主演
- 芸能社会(1990年、TBS系列) - 正志 役
- ドラマチック22「姉貴の恋人」(1990年11月10日、TBS)
- 東京ラブストーリー(1991年、フジテレビ系列) - 渡辺 役
- デパート!夏物語(1991年、TBS系列) - 国広晴彦 役
- 不思議な幻燈館 第十一幕「夢のバックステージ」(1991年6月11日、テレビ朝日)
- 映画みたいな恋したい(テレビ東京)
- 恋しくて(1992年2月15日)
- インディジョーンズ(1992年11月28日) - 主演
- 劇的空間(ドラマティック・スペース)「卒業」(1992年3月6日 - 27日、日本テレビ系列)
- 誰か教えて(1992年7月18日、フジテレビ)
- DAISUKIドラマ「クリスマスキャロルの頃には」(1992年12月19日、日本テレビ)
- ネオドラマ「寝た子に乾杯!」(1993年、テレビ朝日系列)
- 嘘つきは夫婦のはじまり(1993年、日本テレビ系列) - 友情出演
- ぽっかぽか(1994年、TBS) - 友情出演
- 静かなるドン(1994年10月 - 1995年3月、日本テレビ系列) - 主演・近藤静也 役
- 静かなるドン リターンズ(1995年9月23日) - 同上
- 静かなるドンFOREVER(1996年4月12日) - 同上
- 花嫁は16才!(1995年、テレビ朝日系列) - 主演・立花直人 役
- 木曜の怪談 MMR未確認飛行物体(1996年4月18日 - 9月19日、フジテレビ系列) - 主演・踝透 役
- 木曜の怪談 MMR未確認飛行物体SPノストラダムスの大予言(1996年12月5日・12日) - 同上
- 恋愛前夜いちどだけ2 第三話「隣人愛」(1996年9月18日、日本テレビ) - 主演
- 別れたら好きな人(1999年、テレビ東京系列) - 細川要 役
- 「ミヤコ蝶々物語」〜いちずに生きた。わろうて、泣けた〜(2000年1月7日、テレビ東京系列) - 南都雄二 役
- 編集王(2000年、フジテレビ系列) - 青梅広道 役
- 世にも奇妙な物語 春の特別編「記憶リセット」(2000年3月27日、フジテレビ系列) - 辻村啓太 役
- 金田一少年の事件簿 速水玲香誘拐殺人事件(2001年8月25日、日本テレビ系列) - 特別出演
- 弟(2004年、テレビ朝日系列) - チャーリー・桜田 役
- 上を向いて歩こう〜坂本九物語〜(2005年8月21日、テレビ東京系列) - 岸部清 役
- プレミアムドラマ「人生、成り行き 天才落語家・立川談志 ここにあり」(後編)(2013年8月18日、NHK BSプレミアム) - 主演・立川談志 役
- 4号警備(2017年、NHK総合) - 原正 役
映画
ビデオ
- ネイビー・ロック・ウォー 撃破せよ!(1990年12月21日、ビクターエンタテインメント、監督:泉谷しげる)
- ダンディとわたし(1991年2月1日、日本ビデオ映画、監督:神代雅喜) - 角巻圭一 役
テレビアニメ
- 名探偵コナン(読売テレビ制作・日本テレビ系列、1997年4月28日) - 本人 役[75]、
- 『TVおじゃマンボウ』の企画、声優として参加した。ちなみにその回では、中山が番組と同名の清掃会社の社長役を演じており、他に従業員役として藤井恒久、麻木久仁子、角田久美子が出演している。
- ヤッターマン 第39話(読売テレビ制作・日本テレビ系列、2009年4月26日) - 本人 役
- シューイチ オリジナル短編アニメ(2012年10月28日、日本テレビ)
- 009(島村ジョー)や003(フランソワーズ・アルヌール)と共演しており、009と同様の加速装置を発動させながら番組衣装を脱ぎ捨て、彼らと同様のサイボーグ姿となっている。
劇場アニメ
CM
ディスコグラフィ
シングル
アルバム
スタジオ・アルバム
カバー・アルバム
#
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発売日
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アルバム
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規格
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規格品番
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ユニバーサルミュージック / ZEN MUSIC
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1st
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2017年8月2日
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50
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CD
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UPCH-2135
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タイアップ一覧
DVD
書籍
写真集
脚注
注釈
- ^ 後に晃とは2017年に『シューイチ』や恵比寿ザ・ガーデンルームで行われた中山のライブ『50th Anniversary Live』で共演している[10][11]。
- ^ 当時渡辺プロダクションが開催した『第二の吉川晃司オーディション』。このエピソードが語られる際には中山と吉川の芸風が異なる事もあって共演者に驚かれる事が多い[16]。中山によると一次審査では「ギャランドゥ」(西城秀樹)、「夢芝居」(梅沢富美男)、「春なのに」(柏原芳恵)を歌った音源をカセットテープに吹き込み送付したという[17]。
- ^ 当時、高校に在学中であったが、平日昼の帯番組のレギュラーであったため、学校に通うことが難しくなった(2024年6月19日放送「垣花正 あなたとハッピー!」にて発言)。
- ^ 2012年5月8日に吉本興業東京本社で行われた木村と西方凌の結婚披露パーティーには松本と中山が出席している[57]。
- ^ a b c d 「明日」は誤記[76]。
出典
関連項目
- みのもんた - 『おもいッきり』シリーズの前任司会者
外部リンク
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★は九州事業本部、▲は関西事業本部、△は名古屋事業本部所属。 |
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パネリストのうち一部は曜日企画を兼務。(女性芸人) はいずれも不定期出演。 曜日は太字で表記。パネリスト、曜日企画などの担当は、担当出演者の前もしくは後ろに表記。 水曜日は曜日企画が二つあり、隔週交代で放送されている為に曜日企画担当者としては共演していない。ハライチの担当企画は (水曜日A)。ヨネスケの担当企画は (水曜日B) と表記する。 神田沙也加とヨンアは、隔週交代で出演。 |
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