ABブラザーズのオールナイトニッポン

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ABブラザーズのオールナイトニッポンは、1985年10月12日から1987年7月までニッポン放送で放送していたオールナイトニッポンの番組。パーソナリティーは、ABブラザーズ中山秀征松野大介のコンビ)。

概要

長年放送されていた『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』の後継番組として、土曜日のオールナイトニッポン(後に第1部のみ)で放送された。なお、レギュラーでの4時間通してのオールナイトニッポンは1997年10月放送開始の西川貴教のオールナイトニッポンまでなかった。当時ABブラザーズは結成1年目での起用だった[1]

ABブラザーズというコンビ名が自分たちの血液型に由来していることから、一般投稿者にはハガキに自分の血液型を書いてもらい、本名もしくはラジオネームのあとに「*型」と読むのを常とした[1]

4時間放送時代(1985年10月 - 1986年4月)、「ABブラザーズANNファミリー」として、当時ABブラザーズと同じ渡辺プロ所属だった湯江健幸金山一彦が「タケとキンタ」コンビとして午前3時以降のパート(土曜2部枠)にレギュラー出演していた[2]。当時は二人とも18歳であり、18歳は午前3時以降に仕事をしてはいけないという規則があったため、2部枠は同日、生放送(1部枠)の前に事前録音したものを放送していた[3]

放送時間

  • 1985年10月 - 1986年4月(土曜 25:00 - 29:00)
  • 1986年4月 - 1987年7月(土曜 25:00 - 27:00)

主なコーナー

  • 『おいらの家は地蔵前』- リスナーがそれぞれ自分の住んでいる所の田舎ぶりを競い合った[1]
  • 『我こそは親衛隊』- アイドルの親衛隊が電話出演。アイドルの曲をかけて、これに合わせてコールをする[1]
  • 『おさな妻』- 前番組『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』のエロ要素を受け継いだ形の、エッチな電話トークをするコーナー[1]
  • 『TV視聴率アップダウンクイズ』- テレビ番組をいくつか採り上げ、それらの番組の次の週の視聴率をリスナーと共に予測[4]
  • ドクター・ナベ(渡辺祐)のコーナー

コラボレーション企画

コンピュータRPG桃太郎伝説』の製作が決定した際、『週刊少年ジャンプ』の読者投稿コーナー「ジャンプ放送局」とコラボレーション。同番組内にゲーム開発者のさくまあきら、イラスト担当の土居孝幸らが出演する1コーナーが設けられた。リスナーからゲーム内で使用するギャグやアイデアを募った。採用者はエンディングクレジット「スペシャルサンクス」に名前が表示されている。なお、ABブラザーズのふたりも「マッちゃん」「ヒデちゃん」としてクレジットされている。

脚注

  1. ^ a b c d e 日本懐かしラジオ大全(辰巳出版、2021年11月5日初版発行)p.53
  2. ^ 週刊テレビ番組(東京ポスト)1985年12月6日号 p.30「金山一彦プロフィール」
  3. ^ 中山秀征 18歳で初MCに抜てき 当時を振り返り「プレッシャーとかは、あまり気付いていなかった」”. スポーツニッポン (2022年7月10日). 2024年10月26日閲覧。
  4. ^ 『オールナイトニッポン大百科』1997年、主婦の友社、159ページ
土曜
前担当
ABブラザーズのオールナイトニッポン
土曜 25:00 - 29:00
次担当
1985年オールナイトニッポンパーソナリティ
曜日 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
月曜 中島みゆき
火曜 桑田佳祐 とんねるず
水曜 THE ALFEE 小峯隆生
木曜 ビートたけし
金曜 山口良一 サンプラザ中野
土曜 笑福亭鶴光 ABブラザーズ

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