鹿島アントラーズのアカデミー(かしまアントラーズのアカデミー)は、鹿島アントラーズの選手育成組織[1][2]。
アカデミー全体の概要
アカデミーの構成
鹿島アントラーズのアカデミーでは年代別の選抜チームとして、第2種(U-18、高校生年代)の「ユース」、第3種(U-15、中学生年代)の「ジュニアユース」、第4種(U-12、小学生年代)の「ジュニア」がある。ユースはトップチームと同じく鹿島(鹿嶋市)を拠点とし、ジュニアユースとジュニアはそれぞれ、鹿島、ノルテ(日立市)、つくば(つくば市)と3拠点にチームがある[3]。また、「スクールコース」は幼稚園生以上を対象に週に1回から3回活動しており、2017年時点で17か所約3,000名の生徒がいる。こうしたユース、ジュニアユース、ジュニア、スクールコースは、次のようなピラミッド構造を形成している。
鹿島アントラーズ アカデミーの構成 2017年時点
カテゴリー |
登録種別 |
年代 |
拠点
|
ユース |
第2種 |
高校生 |
鹿島
|
ジュニアユース |
第3種 |
中学生 |
つくば |
鹿島 |
ノルテ
|
ジュニア |
第4種 |
小学6〜4年生 |
つくば |
鹿島 |
ノルテ
|
スクールコース |
小学6〜1年生 幼稚園 |
県南・県西エリア |
鹿島エリア |
県北エリア
|
アカデミーの沿革
鹿島アントラーズ創設時の1992年に、育成組織としてユース、ジュニアユース、ジュニアの3チームが新規に活動を開始した[4]。開校当時のジュニアでは応募数が募集人数に満たないこともあった[5]。1995年には、週に1回サッカーを楽しむためのクリニックコースがスタートした。クリニックコースは2016年に、スクールコースと改称している。なおスタート時は、ユース以下の鹿島アントラーズの育成組織全体が「鹿島アントラーズスクール」と呼ばれていた。鹿島アントラーズの育成組織を管轄するスクールマスターは、小松義典があたった。
地域ハンディへの挑戦
鹿島アントラーズ強化部長の鈴木満は、ホームタウンの人口が少なく優れた人材が限られているためにアカデミーからトップで通用する選手が出てくるのがむつかしいという地域ハンディが鹿島にはあると述べている[6]。神奈川県のクラブであれば3万人から5人の選手を選べるのに対し、鹿島では50人から5人の選手を選んでいるという。こうした地域ハンディを克服するために鹿島アントラーズのアカデミーでは、ジュニアユースやジュニアの拠点を3ヶ所にしたり、ユースにおけるユース寮や毎日の食事、高校との連携などの改革を行ったりしている。
決算
鹿島アントラーズのアカデミーに関する決算は、つぎのとおり。
アカデミーの決算
年度 |
収入 |
経費 |
所得
|
2011 |
233 |
144 |
89
|
2012 |
270 |
173 |
97
|
2013 |
269 |
166 |
103
|
2014 |
266 |
159 |
107
|
2015 |
285 |
166 |
119
|
2016 |
283 |
149 |
134
|
2017 |
276 |
165 |
111
|
鹿島ユース
ユースは、第2種(U-18、高校生年代)の選抜チーム。アカデミーの最終カテゴリーであり、選手たちのトップチーム昇格を目指して活動している。ユースの選手は、鹿島、ノルテ、つくばという3つのジュニアユース出身者と、全国からスカウトされた選手、ユースチーム選考会で選ばれた選手からなる。
高円宮杯U-18サッカーリーグでは2017年時点で、日本の高校生年代の1部リーグであるプレミアリーグイーストに所属している。Bチームは、茨城県リーグ1部に所属している。
また毎年、日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会とJリーグユース選手権大会に全国大会優勝を目指して参戦しているほか、Jリーグ U-16チャレンジリーグや波崎ユースカップに参戦している。
沿革
1992年の活動開始からの10年
鹿島アントラーズユースは、鹿島アントラーズが誕生した1992年から活動を開始した[7]。1995年にGKの市川友也がチーム初となるトップチーム昇格を決め、1997年にはGKの曽ヶ端準がトップチーム昇格となった。
1998年、第6回Jリーグユース選手権大会で優勝。このときの優勝メンバーのうち、3年生の4選手はこの年に、2年生の野沢拓也と根本裕一は翌1999年に、それぞれトップチームへの昇格を決めた。また、野沢は1999年に2種登録選手としてトップのリーグ戦に初出場した。このように昇格が相次いだ結果、2000年から2001年にかけて、トップチームにはユース出身選手が7名在籍することとなった。曽ヶ端と野沢は後年、トップチームの主力として活躍している。
ユース監督は、1993年は藤代伸世、1994年は椎本邦人がつとめた。1995年、椎本はスカウト部に転出し、後任は山崎勇次となった。山崎は2002年までユース監督をつとめた。
2002年から2010年まで
2001年以降、鹿島アントラーズユースでは2010年までの10年で9名の選手が昇格した。とくに第12回Jリーグユース選手権大会優勝などの実績を残した2004年は、3選手が昇格した。しかし、曽ヶ端と野沢に続いてトップチームの主力として活躍する選手は現れなかった[8]。こうした状況は、2010年に昇格が決定した土居聖真が2013年に主力となるまで続いた。
2003年に開始したプリンスリーグで鹿島ユースは当初、茨城県リーグに参戦。2004年に茨城県リーグ1部で優勝し、2005年からプリンスリーグ関東に参戦した。2011年に開始した高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグの初年度は、2部リーグ相当の関東プリンスリーグに参戦することになった。
ユースの監督は、2003年から2007年までは河崎淳一、2008年と2009年は古賀聡がつとめた。2010年は、監督が土田哲也、コーチが鹿島アントラーズでFWだった長谷川祥之という「トップ2」の体制となった[9]。
この頃までのユースについて、ジュニアユースからユースに昇格しただけで満足したりクラブ活動のつもりでプレーしたりする選手もいたようだと、鈴木満強化部長は振り返っている[6]。
2011年の改革
2011年、鹿島ユースは本年を「改革元年」と位置づけ、体制を刷新した[10][11]。「プロとユースの関係をスムーズにしたい。プロの監督がやっているブラジル流のやり方をユース以下にも導入したい」という理由から、ブラジル人のキッカが新監督に就任した。また、鹿島アントラーズの元MFで前年まではスカウトだった熊谷浩二がコーチに就任した。
キッカ監督のもと、鹿島ユースは2011年のプリンスリーグで優勝。参入戦も勝ち抜き、翌2012年のプレミアリーグ昇格を決めた。2012年と2013年、プレミアリーグイーストのリーグ戦で残留し、キッカ監督は3年で退任した。後任として熊谷浩二がコーチから監督となった。この間、トップ昇格者は、2011年が3名、2013年が1名であった。
熊谷浩二監督のもと、鹿島ユースは2014年の第22回Jリーグユース選手権大会で優勝。2015年には高円宮杯U-18サッカーリーグ チャンピオンシップを初制覇した。また、アジア・チャンピオンズ・トロフィー U-18(ACT U-18)に日本のユースチームとして初参加し、優勝した[12]。トップ昇格者は、2014年は鈴木優磨ら2名、2015年は4名であった。
年表
- 1992年 - ユースの活動開始
- 1994年 - 市川友也がトップチーム昇格決定。初のトップチーム昇格
- 1997年 - 曽ヶ端準がトップチーム昇格決定
- 1998年 - 第6回Jリーグユース選手権大会優勝。4選手がトップチーム昇格決定
- 1999年 - 野沢拓也、鹿島ユース在籍の2種登録選手で初のJリーグ戦出場、トップチーム昇格決定
- 2003年 - プリンスリーグが開始。鹿島ユースは茨城県リーグに所属
- 2004年 - 鹿島学園高校と提携開始
- 2004年 - 第12回Jリーグユース選手権大会優勝。茨城県リーグ優勝、プリンスリーグ関東に昇格決定。3選手がトップチーム昇格決定
- 2010年 - 土居聖真がトップチーム昇格決定
- 2011年 - 高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグが開始。鹿島ユースはプリンスリーグ関東1部に所属
- 2011年 - キッカ監督就任
- 2011年 - 明治製菓(のち、明治)と栄養管理の連携開始
- 2011年 - プリンスリーグ関東優勝、参入戦勝利、プレミアリーグ昇格決定。3選手がトップチーム昇格決定
- 2014年 - 熊谷浩二監督就任
- 2014年 - 第22回Jリーグユース選手権大会優勝。鈴木優磨ら2選手がトップチーム昇格決定
- 2015年 - ACT U-18に参加、優勝。高円宮杯U-18チャンピオンシップ獲得。4選手がトップチーム昇格決定
- 2018年 - プレミアリーグイースト優勝。2選手がトップチーム昇格決定
年度別戦績と歴代監督
2002年度までの成績は、次のとおり。
JFAプリンスリーグU-18が開始した2003年度から2010年度までの成績は、次のとおり。
高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグが開始した2011年度からの成績は、次のとおり。
鹿島アントラーズユースBチームの年度別成績は、次のとおり。
鹿島アントラーズユースBチーム 年度別成績
年度 |
所属 |
勝点 |
勝 |
分 |
敗 |
順位 |
出場権または降格
|
2012 |
茨城県東地区A |
25 |
8 |
1 |
0 |
優勝 |
茨城2部へ昇格
|
2013 |
茨城2部A |
39 |
13 |
0 |
1 |
優勝 |
茨城1部へ昇格
|
2014 |
茨城1部 |
24 |
7 |
3 |
8 |
7位 |
|
2015 |
茨城1部 |
28 |
8 |
4 |
6 |
3位 |
|
2016 |
茨城1部 |
25 |
7 |
4 |
7 |
5位 |
|
2017 |
茨城1部 |
26 |
7 |
5 |
6 |
5位 |
|
2018 |
茨城1部 |
35 |
11 |
2 |
5 |
2位 |
|
出典: 茨城県サッカー協会 第2種
ユース選手の生活
年間大会スケジュール
1年を通じて、高円宮杯U-18サッカーリーグ、日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会、Jリーグユース選手権大会などに参戦している。
鹿島ユースの年間大会スケジュール
月 |
大会
|
1 |
|
|
|
2
|
3 |
U-16リーグ
|
4 |
高円宮杯リーグ |
|
5 |
クラブユース杯
|
6
|
7
|
8
|
9
|
10 |
Jユース杯
|
11
|
12 |
波崎ユース杯
|
出典: 『KASHIMA ANTLERS YEAR BOOK 2016』株式会社鹿島アントラーズ エフ・シー、2016年、106頁。
そのほかに、海外遠征への参加や、2015年のACT U-18などのような不定期の大会参戦もある。
練習
主な練習場はアントラーズクラブハウスグラウンド。
トップチームの練習や紅白戦にユースの選手が参加することもある。トップチーム春季キャンプには、何人かのユース選手が参加することが多い。
特に2013年にトップチームがトニーニョ・セレーゾ監督になってからは、トップチームとユースとの連携が密になった[13]。
ユース寮
全寮制となっており、ユースの選手は全員がユース寮で生活する[2]。
ユース寮の建物はエア・ウォーター社の社員寮を利用している。各選手に1人部屋が割り当てられており、トレーニングルーム、ミーティングルーム、大浴場が備わっている。また、寮管理のためにアカデミーのコーチ陣が寝泊まりしている[6]。
毎日の食事
ユース寮の毎日の食事は、2011年から明治と連携した栄養管理がされている[2]。また、体作りやコンディション維持のために食べるものを自分自身が選択する「技」を身につけることを目的に、ユース選手を対象とした栄養セミナーを開催している。
高校との連携
鹿島学園高校と2004年から提携しており、ユースの選手は全員、鹿島学園高校に通学する[2]。
授業の時間割を調整するなど、サッカーの練習との両立が配慮されている。
海外遠征
国際体験を積むために、積極的に海外遠征をしている。
2012年以降、2年に1度ずつ鹿島学園の修学旅行としてスペイン遠征を実施している。
スペイン遠征では、FCバルセロナやアトレティコ・マドリードなどのユース年代チームと試合を重ねるほか、観光やリーガ・エスパニョーラの試合観戦をする[14]。
また、韓国、中国、マレーシア、香港などへも遠征して大会に出場している。
選手の進路
トップ昇格やJリーグに入団した選手は、アカデミー出身選手参照。トップ昇格しなかった選手は、大学に進学してサッカーを続けることが多い。ユースチーム卒業後、東京大学に進学した選手もいる[15]。
ジュニアユース
ジュニアユースは、第3種(U-15、中学生年代)の選抜チーム。鹿島アントラーズのジュニアユースには、鹿島(鹿嶋市)、ノルテ(日立市)、つくば(つくば市)の3チームがある。
鹿島ジュニアユース
1992年に活動を開始した。練習場はアントラーズクラブハウスグラウンドや新日鐵住金総合グラウンド。関東ユース (U-15)サッカーリーグの1部リーグに所属している。
年度 |
所属 |
リーグ戦 |
高円宮杯 |
クラブユース選手権 |
Jリーグ U-14 |
Jリーグ U-13 U-13地域リーグ[† 1] |
その他公式戦 |
監督
|
勝点 |
勝 |
分 |
敗 |
順位
|
1992 |
|
|
|
|
|
|
|
|
- |
- |
|
|
1993 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1994 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1995 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1996 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1997 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1998 |
|
|
|
|
|
|
関東予選敗退 |
|
|
|
1999 |
|
|
|
|
|
|
1回戦敗退 |
関東予選敗退 |
|
河崎淳一
|
2000 |
|
|
|
|
|
|
関東予選敗退 |
関東予選敗退 |
|
2001 |
|
|
|
|
|
|
関東予選敗退 |
3位 |
|
2002 |
|
|
|
|
|
|
優勝 |
関東予選敗退 |
|
2003 |
|
|
|
|
|
|
関東予選敗退 |
ベスト8 |
|
森島修
|
2004 |
|
|
|
|
|
|
関東予選敗退 |
県予選敗退 |
|
2005 |
|
|
|
|
|
|
県予選敗退 |
一回戦敗退 |
|
2006 |
|
|
|
|
|
|
関東予選敗退 |
関東予選敗退 |
|
2007 |
関東 |
2 |
0 |
2 |
3 |
12位 |
関東予選敗退 |
GL敗退 |
|
|
土田哲也
|
2008 |
19 |
6 |
1 |
4 |
4位 |
関東予選敗退 |
ベスト8 |
|
|
|
2009 |
7 |
2 |
1 |
8 |
10位 |
関東予選敗退 |
ベスト16 |
|
|
|
2010 |
関東1部 |
15 |
4 |
3 |
4 |
8位 |
関東予選敗退 |
ベスト8 |
|
|
|
森島修
|
2011 |
13 |
3 |
4 |
4 |
9位 |
関東予選敗退 |
関東予選敗退 |
メトロポリタンC 6位 |
メトロポリタンD 5位 |
|
2012 |
35 |
10 |
5 |
7 |
5位 |
関東予選敗退 |
GL敗退 |
メトロポリタンC 優勝 |
|
|
賀谷英司
|
2013 |
13 |
4 |
1 |
17 |
12位 |
関東予選敗退 |
ベスト16 |
メトロポリタンC 2位 |
メトロポリタンC 3位 |
|
2014 |
関東2部 |
51 |
15 |
6 |
1 |
2位 |
2回戦敗退 |
優勝 |
メトロポリタンC 4位 |
関東2部D 4位 |
|
中村幸聖
|
2015 |
関東1部 |
33 |
10 |
3 |
9 |
5位 |
ベスト4 |
1回戦敗退 |
メトロポリタンA 12位 |
関東2部D 5位 |
|
2016 |
25 |
6 |
7 |
9 |
9位 |
関東予選敗退 |
関東予選敗退 |
メトロポリタンA1 6位 |
茨城県1部 1位 |
JFAプレミアカップ 準優勝
|
ノルテジュニアユース
1999年に日立市を中心拠点として活動を開始した。「ノルテ」はポルトガル語で「北」を意味する言葉で[16]、茨城県の県北地域の生徒で構成されている。関東ユース (U-15)サッカーリーグに所属している。
年度 |
所属 |
リーグ戦 |
高円宮杯 |
クラブユース選手権 |
Jリーグ U-14 |
Jリーグ U-13 U-13地域リーグ[† 1] |
その他公式戦 |
監督
|
勝点 |
勝 |
分 |
敗 |
順位
|
1999 |
|
|
|
|
|
|
|
|
- |
- |
|
|
2000 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
土田哲也
|
2001 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
2002 |
|
|
|
|
|
|
|
関東予選敗退 |
|
2003 |
|
|
|
|
|
|
|
県予選敗退 |
|
2004 |
|
|
|
|
|
|
|
県予選敗退 |
|
2005 |
|
|
|
|
|
|
|
県予選敗退 |
|
2006 |
|
|
|
|
|
|
|
関東予選敗退 |
|
2007 |
|
|
|
|
|
|
県予選敗退 |
関東予選敗退 |
|
|
亀谷誠
|
2008 |
茨城県1部 |
16 |
5 |
1 |
1 |
2位 |
関東予選敗退 |
関東予選敗退 |
|
|
|
2009 |
16 |
5 |
1 |
1 |
優勝 |
関東予選敗退 |
関東予選敗退 |
|
メトロポリタンB 5位 |
|
小笠原賢二
|
2010 |
関東2部 |
16 |
5 |
1 |
1 |
優勝 |
関東予選敗退 |
GL敗退 |
メトロポリタンA 7位 |
|
|
賀谷英司
|
2011 |
関東1部 |
15 |
4 |
3 |
4 |
5位 |
関東予選敗退 |
ベスト16 |
メトロポリタンA 7位 |
メトロポリタンA 7位 |
|
2012 |
14 |
3 |
5 |
14 |
12位 |
関東予選敗退 |
関東予選敗退 |
メトロポリタンC 7位 |
メトロポリタンD 5位 |
|
小笠原賢二
|
2013 |
関東2部 |
30 |
9 |
3 |
10 |
7位 |
関東予選敗退 |
関東予選敗退 |
メトロポリタンA 8位 |
|
|
2014 |
24 |
6 |
6 |
10 |
9位 |
関東予選敗退 |
関東予選敗退 |
メトロポリタンC 3位 |
関東2部C 優勝 |
|
2015 |
33 |
10 |
3 |
9 |
6位 |
関東予選敗退 |
関東予選敗退 |
メトロポリタンB 5位 |
関東1部A 8位 |
|
2016 |
41 |
12 |
5 |
5 |
優勝 |
関東予選敗退 |
関東予選敗退 |
メトロポリタンB 4位 |
関東2部D 6位 |
|
つくばジュニアユース
2008年につくば市を中心拠点として活動を開始した。主な練習場はつくばアカデミーセンター。茨城県の県南地域の生徒で構成されている。関東ユース (U-15)サッカーリーグに所属している。
年度 |
所属 |
リーグ戦 |
高円宮杯 |
クラブユース選手権 |
Jリーグ U-14 |
Jリーグ U-13 U-13地域リーグ[† 1] |
その他公式戦 |
監督
|
勝点 |
勝 |
分 |
敗 |
順位
|
2008 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
県予選敗退 |
- |
|
|
|
木村匡志
|
2009 |
茨城県2部 |
19 |
6 |
1 |
0 |
優勝 |
県予選敗退 |
県予選敗退 |
|
メトロポリタンC 6位 |
|
2010 |
茨城県1部 |
14 |
4 |
2 |
1 |
2位 |
関東予選敗退 |
関東予選敗退 |
|
|
|
2011 |
50 |
16 |
2 |
0 |
優勝 |
関東予選敗退 |
関東予選敗退 |
メトロポリタンC 4位 |
メトロポリタンE 優勝 |
|
土田哲也
|
2012 |
関東2部 |
49 |
15 |
4 |
3 |
2位 |
関東予選敗退 |
関東予選敗退 |
メトロポリタンA 4位 |
メトロポリタンA 5位 |
|
2013 |
関東1部 |
23 |
7 |
2 |
13 |
9位 |
関東予選敗退 |
関東予選敗退 |
メトロポリタンB 5位 |
メトロポリタンB 6位 |
|
2014 |
24 |
6 |
6 |
10 |
11位 |
関東予選敗退 |
関東予選敗退 |
メトロポリタンA 3位 |
関東1部A 5位 |
|
2015 |
関東2部 |
51 |
15 |
6 |
1 |
優勝 |
関東予選敗退 |
関東予選敗退 |
メトロポリタンB 優勝 |
関東1部B 6位 |
|
2016 |
関東1部 |
26 |
7 |
5 |
10 |
8位 |
関東予選敗退 |
ベスト8 |
メトロポリタンA2 6位 |
関東1部A 5位 |
|
根本裕一
|
- ^ a b c Jリーグ U-13は2007年〜2013年まで開催。U-13地域サッカーリーグ(U-13地域リーグ)は2014年より開催。
ジュニア
ジュニアユースは、第4種(U-12、小学生年代)の選抜チーム。鹿島、つくば、ノルテの3チームで構成されている。海外遠征を積極的に実施している。
鹿島ジュニア
練習場はアントラーズクラブハウスグラウンドや新日鐵住金総合グラウンド。
- 獲得タイトル
つくばジュニア
2007年につくば市を中心拠点として活動を開始した。主な練習場は、つくばアカデミーセンター。茨城県の県南地域の生徒で構成されている。
- 獲得タイトル
ノルテジュニア
2017年に日立市を中心拠点として活動を開始した。茨城県の県北地域の生徒で構成されている。
スクールコース
スクールコースは、トップチームで活躍する選手を輩出するという育成と、「生活の中にアントラーズがある」ことを感じられる環境を提供する普及の両方を目標にしている[17]。2022年現在、茨城県内に20校、千葉県内に1校の計21のスクールが開校しており、幼稚園から大人までの男女が約3,000人活動している。スクールでは、通常のコースの他、選考された選手達で練習するスペシャルコースと強化コース、ストライカーコース、GKコースなどが用意されている[3]。指導は、スクールコーチが行うほか、トップチームOBの中田浩二が巡回コーチとして参加することもある。また、夏休みや冬休みを利用した国内やハワイなどの遠征を実施している。
出典: “アカデミー>>スクール”. 鹿島アントラーズ. 2022年5月6日閲覧。
アカデミー出身選手
- 各国の全国リーグ(日本の場合、J1、J2、J3、JFL)に所属した選手。「所属」列に、最初に所属した全国リーグのクラブを記載
- この背景色の選手は、「現在の所属」が「鹿島アントラーズ」
- この背景色の選手は、「鹿島アントラーズ」から他チームに期限付き移籍中
- 「現在の所属クラブ」列には、2023年度所属チームを記載
脚注
出典
関連項目
外部リンク