藤田 直之(ふじた なおゆき、1987年6月22日 - )は、福岡県出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。
東海大五高から福岡大学へ進み、総理大臣杯優勝など数々のタイトルを獲得した。4年時にはMFながら九州大学リーグ得点王に輝いた。末吉隼也は高校・大学の同期で、高校の同期には他に橋内優也が、大学の同期には他に河田晃兵、宮路洋輔、福井諒司、高橋祐太郎がいる。
2010年シーズンにサガン鳥栖へ加入[1]。鳥栖加入後は、ボランチとしてプレーしており、正確なキックとロングスローでアシストを量産、チームの攻撃の起点として活躍した。
2011年シーズンには、加入2年目にして副キャプテンに就任。キャプテンの室拓哉が負傷などで出場機会が減ったため、第24節からキャプテンマークを付けると、そこから36節で敗れるまでの16試合連続無敗(11勝5分)を記録。
チームがJ1昇格を果たした2012年シーズンには晴れてキャプテンを任され、以後2015年まで4年連続でキャプテンを担った。
2015年7月、怪我により出場辞退した柏木陽介に代わり、東アジアカップ2015に出場する日本代表メンバーに選出(追加招集)された[2]。8月5日の韓国戦で代表初出場を果たした。
2016年、ヴィッセル神戸へ完全移籍[3]。
2019年、ヴィッセル神戸へ完全移籍した山口蛍と入れ替わる形でセレッソ大阪へ完全移籍[4]。ソウザや奥埜博亮らとダブルボランチの座を争うことになった。徐々に監督・ロティーナの信頼を掴み2020年はボランチのレギュラーに定着した。
2021年、ルヴァンカップのガンバ大阪との大阪ダービーでチームの3点目を決めて4-0の勝利、準決勝進出に貢献した[5]。チームは準決勝も勝利し決勝に進出した。
2022年、サガン鳥栖へ完全移籍。7年ぶりの古巣復帰となった[6]。「6年前、鳥栖を離れる決断をしたその日から思い描いていた、再び鳥栖のユニフォームに袖を通す!という夢が叶い大変嬉しく思います。」とコメントした[7]。
2024年11月14日、現役を引退する事を発表した[8]。
引退後もサガン鳥栖に関わっていくことを引退セレモニーでは明かし、2025年1月10日の新体制発表でサガン鳥栖トップチームのアシスタントコーチに就任することが発表された[9]。
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