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この項目では、韓国籍のサッカー選手について説明しています。同名の元フィギュアスケート選手については「キム・ミヌ」を、1979年生の野球選手については「金玟佑」を、1995年生の野球選手については「金民宇」をご覧ください。 |
金 民友(キム・ミヌ、김민우、1990年2月25日 - )は、韓国出身の同国代表プロサッカー選手。ポジションはMF・DF(主に左サイドバック)。
来歴
延世大学校在学時に、PSVアイントホーフェンに入団テストを受けたが、入団には至らなかった[1]。大学に無断で入団テストを受験していたため、退学となった[1]。
2010年1月サガン鳥栖からのオファーを受け入団。当時は韓国国内でJリーグの試合を見るチャンスはあまりなく、本人曰く「何も知らないまま日本に来た」という[2]。慣れない日本での生活や鳥栖の厳しい練習、甲状腺機能亢進症などに苦しみ、サッカーをやめなければいけないと考えたほどであった[2] が、この年の7月に韓国代表に初選出された。
2013年7月、東アジアカップ2013で3年ぶりに韓国代表に選ばれ、7月24日、中国戦で代表初出場を記録。
2014年10月10日のパラグアイ戦で代表初得点を記録した。
2016年神戸に移籍した藤田直之の後任として主将に就任。10月24日、韓国の兵役のため[3] 今シーズンで退団し、水原三星ブルーウィングスに移籍することが発表された。これに伴いサガン鳥栖は背番号10番を、2020年まで暫定的に欠番とする事を決定した[4]。
2018シーズンは兵役に就くため、尚州尚武FCに期限付き移籍した。2018 FIFAワールドカップでは韓国代表として2試合に出場した。
2022シーズンは水原三星ブルーウィングスから成都蓉城足球倶楽部へ移籍した。
エピソード
- 鳥栖時代に金を指導した尹晶煥は朴智星を抜く可能性を秘めていると太鼓判を押している。金自身も「Jリーグでこれほど長くプレーできたのはユンさんのおかげ」と語っている[2]。
- 好きな芸能人にえなりかずきと少女時代を挙げている。
- 来日後は藤田や池田圭に日本語を教わった[2]。
- ロンドンオリンピック代表メンバーから外れたが、洪明甫U-23代表監督は「とりわけ金民友(を選ぶかどうか)については最後まで悩んだ」とコメントしている[5]。当初の構想通りに李正秀をオーバーエイジとして招集できていれば、金民友がメンバー入りしていただろうとする報道もあった[6]。
- 退団セレモニーでのスピーチは金正訓通訳の妻の発案[2]。
所属クラブ
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2010 |
鳥栖 |
10 |
J2 |
24 |
4 |
- |
2 |
0 |
26 |
4
|
2011 |
28 |
7 |
- |
1 |
0 |
29 |
7
|
2012 |
J1 |
31 |
2 |
4 |
0 |
1 |
0 |
36 |
2
|
2013 |
33 |
5 |
3 |
0 |
5 |
0 |
41 |
5
|
2014 |
34 |
6 |
3 |
0 |
3 |
0 |
40 |
6
|
2015 |
33 |
2 |
1 |
0 |
1 |
0 |
35 |
2
|
2016 |
30 |
5 |
3 |
0 |
3 |
0 |
36 |
5
|
韓国
| リーグ戦 |
リーグ杯 | FA杯
|
期間通算
|
2017 |
水原三星 |
11 |
K1 |
26 |
6 |
- |
3 |
0 |
31 |
6
|
2018 |
尚州尚武 |
13 |
31 |
2 |
- |
0 |
0 |
31 |
2
|
2019 |
7 |
24 |
3 |
- |
2 |
1 |
27 |
4
|
2020 |
水原三星 |
11 |
22 |
4 |
- |
2 |
0 |
24 |
4
|
2021 |
10 |
28 |
5 |
- |
0 |
0 |
28 |
5
|
2022 |
0 |
0 |
- |
- |
0 |
0
|
中国
| リーグ戦 |
リーグ杯 | FA杯
|
期間通算
|
2022 |
成都蓉城 |
10 |
CSL |
34 |
4 |
- |
0 |
0 |
34 |
4
|
2023 |
24 |
6 |
- |
0 |
0 |
24 |
6
|
韓国
| リーグ戦 |
リーグ杯 | FA杯
|
期間通算
|
2024 |
蔚山HD |
10 |
K1 |
19 |
2 |
- |
3 |
1 |
22 |
3
|
通算 |
日本 |
J1
|
161 |
20 |
14 |
0 |
13 |
0 |
188 |
20
|
日本 |
J2
|
52 |
11 |
- |
3 |
0 |
55 |
11
|
韓国 |
K1
|
30 |
6 |
- |
1 |
0 |
31 |
6
|
総通算
|
243 |
37 |
14 |
0 |
16 |
0 |
244 |
37
|
国際大会個人成績 |
年度 |
クラブ |
背番号 |
出場 |
得点
|
ACL |
出場 |
得点
|
2017 |
水原三星 |
11 |
6 |
0
|
2020 |
10 |
6 |
1
|
2023-24 |
蔚山HD |
10 |
5 |
0
|
2024-25 |
|
|
代表・選抜歴
- 2006年 U-16韓国代表
- 2007年 U-17韓国代表
- 2009年 U-20韓国代表
- 2010年 U-21韓国代表
- 2011年 U-22韓国代表
- 2012年 U-23韓国代表
- 2010年 - 韓国代表
試合数
- 国際Aマッチ 23試合 1得点(2013年-2018年)[7]
韓国代表 | 国際Aマッチ |
年 | 出場 | 得点 |
2013 |
2 |
0
|
2014 |
7 |
1
|
2015 |
3 |
0
|
2016 |
0 |
0
|
2017 |
4 |
0
|
2018 |
7 |
0
|
通算 |
23 |
1
|
脚注
関連項目
外部リンク