河 大成(ハ・デソン、朝: 하대성、1985年3月2日 - )は、大韓民国・仁川広域市出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)[6]。サッカー選手の河成敏は実弟。
同い年の李根鎬とは小学5年生からの仲で、小・中・高と同じ学校へ通った[7][8]。1997年には車範根サッカー賞(車設立の期待の若手に贈られる賞)を受賞[9]。サッカー強豪校の富平高等学校(朝鮮語版)に進学し、3年時には李根鎬や金承龍と共に3冠を獲得。
2004年、蔚山現代FCに加入。しかし李浩や金正友ら実力者からポジションを奪えず、1試合も出場できなかった[7]。
2006年、大邱FCへ移籍。Kリーグデビューを果たす。2007年には李根鎬と再びチームメートとなり、プレーメーカーとして開花[7]。2008年にはチームを過去最高順位に引き上げた。同年11月、韓国代表としてカタール代表戦で国際Aマッチ初出場[10]。
2009年には全北現代モータースでプレー。リーグ優勝の一助となったものの、中盤の選手層の厚さから[11]レギュラー確保には至らず。同年末には全北とFCソウルの間で、河と李弦昇、沈愚燃と金承龍による2対2のトレードが成立した[11]。
2010年、ソウルへ移籍。巧みなパスで攻撃陣を掌握し[12] 同年のリーグ優勝に貢献した。2011年リーグ第30節慶南戦ではプロ入り以来初のハットトリックを達成[13]。2012年からは主将を務めた[14][15]。2013年の東アジアカップでも背番号10を背負い、韓国代表の主将を務めた[16][9]。Kリーグ最高のMFとしての評価に加え[9][4]、同年末にはAFCチャンピオンズリーグ準優勝の功績もあって鄭智及びジャバド・ネクナムと共にアジア年間最優秀選手賞最終候補に選出された(鄭が受賞)[17][18]。
2014年、中国サッカー・スーパーリーグ・北京国安足球倶楽部へ移籍[15][5]。同年開催のFIFAワールドカップでは足首の負傷により力を発揮できなかった[19]。北京とは2016年末までの契約を結んでいたが、成績向上を図るべく外国籍選手を入替える方針が採られたため[注 2]、2015年限りでの放出対象となった[20]。
2016年、幼少期より憧れていたという[1]Jリーグ・FC東京へ完全移籍[6]。史上初めて、日本・中国・韓国、それぞれの首都のクラブでプレーした選手となった。ボランチの一角として[21] 攻撃のリズムを作ることを期待されたが[22]開幕直前の負傷によって適応の機を逃し[23] 1stステージ終了時でリーグ戦3試合の出場に留まった。
同年6月、名古屋グランパスへ期限付き移籍[24][25]。移籍後早々にハムストリング筋挫傷による離脱を経験したものの[22]、広い視野と正確なパスで能力の高さを示した[26]。名古屋からは残留を求められたが[27][28]12月に移籍期間満了による退団が発表された[29][30]。
当初FC東京は河を復帰させる方針だったが[28]、古巣FCソウルから熱心なオファーが寄せられたため[31]、河とソウル所属の髙萩洋次郎の事実上のトレードを成立させた[32]。2017年よりFCソウルへ復帰[33]。河は同クラブで引退することを希望し[31]3年契約を結んだ[34]。
2019年シーズン限りで現役を引退。その後は解説者を務めていたが、2021年11月18日、江原FC監督に就任した崔龍洙のアシスタントコーチとしてスタッフ入りした[35]。
(* 金珍洙に代わって予備登録メンバーから選出)
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