李 官雨(イ・グァヌ、이관우、1978年2月25日 - )は、大韓民国ソウル特別市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。
学生時代よりU-20代表及び五輪(但し五輪本大会は怪我のため不出場)代表に選出された。1999年11月にJリーグのアビスパ福岡と入団契約を交わしたが、一方で李はKリーグのドラフトへの参加も表明しており、12月3日に行われたKリーグのドラフトで大田シチズンから指名を受けた。Kリーグは大田に李は入団すべきとして、一時は福岡を相手に訴訟する姿勢を見せたが、福岡が李の獲得を諦めて、李は大田へ入団した。
入団から2002年頃までは怪我に泣き、目立った活躍ができずにいたが、それ以降はチームの主力選手として活躍。
2006年7月、6年間在籍した大田シチズンから水原三星ブルーウィングスに移籍。2010年シーズンを最後に現役引退。2013年、シンガポールへ渡り、Sリーグ所属のホーム・ユナイテッドFCに入団し、現役復帰した[1]。
2015年から2017年まで水原三星ブルーウィングスのアカデミーのコーチや監督を務め、2018年からは同じ縁故地の水原FCのアシスタントコーチとして金大儀監督を支えた。2019年に成績不信を理由に金大儀が申し出て辞任した後は監督代行としてシーズンの残り試合の指揮を執った[2]。
2020年から清州大学校サッカー部の監督を務めていたが、2004年8月9日、安山グリナースFCと2026年までの契約を結んで7代目監督に就任した[3]。