辻尾 真二(つじお しんじ、1985年12月23日 - )は、大阪府堺市出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。
来歴
実父は実業家の辻尾敏明。
小学校年代は青英学園SCに所属し、一つ上の神山竜一とプレーした[1]。中学年代は庭代FCでプレー。所属クラブは違うものの、同じ小中学校の3年後輩に田中明日菜がいる。
2001年、和歌山県にある高校サッカーの強豪、初芝橋本高等学校に入学する。1年先輩に酒本憲幸・初田真也がいる。2003年高3のときに第82回全国高等学校サッカー選手権大会ベスト8入りしている。
2004年、中央大学に進学。3年先輩に柴村直弥・太田康介、2年先輩に平松大志・小林優希・天羽良輔、1年先輩に園田拓也、1年後輩に小池悠貴・山形雄介、2年後輩に村田翔・小野博信・新井辰也、3年後輩に佐藤謙介・永木亮太がいる。大学4年時には中央大キャプテンを務めた[2]。
大学1年時に大熊清率いるU-19日本代表に選ばれている。ユニバーシアード日本代表には、2005年トルコ・イズミル大会、2007年タイ・バンコク大会の2度選出され、2005年大会は優勝に貢献した。2007年北京五輪出場を目指す、反町康治率いるU-22日本代表に選ばれている。
なお、大学年代まではFWとしてプレーしている[3]。2006年大学3年の時に清水エスパルスに特別指定選手として登録されている。2007年春の清水キャンプで右サイドバックとしての適性を見出された。
2008年、清水エスパルスへ入団。同期入団は、大前元紀・本田拓也・永畑祐樹。プロ入り後、正式にサイドバックにコンバートされた[4]。同シーズン第1節で市川大祐の負傷により交代出場でリーグ戦デビューしている[5]。2008年の天皇杯の鹿島アントラーズ戦ではセンターバックも務めた。2010年末の長谷川健太監督退任に伴う清水の主力大量流出の際もチームに残留した。2011年、アフシン・ゴトビ監督のもと、27試合に出場するなど右サイドバックに定着していた。同年5月22日にはプロ初ゴールを決め、これはJ1リーグ通算15,000ゴール目のメモリアルゴールとなった[6]。
2012年シーズン前のキャンプで怪我[7] をし復帰まで長引いた[8]。この間、吉田豊にポジションを奪われ、怪我から復帰以降も出場機会が減少[9] した。
同年7月、サンフレッチェ広島へ期限付き移籍した。広島は、怪我の山岸智および五輪代表に招集されたファン・ソッコが離脱したことに加え、ミハエル・ミキッチも怪我による離脱の可能性が高まったため、サイドの選手層が薄くなっていた状況でのオファーだった[10]。シーズン終了後、広島への期限付き移籍を満了し大分トリニータに完全移籍。
2013年11月28日、契約満了による退団が発表された[11]。
2014年3月、ツエーゲン金沢へ移籍[12]。
2017年、J3のSC相模原へ完全移籍[13]。2018年12月1日、SC相模原は契約期間の満了を発表した[14]。
2019年1月、現役引退とツエーゲン金沢のクラブアンバサダー就任が発表された[15]。
所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2008 |
清水 |
15 |
J1 |
3 |
0 |
2 |
0 |
1 |
0 |
6 |
0
|
2009 |
9 |
0 |
3 |
0 |
2 |
0 |
14 |
0
|
2010 |
17 |
0 |
6 |
0 |
3 |
0 |
26 |
0
|
2011 |
27 |
1 |
3 |
0 |
1 |
0 |
31 |
1
|
2012 |
1 |
0 |
1 |
0 |
- |
2 |
0
|
広島 |
30 |
5 |
0 |
- |
1 |
0 |
6 |
0
|
2013 |
大分 |
19 |
13 |
0 |
3 |
0 |
2 |
0 |
18 |
0
|
2014 |
金沢 |
30 |
J3 |
30 |
3 |
- |
2 |
0 |
32 |
3
|
2015 |
15 |
J2 |
34 |
3 |
- |
1 |
0 |
35 |
3
|
2016 |
20 |
1 |
- |
0 |
0 |
20 |
1
|
2017 |
相模原 |
J3 |
32 |
2 |
- |
- |
32 |
2
|
2018 |
29 |
2 |
- |
- |
29 |
2
|
通算 |
日本 |
J1
|
75 |
1 |
18 |
0 |
10 |
0 |
103 |
1
|
日本 |
J2
|
54 |
4 |
- |
1 |
0 |
55 |
4
|
日本 |
J3
|
91 |
7 |
- |
2 |
0 |
93 |
7
|
総通算
|
220 |
12 |
18 |
0 |
13 |
0 |
251 |
12
|
代表歴
- 2004年 U-19日本代表
- 2005年 U-20日本代表、U-21日本代表、ユニバーシアード日本代表
- 2006年 U-21日本代表、アジア競技大会日本代表
- 2007年 U-22日本選抜、ユニバーシアード日本代表
脚注
参考資料
関連項目
外部リンク
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1 - 10,000 |
- 1 マイヤー 1993.5.15
- 100 松波正信 1993.6.9
- 500 水沼貴史 1993.12.1
- 1,000 メディナベージョ 1994.8.17
- 1,500 城彰二 1995.4.5
- 2,000 エジソン 1995.8.12
- 2,500 江尻篤彦 1995.11.15
- 3,000 三浦泰年 1996.8.28
- 3,500 高木琢也 1997.5.3
- 4,000 横山貴之 1997.8.23
- 4,500 レディアコフ 1998.4.25
- 5,000 バジーリオ 1998.9.23
- 5,500 佐藤一樹 1999.4.24
- 6,000 鈴木秀人 1999.11.7
- 6,500 長谷川祥之 2000.7.1
- 7,000 久保竜彦 2001.5.12
- 7,500 久保山由清 2001.11.3
- 8,000 崔龍洙 2002.9.14
- 8,500 ヴァスティッチ 2003.5.18
- 9,000 斎藤大輔 2004.3.13
- 9,500 安貞桓 2004.9.23
- 10,000 前田雅文 2005.5.8
|
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10,500 - 20,000 |
- 10,500 今野泰幸 2005.11.12
- 11,000 アンドレ 2006.7.23
- 11,500 田中佑昌 2006.11.18
- 12,000 ウェズレイ 2007.6.23
- 12,500 マルキーニョス 2008.3.16
- 13,000 巻誠一郎 2008.9.14
- 13,500 鄭大世 2009.5.10
- 14,000 中山博貴 2009.11.28
- 14,500 赤嶺真吾 2010.8.22
- 15,000 辻尾真二 2011.5.22
- 15,500 ラフィーニャ 2011.9.18
- 16,000 藤田直之 2012.5.25
- 16,500 永井謙佑 2012.11.17
- 17,000 鈴木大輔 2013.7.17
- 17,500 家長昭博 2014.3.15
- 18,000 興梠慎三 2014.9.23
- 18,500 塩谷司 2015.5.23
- 19,000 高山薫 2015.11.7
- 19,500 遠藤康 2016.7.17
- 20,000 金子翔太 2017.4.21
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---|
20,500 - 30,000 |
- 20,500 エウシーニョ 2017.9.30
- 21,000 齊藤未月 2018.7.22
- 21,500 興梠慎三 2019.3.9
- 22,000 遠藤渓太 2019.8.24
- 22,500 野上結貴 2020.8.19
- 23,000 ジェイ 2020.11.21
- 23,500 レアンドロ・ダミアン 2021.5.26
- 24,000 ミラン・トゥチッチ 2021.11.27
- 24,500 森島司 2022.7.17
- 25,000 森島司 2023.4.22
- 25,500 植中朝日 2023.10.21
- 26,000 アンデルソン・ロペス 2024.5.29
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得点王(J1 - J2 - J3) - 記念ゴール(J1 - J2 - J3) |