ハファエル・ドス・サントス・デ・オリベイラ
ラフィーニャ(Rafinha)ことハファエル・ドス・サントス・デ・オリベイラ(Rafael Dos Santos De Oliveira、1987年6月30日 - )は、ブラジルサンパウロ州出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワードもしくはミッドフィールダー。
J2リーグ・アビスパ福岡時代の登録名はハファエル[1]、J2リーグ・ザスパ草津、J1リーグ・ガンバ大阪、J1リーグ・横浜F・マリノス時代の登録名はラフィーニャ[2]、Kリーグ時代の登録名はハフィーニャ(ハングル: 하피냐)[3]。
来歴
ユース時代からサンパウロ州のナシオナルACの下部組織で育つ。2007年にJリーグ・アビスパ福岡にC契約外国籍選手として期限付き移籍で加入するも、わずか2試合の出場に終わり退団。その後、ブラジルに戻りパウリスタFC、CAジュベントスなど複数のクラブを渡り歩き、2010年に再び来日しJ2・ザスパ草津に2年間の期限付き移籍で加入。約1シーズン半の間、スピードとテクニックを併せ持つ左利きのドリブラーとして活躍した。
2011年7月13日、J1のガンバ大阪への期限付き移籍が発表された[4]。7月27日、G大阪でのデビュー戦となったJ1第10節鹿島戦では、途中出場で移籍後初得点含む3得点に絡む鮮烈なJ1デビューを飾った[5]。ラフィーニャ加入以降、G大阪は11試合無敗が続き、自身も得点を重ね、8月20日のJ1リーグ第22節川崎戦では来日初のハットトリックを達成するなど、途中加入ながら2桁得点を挙げる活躍を見せた。
2012年、ナシオナルACからの期限付き期間を1年間延長した[6]。しかし、2012年は不振に陥り徐々に出機会を失っていくと6月30日に契約を解除された。同年7月、Kリーグ・蔚山現代FCへ移籍。
2014年7月に横浜F・マリノスに移籍[7]。J1.19節.20節.21節と3試合連続のゴールを上げチームの攻撃陣を活性化させ、勝利に貢献したが、21節の川崎戦で怪我をするが約1ヶ月後の鹿島戦で途中出場ながら復帰したものの怪我が更に悪化し、帰国を余儀なくされた[8]。
2015年は、開幕前の2月に行われたプレーシーズンマッチ松本戦で後半16分から出場したものの、1週間後の練習で負傷してしまい[9]、開幕戦には間に合わなかった。ヤマザキナビスコカップ予選リーグ第4節の名古屋戦で後半途中出場し復帰となり、1stステージ第9節の山形戦で今季初先発となった。2ndステージ第7節の甲府戦で今季初得点を決めたものの、以後は負傷が再発し、2年連続本領が発揮出来ずに終わった。背番号を9に変更した2016年だったが、沖縄で行われた練習試合の大宮戦で右膝前十字靭帯を断裂し、3年連続の長期離脱となり[10]、3月11日に復帰のめどが立たないことから選手登録を抹消された[11]。2016年シーズンは登録抹消のまま復帰せず、2016年11月9日に契約満了により退団が発表された[12]。
2016年12月、グレミオ・オザスコ・アウダックスに加入[13]。
人物・エピソード
- 既婚者で夫人は6歳年下[14]。
- 将来の目標は、「ヨーロッパのクラブでプレーすること」と語っている[5]。
個人成績
記録
タイトル
個人
関連項目
脚注
外部リンク
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1 - 10,000 |
- 1 マイヤー 1993.5.15
- 100 松波正信 1993.6.9
- 500 水沼貴史 1993.12.1
- 1,000 メディナベージョ 1994.8.17
- 1,500 城彰二 1995.4.5
- 2,000 エジソン 1995.8.12
- 2,500 江尻篤彦 1995.11.15
- 3,000 三浦泰年 1996.8.28
- 3,500 高木琢也 1997.5.3
- 4,000 横山貴之 1997.8.23
- 4,500 レディアコフ 1998.4.25
- 5,000 バジーリオ 1998.9.23
- 5,500 佐藤一樹 1999.4.24
- 6,000 鈴木秀人 1999.11.7
- 6,500 長谷川祥之 2000.7.1
- 7,000 久保竜彦 2001.5.12
- 7,500 久保山由清 2001.11.3
- 8,000 崔龍洙 2002.9.14
- 8,500 ヴァスティッチ 2003.5.18
- 9,000 斎藤大輔 2004.3.13
- 9,500 安貞桓 2004.9.23
- 10,000 前田雅文 2005.5.8
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10,500 - 20,000 |
- 10,500 今野泰幸 2005.11.12
- 11,000 アンドレ 2006.7.23
- 11,500 田中佑昌 2006.11.18
- 12,000 ウェズレイ 2007.6.23
- 12,500 マルキーニョス 2008.3.16
- 13,000 巻誠一郎 2008.9.14
- 13,500 鄭大世 2009.5.10
- 14,000 中山博貴 2009.11.28
- 14,500 赤嶺真吾 2010.8.22
- 15,000 辻尾真二 2011.5.22
- 15,500 ラフィーニャ 2011.9.18
- 16,000 藤田直之 2012.5.25
- 16,500 永井謙佑 2012.11.17
- 17,000 鈴木大輔 2013.7.17
- 17,500 家長昭博 2014.3.15
- 18,000 興梠慎三 2014.9.23
- 18,500 塩谷司 2015.5.23
- 19,000 高山薫 2015.11.7
- 19,500 遠藤康 2016.7.17
- 20,000 金子翔太 2017.4.21
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20,500 - 30,000 |
- 20,500 エウシーニョ 2017.9.30
- 21,000 齊藤未月 2018.7.22
- 21,500 興梠慎三 2019.3.9
- 22,000 遠藤渓太 2019.8.24
- 22,500 野上結貴 2020.8.19
- 23,000 ジェイ 2020.11.21
- 23,500 レアンドロ・ダミアン 2021.5.26
- 24,000 ミラン・トゥチッチ 2021.11.27
- 24,500 森島司 2022.7.17
- 25,000 森島司 2023.4.22
- 25,500 植中朝日 2023.10.21
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得点王(J1 - J2 - J3) - 記念ゴール(J1 - J2 - J3) |
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