橋内 優也(はしうち ゆうや、1987年7月13日 - )は、滋賀県栗東市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはディフェンダー。
元サッカー選手の橋内竜真は実弟。
中学時代までは地元滋賀県でサッカーをしていたが、高校は福岡県の東海大学付属第五高等学校(現・東海大学付属福岡高校)に越境入学。同期に藤田直之、実弟の竜真も同校出身。高校時代から持ち前の身体能力を活かしてDFだけでなくFWとしても活躍。2年時の2004年にサンフレッチェ広島ユースと対戦、同チームで最も才能を評価されていた前田俊介をマンマークしたプレーぶりが評価され、広島に入団するきっかけとなった[1]。
2006年、サンフレッチェ広島に入団、同期は柏木陽介・槙野智章・趙佑鎮。同シーズン4月から暫定で監督を務めた望月一頼は、橋内をプレス要員としてFWで起用。同年5月3日J1対大宮アルディージャ戦にてFWとして出場、広島のシーズン初勝利に貢献した[2]。
監督がミハイロ・ペトロヴィッチに交代した以降は右CBあるいは右アウトサイドとしてプレーしたが、怪我がちで出場機会に恵まれなかった。2008年末、移籍を前提に他チームに練習参加していたがまとまらなかった。翌2009年、引き続き広島に在籍、同年6月3日に若手主体となったナビスコ杯対大分トリニータ戦にてプロ初得点を決める。[3]
2009年9月より、JFL・ガイナーレ鳥取へ期限付き移籍[4]。センターバックとしてすぐにレギュラーを掴み、DFながら10試合で4得点を挙げる活躍を見せたものの、チームのJ2昇格には貢献できなかった。
2010年より、徳島ヴォルティスへ期限付き移籍。2011年より、同チームへ完全移籍。
2017年、松本山雅FCへ完全移籍[5]。
2025年1月5日、現役引退並びに松本山雅FCアカデミーロールモデルコーチに就任[6]。
50m走は5秒台、垂直跳びで75cm以上飛べる、高い身体能力を持ち合わせた選手。基本ポジションはセンターバックや右サイドバックだが、FWとしても起用された事がある[1]。
若手のリーダー役として、Jサテライトリーグでキャプテンを務めた[3]。
顔が実年齢よりもかなり老けて見えるため、18歳でサンフレッチェ広島に入団した当初から「おっさん」の愛称で呼ばれている。本人も悪い気はしていない[7] が、松本山雅FC移籍後の新体制発表会では「奥さんが悲しむので『ハシ』と呼んでください。」「おっさん以外なら何でもいいです。お父さんなら大丈夫です。」と答えている[8]。
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