なだぎ 武(なだぎ たけし、1970年〈昭和45年〉10月9日[1][3] - )は、吉本興業に所属する日本のお笑いタレント、漫談家。俳優としても活動している。本名は灘儀 武(読み同じ)[4]。『R-1ぐらんぷり』2007・2008王者。
大阪府堺市出身。アイドルグループ・吉本坂46のメンバー。妻は舞台女優の渡邊安理[5]。
大阪府[3]堺市に出生。
小学校卒業間際から肥満児になったことからいじめられるようになったものの、小学生時代に塾をサボった時、父親に初めて殴られ「嘘だけはつくな」と諭された経験や、いじめをする同級生を許すことで精神的優位に立とうという気持ちから、学校を休むことは無かった。中学3年で身長が伸びて普通体型になったことや、いじめの首謀者とクラスが離れたことからいじめは無くなったが、人との交流が不得手になっていたため孤独に過ごした。高校には進学せずにメッキ工場に就職したが、半年ほどで退職。その後、小学生のころから憧れていた芸能界を志し、芸能事務所のタレント募集に応募。書類審査を通過したが、面接試験のため会場まで行くも、あまりの緊張に逃げて帰ってきたことを契機に、引きこもるようになる[6][7]。
引きこもりの時期は部屋にこもって、小学生時に交流のあった大学生からもらった音楽や本を手当たり次第に聴いたり読んだりして、学校で学ぶものよりも重要なものを得ていると思うことで自分を肯定していた。しかし、そういった生活を親に申し訳なく思う気持ちから、母親が部屋に届けてくれていた食事にも手を付けなくなり、飲み物と果物以外のものを口にしなくなった。ある時、鏡に映った病的に痩せ細った自分の姿に驚いて病院へ行くと、担当医から「このままでは死ぬよ」と言われたことや、引きこもっていた時期に読み耽ったジョージ秋山の漫画や、吉田拓郎の歌に衝撃を受けたことが引き金となり、挫折や負の感情をも受け入れる決意。闇の世界から脱却する一歩を踏み出すことにした[7]。
17歳の正月に初めて観た映画『男はつらいよ』の主人公である車寅次郎の伸び伸びとした生活に憧れ、流れに身を任せる気になり、母親の勧めでラーメン店でアルバイトを始めた。しかし仕事中のケガがきっかけでアルバイトも辞め、かつて観た映画の舞台である広島県尾道市に一人旅をした。その際に食中毒で倒れていたところを旅館の女将に助けてもらい、そこでのふれあいが人嫌いを直すきっかけになる[8]。
NSCは、幼馴染でかろうじて付き合いのあった松村博司の履歴書を勝手に書いて申し込んだ。その後、松村を説得し、NSCに入学。
1989年4月、NSC大阪の8期生として加入し、同年8月に同期の松村と『スミス夫人』を結成した[9]。ヒッチコックの映画『スミス夫妻』がコンビ名の由来である。
授業のネタ見せでは全く笑いが取れず、芸人になる自信は持てなかったが、引きこもりから脱却する経験として一年間過ごした。ちなみにネタの酷評は1期後輩の岡村隆史(ナインティナイン)からも堂々と面白くないと言われていたほどだった[10]。
松村のボケになだぎがツッコミを入れるも、松村が延々とボケ続けるという流れのコントが多かった。
2001年にコンビ解散。
2002年、「ザ・プラン9」にヤナギブソンと共に追加メンバーとして加入し[11][12][3]、ナギナギオで活動する。
2003年、ヤナギブソンと間違えられるため、2003年に、本名の灘儀 武に改名。
2005年6月、読みやすいようにとのことで、現在の芸名に改名。
2007年、『R-1ぐらんぷり2007』決勝では徳井義実(チュートリアル)と同点となり、審査員による決選投票が行われ、なだぎに4票、徳井に1票という結果で、優勝した[13]。
2008年、『R-1ぐらんぷり2008』決勝では、「文化祭の出し物を決める高校生」を扮してコントを披露[14]し優勝。大会2連覇となった[3]。
2009年、宮本亜門演出の舞台『ドロウジー・シャペロン』への出演が決定。ミュージカル初挑戦となった[15]。
2010年、『R-1ぐらんぷり2010』では3冠を目指して出場し、ファーストステージを1位で通過したが、 ファイナルステージで票を獲得できず3位に終わった[16]。
2015年5月17日、ザ・プラン9からの脱退を公表[12]。脱退後もザ・プラン9の公演に参加するなどの交流は続けている。
2017年7月の主演ミュージカル『ソーォス!』での共演を機に知り合った舞台女優の渡邊安理と結婚[5]したことを2020年9月2日にTwitterで発表[17][18]。
2018年8月20日、約6000人の中から吉本坂46の最終オーディションに合格し、メンバー(1期生)に選出された。
2021年7月23日、東京オリンピックの開会式のショーに、「レポーター役」で出演した[19]。
2022年2月、自動車事故に遭い骨折。
2022年3月27日放送の『新婚さんいらっしゃい!』(朝日放送テレビ)にて、妻の妊娠を発表。
2022年8月、第一子が誕生。
ディランは、なだぎが演じる外国人キャラクター。元ネタはビバリーヒルズ高校白書シリーズの同名の登場人物[28]。2005年の『オールザッツ漫才』でテレビ初登場。
ディランのキャラは、もともと『ビバリーヒルズ青春白書』の日本語吹き替え版でディランの声を担当している小杉十郎太の真似がなだぎの持ちネタであったことと、当時の彼女が『ビバリーヒルズ青春白書』を見ていたことから発想された。さらには、ホフディランのシングル「キミのカオ」において、『ビバリーヒルズ青春白書』をパロディにした小杉のナレーションにも感銘を受けたと語っている。当初は楽屋で『ビバリーヒルズ青春白書』を知る芸人仲間などへ観せていたという。海外ドラマ特有の「大げさなセリフ回し」や「アメリカンジョーク」、「アテレコによる独特の空気感」をデフォルメした芸風だが、『ビバリーヒルズ青春白書』のファンである今田耕司も認めるほど似ている(最近[いつ?]では今田も言い回しを真似することがある)。前述の2005年『オールザッツ漫才』において「レイザーラモンHG(レイザーラモン)に続くキャラを探せ」という企画で披露され、これがこのネタのブレイクの最初の切っ掛けとなった。なおこのネタは本人曰く「元々このオールザッツ漫才のためだけにつくってきたものだった」。
2006年からは本家『ビバリーヒルズ青春白書』には登場していない新キャラとして相棒のキャサリンが登場、2007年2月10日には2人で『ディラン&キャサリン〜難問続出!?恋の数式大パニック〜』というイベントを開催した。
なだぎは『R-1ぐらんぷり』でもディランネタで参加。2006年は準決勝で敗退したが、2007年は徳井義実(チュートリアル)と共に最高得点を記録、審査員5人による決選投票で勝利し優勝を果たし、ザ・プラン9のメンバーにおいて2人目のチャンピオンとなった(1人目は浅越ゴエ)。
2007年、ドラマで本物のディランを演じたルーク・ペリーや、日本語吹替えを担当した小杉十郎太との共演がそれぞれ実現している。
2007年10月、"ディラン&キャサリン"としてCD「フンダリー ケッタリー」を発売。同曲はアニメ『ケロロ軍曹』のオープニング曲に使用された。また、同キャラクターで「ビバリーヒルズ晴天白書」なるコントDVDも発売している。
2007年11月、ホフディランのシングル「カミさま カミさま ホトケさま」のジャケットにディランを演じるなだぎが起用されたが、『ビバリーヒルズ高校白書』の権利関係者からこのジャケットが同番組のパロディに当たるとのクレームが入り協議を行ったところ、発売直前になり同シングルの発売は延期され、ジャケットが差し替えられることとなった[29]。
千葉 拳(ちばけん)は、なだぎが演じるキャラクター。『R-1ぐらんぷり2008』にはこのネタで参加[30]。
キャラクター設定は「なだぎの妄想で実在はしない。神奈川県出身、血液型A型、性格几帳面。好きなタイプは昔は古風な叶和貴子であったが、BoAが登場して以来、BoAが好きになった」と、2008年3月3日放送の『めざましテレビ』(フジテレビ)内コーナー「メディア見たもん勝ち! 広人苑II」で語っている[出典無効]。
警察24時は、なだぎが演じる交通ルールを乱す若者を、本物のようにして行うコントである。『R-1ぐらんぷり2010』の決勝1回戦や、2009年度『S-1バトル』ではこのネタを披露した。
なだぎが演じる若者はコロコロ変わるが、共通するのは「目線のようなものを目につけている」・「声はあらかじめ録音してあるボイスチェンジャーがかかったもので、声に合わせて動く」ということである。
『R-1ぐらんぷり2010』で演じたのは「ミッキーマウスの格好をして原付に乗り、東京ディズニーランドに向かう若者」であった。
クレームは、なだぎが孫の誕生日のために「ぼく ドラえもん」という名前の目覚まし時計を通販で買ったのだが、きた品物はどう見てもドラえもんには見えない偽物だったために、なだぎがクレームをするコントである。『R-1ぐらんぷり2010』のファイナルステージで披露したネタはこれである。
届いたという設定のドラえもんの目覚まし時計はかなりツッコミどころの多い代物であるため、披露する度にクレームをつけるポイントは異なる。また、なだぎが「届いてすぐにクレームの電話をしている」パターンと、「クレームのためにメーカーまで押しかけてきている」パターンがある。前者ではなだぎが未確認なことがある上、電話であるために相手に姿が見えないのをいいことになだぎは好き勝手やったりするが、後者ではなだぎがクレームをつけるポイントを決めている上、相手の前で不審な行動はしないために、ウケがいいのは前者となっている。
ピンとしての出演を記載。