松平 頼幸(まつだいら よりとみ)は、江戸時代中期の大名。常陸国府中藩5代藩主。官位は従四位下・播磨守、侍従。
3代藩主・松平頼明の四男として誕生。母は久野安静の娘留与。幼名は源吉。4代藩主・松平頼永の異母弟。諱は頼時から頼幸に改める。
享保20年(1735年)、異母兄で先代藩主の頼永が嗣子なくして早世したため、その養嗣子として跡を継いだ。元文4年(1739年)、浅野吉長や松平頼貞と共に尾張藩主・徳川宗春に対して廃立を伝える使者を務めた。寛保2年(1742年)6月28日、24歳で死去した。頼幸にも嗣子がなく、養嗣子の頼済(松平頼貞の七男)が跡を継いだ。
※日付=旧暦
分家・支流
1645年から1700年まで天領