早稲田大学創造理工学部建築学科(わせだだいがくそうぞうりこうがくぶけんちくがっか)は、早稲田大学が設置する創造理工学部にある学科[1]。
教員は早稲田大学理工学術院に所属している[1]。2018年からは修士英語プログラムを開始(2008年にJABEEの認証を受けた)[1]。
日本の建築教育を担う大学機関としては、工部大学校造家学科(現在の東京大学工学部)に次ぐ歴史をもち、私学として最古になる。日本建築学会賞受賞者など、多くの建築家や研究者を輩出している。
なお、大学院は、創造理工学研究科に建築学専攻を設置している。
卒業生組織は稲門建築会[2]。卒業生ならびに卒業生が設計した建築を「早稲田建築」と通称している[1]。
概要
建築学を建築芸術分野、建築工学分野に分け、前者は建築史、建築計画、都市計画、後者は環境工学、建築構造、建築生産の系から構成されている[1]。
創造理工学部のみならず、全国の工学系学部にある建築学科の中で早稲田のみの受験科目として「空間表現」がある。課題内容は鉛筆の素描で、通常は他科目の翌日に行われ、試験時間は120分間、配点は40点となる[3]。
早稲田建築では2年生から4年生にかけて、設計製図Ⅰ、Ⅱ、Ⅲと設計実習Ⅰ、Ⅱ、Ⅲと課されているが、2年生からの設計実習Ⅰ(エスキース)という演習科目は週に一つあるいは二週間ほどの短期なインターバルで小課題が課される。目的は個人の感性、感覚や個性から発想力、設計の問題解決能力などを身につけさせるものである。その課題のひとつ「色光の体験」は、275mm角の箱の1面を開けて小さな箱に光を導き入れる工夫をさせる、そこに自分が思う光を入れて色の光を楽しむというものがある。そのほかにも「形態の発見」「空間の発見」は、紙をくしゃっと丸めて、その中に入りこみ感じたものをスケッチで表現する、いう課題もあるが、こうした課題を年に20回以上課される。ものの見方を自由にして自身の潜在能力を引き出すことが中心となっている。課題は紙と鉛筆だけでなく粘土、石膏、スタイロフォームから種々のテクスチュアの紙・ボード、布、タイルなどを含む陶磁器などなど、あらゆる素材・材料を使ってよく、ここで学生らは少なくとも既成概念にとらわれないゼロから建築を作り上げるというその態度だけは学ぶこととなる。IIではもう少し建築的となり、例えば種々の吹き抜けの取り方を模型でスタディしてみたり、有名建築の模型をそれぞれ造るなどを行う。Ⅲ になるとさらに内容が広がり、街へ出ていろいろなものを見たら少し大きなスケールで建築を見直してみたり、などを行う[4]。
こうした特色ある教育プログラムは教授の渡辺保忠が中心となってモホリ=ナジ・ラースローらによって考案された初期バウハウスの低学年向けのカリキュラムを研究、そのデザイン教育モデルを雛形にしてモホリ=ナジによる造形教育の理念とそのカリキュラムをかなり忠実に二年生の建築造形教育に持ち込もうと考案されたものとして知られる[5]。渡辺によって基本構成されたがその後安東勝男、穂積信夫、池原義郎ら諸氏がそれぞれさらに展開させたとされ、早稲田大学の建築設計教育をよく特徴づけているものとされている。そして設計製図と設計実習が呼応しつつ、建築設計教育が進んでいくのを狙いとしている[4]。
中谷礼仁教授が建築学科の一年生に対する名物課題「役に立たない機械」は、秋学期に履修する「設計演習A」の課題の1つ。デイリーポータルZ[6][7]などのメディアにもよく紹介され[8]、タモリ倶楽部[9]では毎年実際の課題を履修した本人や中谷らが番組出演し、課題を披露している[10]。このほかにも設計演習Aでは毎回妙な課題が出され、展覧会も開かれている[11][12]。
村野藤吾賞
稲門建築会が建築家・村野藤吾を記念し、 建築界に感銘を与えた建築作品を設計した建築家を毎年ひとり選んで与えている[13]。
歴史
佐野利器の推挙で佐藤功一を招聘し、1909年4月の高等予科の開講ののち、1910年9月に建築学科の本科が開設された[1]。創設以来、建築デザイン教育を重視する姿勢を貫いている[1]。
沿革
- 1909年 - 建築学科予科開設
- 1910年 - 建築学科本科の授業を開始
- 1911年 - 早稲田工手学校開校
- 1928年 - 早稲田高等工学校開校
- 1939年 - 早稲田大学専門部工科開校
- 1949年 - 新制早稲田大学開校 第一理工学部建築学科・第二理工学部建築学科を設置
- 1951年 - 新制大学院研究科(修士課程)を設置
- 1953年 - 新制大学院研究科(博士課程)を設置
- 1957年 - 耐震構造研究館(現・内藤記念館)竣工
- 1966年 - 大学院理工学研究科建築学専攻に都市計画専修を設置[14]
- 1967年 - 大久保キャンパスに移転(現:西早稲田キャンパス)
- 1968年 - 理工学部建築学科へ改称(第二理工学部廃止)
- 2000年 - 学部・大学院6年一貫カリキュラムを導入
- 2007年 - 理工学部の再編にともない、創造理工学部建築学科、創造理工学研究科建築学専攻に改称
- 2008年 - 学部・大学院(芸術系)JABEE認定
- 2018年 - 修士課程英語プログラムを開設
教員
※2022年現在
- 助手(任期付き)
- 宮嶋春風、万長城、深和佑太、池田理哲、髙田圭祐、泉川時、吉川伊織、嵐陽向
- 歴代
(OB)
- 今井兼次 - 母校の教授を長く務め、建築作品とともに教育者として研究室から優れた建築家、研究者を多数輩出した
- 池原義郎 - 山下寿郎設計事務所から今井兼次研究室助手をへて。日本芸術院会員、早稲田大学名誉教授、勲三等瑞宝章受章
- 安東勝男 - 建築家の傍ら、長く早稲田大学理工学部建築学科で教授として教育に当たる。日本建築学会副会長も務めた。代表作に早稲田大学51号館、早稲田大学大久保キャンパス、早稲田大学理工学部新館、など
- 武基雄 - 名誉教授。多くの優れた建築作品を残す。新建築家技術者集団代表幹事もつとめた
- 吉阪隆正 - 建築家および登山家、日本建築学会会長、早稲田大学理工学部長なども歴任。フランス学術文化勲章、正五位受位者、勲三等瑞宝章受章者
- U研究室 - 吉阪が主宰した建築設計事務所。滝沢健児、岡村昇、山口堅三、城内哲彦、松崎義徳、鈴木恂、沖田裕生、戸沼幸市ら早稲田卒業生も多く所属した
- 鈴木恂 - 名誉教授。恵比寿 STUDIO EBIS、GAギャラリー、早稲田大学理工学総合研究センター・研究棟(55号館)など代表作多数
- 戸沼幸市 - 都市計画家。建築家。工学博士。早稲田大学教授、早稲田大学専門学校及び早稲田大学芸術学校の校長も歴任
- 穂積信夫 - 名誉教授。日本建築家協会会長を務めた。日本建築学会名誉会員
- 松井源吾 - 名誉教授。構造家。早稲田大学建築学科で長く教鞭をとりながら、著名な建築家と数多くの建築を生み出してきた構造設計の第一人者
- 佐藤武夫 - 建築家および建築音響工学の先駆者。日本建築学会元会長、同名誉会員、日本建築家協会終身正会員、英国王立建築家協会名誉会員。日本芸術院賞受賞者。創立した設計事務所は現・佐藤総合計画に。
- 入江正之 - 名誉教授。スペイン、カタルーニャ地方の建築史を研究。アントニ・ガウディに関する著作も多い
- 谷資信 - 名誉教授。建築構造学者、構造家。
- 佐藤滋 - 名誉教授。まちづくり、都市設計・計画に取り組む。理工学術院教授、都市・地域研究所所長を歴任
- 長谷見雄二 - 木造防火都市の研究者。米国商務省国立標準局(現・アメリカ国立標準技術研究所)客員研究員、旧建設省建築研究所主任研究員、建設省建築研究所防火研究室長を経て教授
- 尾島俊雄 - 名誉教授。日本を代表する建築設備家・建築設備学者、教育者、環境学者、都市環境工学者、都市科学者。大阪万博地域冷房など、手掛けた設備システムは全国多数。
- 石山修武 - 名誉教授、日本建築学会賞、ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞、吉田五十八賞など多数受賞
- 田辺泰 - 建築史・美術史学者で大学の建築史担当教授を伊東忠太、佐藤功ーより引き継ぐ
- 渡辺保忠 -「保忠史学」とも呼ばれる建築生産関係の分析による独創的な視点で日本建築史をまとめた。その一方、1970年代からのエジプト発掘調査においても多くの建築考古的発見をおさめた
- 中川武 - 名誉教授。第六代 明治村館長。建築史学会会長。比較建築史、文化財建造物の保存修復技術などの研究を行う
- 新谷眞人 - 名誉教授。構造設計者。早稲田大学名誉教授。 伊東豊雄・隈研吾・原広司など、著名な建築家の構造設計を数多く担当
- 李祖原 - 建築家、画家。2003年から2006年まで友人の石山修武の要請で早稲田大学建築学科教授を務める
- 神山幸弘 - 名誉教授。木造住宅の構造研究など[15]
- 田中彌壽雄 - 名誉教授。建築構造を担当[16]
- 石福昭 - 設備エンジニア。宇都宮大学教授、早稲田大学教授歴任。日建設計に勤務し技師長を務めた。建築設備綜合協会名誉会長。
(外部から)
- 伊東忠太 - 日本を代表する建築史家。
- 内藤多仲 - 日本を代表する構造家・建築構造技術者・建築構造学者。東京タワーなど日本全国のタワーの構造設計を手掛けるとともに、後進の育成もつとめた
- 後藤慶二 - 講師として内藤の海外視察に伴い構造学を1年間担当[17]
- 今和次郎 - 「考現学」を提唱した建築学者、民俗学研究者。考現学の第一人者。日本建築士会会長他、団体の要職も多く務める
- 吉田享二 - 建築材料協会会長など歴任。旧姓は宮脇。終始、早稲田大学および付属高校での教職と運営に当たる
- 渡邊洋治 - 代表作は第三スカイビル(通称:軍艦マンション)など。海軍から久米建築事務所をへて吉阪研究室助手。ヴェニス博覧会日本館の設計等に従事。マジックインクを使ったドローイングが知られる
- 小松幸夫 - 名誉教授。建物の寿命推計、建物のライフサイクルマネジメントなど。日本建築学会賞(論文)JFMA賞(功績)など[18][19]
- 井上宇市 - 名誉教授。建築設備学、現代建築設備設計の先駆者
理工展
11月に開催される理工展に合わせ、建築学科3年生有志によって企画される展示会。
著名な卒業生/出身者
脚注
参考文献
- 生まれ出づる空間への模索 新建築社企画編集部 新建築社, 1999
- 早稲田建築学報 - 早稲田大学建築学専攻建築学科/早稲田大学建築学研究所 (著)
関連項目
- 石川栄耀、松井達夫 - 都市計画家。本務は土木であるが工学研究科建設工学専攻都市工学専修教授として建築計画専修の学生と学部における都市計画の授業を担当
- 岡田信一郎 - 開校当初に講師として協力
- 辰野金吾 - 大隈重信から開校にあたり、顧問として招聘される
- 田上義也 - 付属早稲田工手学校出身。建築家、音楽家
(大学院建築学専攻出身者)
外部リンク