岡田 哲史 (おかだ さとし、1962年(昭和37年)4月7日‐ ) は, 日本の建築家。株式会社岡田哲史建築設計事務所、千葉大学院准教授。
兵庫県豊岡市出身。兵庫県立豊岡高等学校卒業。1986年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。早稲田大学理工学部建築学科卒業(1986年村野賞受賞)。1988年、早稲田大学大学院修士課程修了。大学院時代に建築家の伊東豊雄および建築専門誌『a+u』元編集長の中村敏男からコロンビア大学建築学部大学院(GSAPP)教授のケネス・フランプトン(Kenneth Frampton)を紹介され,早稲田大学大学院博士課程進学直後にコロンビア大学大学院に留学。コロンビア大学大学院留学時に美術史考古学学部教授のロビン・ミドルトン(Robin Middleton)が主催するジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ(Giovanni Battista Piranesi)のゼミナールに参加。1989年コロンビア大学大学院を修了(MSBD取得)。帰国後,早稲田大学理工学部建築学科専任助手。この時期に西洋建築史学の桐敷真次郎指導のもと,留学時に着手していたピラネージおよび18世紀建築理論に関する研究を本格化させ,1993年早稲田大学大学院博士課程を修了(博士(工学)取得)。同年,小野梓記念芸術賞受賞。1993年から96年にかけ日本学術振興会特別研究員(PD)、1996年から97年にかけ文化庁芸術家派遣海外研修員としてニューヨークに滞在。コロンビア大学建築学部大学院(GSAPP)の客員研究員としてケネス・フランプトンのもと近代建築理論について研鑽を積む。1995年に岡田哲史建築都市計画研究所を設立。2003年滋賀県立大学環境科学部助教授,2006年から千葉大学大学院准教授。同年,岡田哲史建築都市研究所の法人化にともない岡田哲史建築設計事務所(Satoshi Okada architects)に改称。
林屋晴三からは「相当の目利き」と称され、林屋最晩年の友人の一人であった。光悦や樂の茶碗を介して意気投合した両者は、林屋の点てるお茶を介して茶碗談義や、林屋が岡田を利休の茶室「待庵」に招き入れ建築談義に花を咲かせ、林屋が構想する茶室のプロジェクトを建築の専門的立場から動かしていた。対談記録は、「いかに建築空間は思考されるか第12回―特別編 林屋晴三氏に聞く「作為と無作為について」[前後編]『カサベラ・ジャパン』vols.854、855、ASJ/MONDADORI、2015に収録されている。