團 紀彦(だん のりひこ、1956年2月11日 - )は、日本の建築家。日本建築学会賞業績賞・吉岡賞・JIA新人賞など受賞。
人物
経歴
1956年(昭和31年)、作曲家・團伊玖磨の次男として[1]、神奈川県三浦郡葉山町に生まれた。
神奈川県立湘南高等学校を経て、東京大学工学部卒業、さらに同大学院で学び、建築家・槇文彦に師事した。その後はイエール大学大学院に留学し、帰国後に建築設計事務所を設立した。
活動
建築設計活動のかたわら、土木と建築の融合や新町屋論など建築と環境の関係性の改善に関する主導的な提言を行っている。
台湾桃園国際空港及び日月潭における国際コンペで一等を獲得、国内では日本橋室町東地区開発のマスターアーキテクトに指名されるなど国内外のプロジェクトの活動とともに、“ユニヴァーサルフォーム論”や“多元的世界と建築”等の造形論に関する論文でも国際的に注目される。2011年完成した日月潭「向山ビジターセンター」は台湾国内で高く評価され、日月潭の人気観光スポットともなった上、同年の「台湾建築賞」(日本の建築学会賞と相当する)として入賞された。
愛知万博の計画では初期の会場構想にかかわり、海上の森の保全をめぐっては環境保全を重視して新住事業など旧来の開発手法を厳しく批判した。この論争では後に長野県知事となる作家・田中康夫から取材を受けたのが縁で、同県で制定された「マスターアーキテクト」に指名されることとなった。
近年では、長野県軽井沢町に別荘を構える各界著名人が中心となって2018年に発足した、各地のまちづくりに貢献することを目的とする非営利団体『国際文化都市整備機構(FIACS)』の理事を務め、2020年より、軽井沢町の都市と自然環境保全のためのマスターアーキテクトに就任している。
主な作品
家族
曾祖父は三井合名理事長で血盟団事件で暗殺された團琢磨[1]。祖父は参議院議員の團伊能[1]。祖母は宮内省大膳頭を務めた上野季三郎の五女・美智子[3][4]。大叔父は生物学者の團勝磨[1]。異母兄は群馬大学教育学部美術専攻教授の團名保紀[1]。娘はタレントの團遥香[5]。
大伯母・英子[注釈 1]が服部金太郎の長男で服部時計店の2代目社長を務めた服部玄三に[3]、同じく大伯母・冨美子[注釈 2]が加藤高明の次男で東明火災海上保険(現・日新火災海上保険)の取締役を務めた加藤厚太郎に[3][6][7][8]、同じく大伯母・米子[注釈 3]が佐々木高行の孫で元神宮大宮司の佐々木行忠に嫁ぎ[3][9]、叔母・朗子[注釈 4]がブリヂストンの社長を務めた石橋幹一郎に嫁いだため[10]、團家はセイコーの創業者一族・服部家や三菱財閥の創業者一族・岩崎家及び住友財閥の創業者一族・住友家の親戚となる一方[注釈 5][3]、ブリヂストン創業者の石橋正二郎や元内閣総理大臣の鳩山一郎・鳩山由紀夫とも遠縁の親戚になった[3][10][11]。
系譜
著書
- 編「都市の未来-21世紀型都市の条件」(日本経済新聞社)
- 編著「東京論」(ガーデンシティ社)
- 小説「るにんせん」(新風舎)
- 「共生の都市学」鹿島出版会・SD選書
参考文献
脚注
注釈
- ^ 英子は上野季三郎の次女で美智子の次姉にあたる。
- ^ 冨美子は上野季三郎の三女で美智子の三姉にあたる。
- ^ 米子は上野季三郎の四女で美智子の四姉にあたる。
- ^ 朗子は伊能・美智子夫妻の長女で伊玖磨の妹にあたる。
- ^ 加藤高明の妻すなわち加藤厚太郎の母は岩崎弥太郎の長女であり[7][8]、佐々木行忠・米子夫妻の長男・行美は住友友成の長女と結婚している[3]。
出典
外部リンク
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