呂号第六十二潜水艦(ろごうだいろくじゅうにせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂六十型潜水艦(L4型)の3番艦。竣工時の艦名は第七十三潜水艦。
艦歴
歴代艦長
※『艦長たちの軍艦史』463-464頁及び『官報』による。階級は就任時のもの。
艤装員長
艦長
- 堀江吉正 少佐:1924年7月24日[6] - 1925年12月1日[7]
- 福沢常吉 大尉:1925年12月1日 - 1927年12月1日
- 今和泉喜次郎 大尉:1927年12月1日 - 1929年11月1日[8]
- (兼)嘉村嘉六 少佐:1929年11月1日[8] - 1929年11月30日[9]
- 佐々木半九 少佐:1929年11月30日 -
- 魚住治策 少佐:1930年4月24日 -
- 佐々木半九 少佐:不詳 - 1930年12月1日[10]
- 玉木留次郎 少佐:1930年12月1日 - 1931年11月14日
- (兼)鳥居威美 大尉:1931年11月14日[11] - 1932年9月24日[12]
- 岡本義助 少佐:1932年9月24日 - 1934年11月1日
- 大畑正 大尉:1934年11月1日 - 11月15日
- (兼)七字恒雄 少佐:1934年11月15日[13] - 12月15日[14]
- (兼)殿塚謹三 大尉:1934年12月15日[14] - 1935年11月15日[15]
- (兼)伊豆寿市 少佐:1935年11月15日[15] - 1936年2月15日[16]
- (兼)戸上一郎 大尉:1936年2月15日[16] - 12月1日[17]
- 田中万喜夫 少佐:1938年12月15日 - 1940年1月20日[18]
- (兼)大橋勝夫 少佐:1940年10月15日[19] - 1940年10月30日[20]
- 大田武 少佐:1940年10月30日 - 1941年7月31日[21]
- 滝沢是介 少佐:1941年7月31日 -
- 島田武夫 大尉:1942年5月23日 -
- 佐藤作馬 大尉:1942年10月15日 -
- 野村俊治 大尉:1943年3月16日 -
- 榎本泰夫 大尉:1943年8月20日 -
- 筑土龍男 大尉:1943年12月20日 -
- 上拾石康雄 大尉:1944年4月30日 -
- 中川博 大尉:1944年8月25日 -
- 小野信平 大尉:1944年12月15日 -
- 早川尋匡 少佐:1945年7月20日 -
脚注
参考文献
- 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。
- 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
関連項目