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艦歴
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計画 |
大正12年度艦艇補充計画
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起工 |
1924年2月6日
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進水 |
1925年2月23日
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就役 |
1925年10月29日
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除籍 |
1945年11月30日
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その後 |
1946年4月30日 若狭湾で海没処分
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性能諸元
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排水量 |
基準:988トン 常備:1,060.3トン 水中:1,301トン
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全長 |
76.20m
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全幅 |
7.38m
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吃水 |
3.96m
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機関 |
ヴィッカース式ディーゼル2基2軸 水上:2,400馬力 水中:1,600馬力
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速力 |
水上:15.7kt 水中:8.6kt
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航続距離 |
水上:10ktで5,500海里 水中:4ktで80海里[1]
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燃料 |
重油
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乗員 |
48名
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兵装 |
40口径8cm単装砲1門 53cm魚雷発射管 艦首6門 魚雷12本
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備考 |
安全潜航深度:60m
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呂号第六十八潜水艦(ろごうだいろくじゅうはちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂六十型潜水艦(L4型)の9番艦。
艦歴
歴代艦長
※『艦長たちの軍艦史』467-468頁による。
艤装員長
- 中邑元司 大尉:1925年7月1日 - 1925年10月29日
艦長
- 中邑元司 大尉:1925年10月29日 - 1926年12月1日
- 高木武雄 少佐:1926年12月1日 - 1927年12月1日
- 鍋島俊策 少佐:1927年12月1日 - 1928年12月10日
- 溝畠定一 大尉:1928年12月10日[7] - 1929年11月1日[8]
- 林一雄 大尉:1929年11月1日[8] - 1931年12月1日
- 藤本伝 大尉:1931年12月1日 - 1933年9月1日[9]
- (兼)大橋龍男 中佐:1933年9月1日 - 1933年12月1日
- 藤本伝 少佐:1933年12月1日 - 1934年6月1日
- 小泉騏一 少佐:1934年6月1日 - 1935年11月15日
- 七字恒雄 少佐:1935年11月15日 - 1936年6月20日
- 江見哲四郎 少佐:1936年6月20日 - 1936年12月1日
- 入江達 少佐:1936年12月1日 - 1937年3月20日[10]
- 田上明次 少佐:1937年3月20日 - 1937年7月1日[11]
- (兼)稲葉通宗 大尉:1937年7月1日[11] - 1937年7月31日[12]
- 伊豆寿市 少佐:1937年7月31日[12] - 1937年12月1日[13]
- 戸上一郎 少佐:1937年12月1日 - 1938年7月30日[14]
- 広川隆 少佐:1938年7月30日 - 1939年11月1日[15]
- (兼)市川旦 少佐:1939年11月1日[15] - 1939年11月20日[16]
- (兼)吉留善之助 少佐:1939年11月20日[17] - 1939年11月25日[18]
- 原田毫衛 少佐:1939年11月25日 - 1940年3月20日[19]
- 田岡清 少佐:1940年3月20日 - 1940年10月15日[20]
- 田中万喜夫 少佐:1940年10月15日 - 1941年7月31日[21]
- 井筒紋四郎 少佐:1941年7月31日 -
- 真鍋正輝 大尉:1942年5月23日 -
- 館上陸太 大尉:1943年3月16日 -
- 鈴木正吉 大尉:1943年8月1日 -
- 菅昌徹昭 大尉:1944年1月20日 -
- 上杉一秋 大尉:1944年3月20日 -
- 山中修明 大尉:1944年10月14日 -
- 鮫島修 大尉:1945年6月1日 -
脚注
参考文献
- 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。
- 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9