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艦歴
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計画 |
大正6年度計画[1]
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起工 |
1918年8月10日[1]
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進水 |
1920年3月9日[1]
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就役 |
1920年11月30日[1]
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除籍 |
1932年4月1日[1]
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性能諸元
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排水量 |
基準:893トン 常備:886.2トン 水中:1,075.2トン
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全長 |
70.59m
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全幅 |
7.16m
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吃水 |
3.90m
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機関 |
ヴィッカース式ディーゼル2基2軸 水上:2,400馬力 水中:1,600馬力
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速力 |
水上:17kt 水中:10.2kt
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航続距離 |
水上:10ktで5,500海里 水中:4ktで80海里
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燃料 |
重油
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乗員 |
45名
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兵装 |
短8cm高角砲1門 45cm魚雷発射管 艦首4門、舷側2門 魚雷10本
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備考 |
安全潜航深度:60m
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呂号第五十二潜水艦(ろごうだいごじゅうにせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂五十一型潜水艦(L1型)の2番艦。竣工時の艦名は第二十六潜水艦。
艦歴
1918年(大正7年)4月1日、第二十六潜水艇と命名[2]。同年8月10日、三菱神戸造船所で起工。1919年(大正8年)4月1日、「艦艇類別等級別表」の改正により潜水艇が潜水艦となり[3]第二十六潜水艦と改名し二等潜水艦に類別[4]。1920年(大正9年)3月9日進水。同年11月30日竣工。 1924年(大正13年)11月1日、呂号第五十二潜水艦に改称。1932年(昭和7年)4月1日に除籍。
機関のヴィッカース式ディーゼルが信頼性の高く故障も少なかったことから高い評価を受けた[5]。
歴代艦長
※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
艤装員長
- (心得)高須三二郎 大尉:1920年7月1日[6] - 1920年11月30日[7]
- (兼・心得)高須三二郎 大尉:1920年11月30日[7] -
艦長
- (心得)高須三二郎 大尉:1920年11月30日 - 1920年12月1日
- 白根貞介 少佐:1920年12月1日 - 1921年4月1日
- 大崎義雄 少佐:1921年4月1日[8] - 1922年2月6日[9]
- (心得)内藤淳 大尉:1922年2月6日[9] - 1922年5月15日[10]
- 石井順三 少佐:1922年5月15日[10] - 12月1日[11]
- (心得)河野静雄 大尉:1922年12月1日[11] -
脚注
- ^ a b c d e 『日本海軍史』第7巻、370頁。
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940) 384頁。◎「第二十五乃至第三十三潜水艇命名ノ件」大正七年四月一日(内令一〇五) 軍事補充費ヲ以テ製造スヘキ一等潜水艇九隻ニ左ノ通命名ス | 三菱造船株式會社神戸造船所ニテ製造ノモノ六隻 第二十五潜水艇/第二十六潜水艇 ※以下略。
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940) 77頁。大正八年三月二十日(達二七) 艦艇類別等級別表中左ノ通改正シ大正八年四月一日ヨリ施行ス | 備考欄内第四號ヲ左ノ通改ム | 四 潜水艦ノ類別等級及稱呼二關シテハ別ニ之ヲ定ム
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940) 82頁。◎「潜水艦類別等級」大正八年三月二十日(内令六五) 。
- ^ 『日本海軍の潜水艦』27頁。
- ^ 『官報』第2375号、大正9年7月2日。
- ^ a b 『官報』第2500号、大正9年12月1日。
- ^ 『官報』第2598号、大正10年4月2日。
- ^ a b 『官報』第2853号、大正11年2月7日。
- ^ a b 『官報』第2934号、大正11年5月16日。
- ^ a b 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
参考文献
- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』海軍大臣官房、1940年。
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0462-8
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
- 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。