呂号第二十四潜水艦

艦歴
計画 大正7年度計画[1]
起工 1919年4月21日[1]
進水 1919年12月8日[1]
就役 1920年11月30日[1]
除籍 1935年4月1日[1]
その後 1935年8月7日雑役船編入、橋船指定、公称第3107号と改名[1]
性能諸元
排水量 基準:740トン 常備:771.8トン
水中:996.8トン
全長 70.1m
全幅 6.12m
吃水 3.70m
機関 ズルツァー[2]2号ディーゼル2基
電動機、2軸
水上:2,600馬力
水中:1,200馬力
速力 水上:16.5kt
水中:8.5kt
航続距離 水上:10ktで6,000海里
水中:4ktで85海里
燃料 重油:75トン
乗員 46名
兵装 28口径8cm高角砲1門
45cm魚雷発射管 艦首4門、舷側2門
魚雷10本
備考 安全潜航深度:45.7m

呂号第二十四潜水艦(ろごうだいにじゅうよんせんすいかん)は、日本海軍潜水艦呂十六型潜水艦(海中3型)の9番艦。竣工時の艦名は第四十二潜水艦

艦歴

1919年大正8年)4月21日、佐世保海軍工廠で起工。同年12月8日進水。1920年(大正9年)11月30日竣工。竣工時の艦名は第四十二潜水艦、二等潜水艦に類別[1]1924年(大正13年)11月1日、呂号第二十四潜水艦に改称[1]1935年昭和10年)4月1日に除籍。同年8月7日、雑役船に編入され、橋船となり公称第3107号と改名。

呂十三型潜水艦より安全潜航深度が増大した他は大きな変更点はなかった[3]

歴代艦長

※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長

  • 大和田芳之介 少佐:1919年12月1日[4] - 1920年4月1日[5]
  • (兼)大和田芳之介 少佐:1920年4月1日[5] - 12月1日[6]
  • (兼)石井順三 少佐:1920年12月1日[6] -

艦長

  • 大和田芳之介 少佐:1920年4月1日[5] - 12月1日[6]
  • 石井順三 少佐:1920年12月1日[6] - 1921年11月1日[7]
  • (心得)関禎 大尉:1921年11月1日 - 12月1日
  • 関禎 少佐:1921年12月1日 - 1922年5月30日
  • (心得)八代祐吉 大尉:1922年5月30日 - 1924年5月10日
  • (心得)秋山勝三 大尉:1924年5月10日 - 1925年12月1日
  • 佐藤寅治郎 大尉:1925年12月1日 - 1927年12月5日
  • (兼)宇宿主一 大尉:1927年12月5日[8] - 1928年12月10日[9]
  • (兼)宮崎武治 大尉:1928年12月10日 - 1929年11月15日
  • (兼)浜野元一 大尉:1929年11月5日[10] - 1930年4月1日[11]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『日本海軍史』第7巻、368頁。
  2. ^ SULZER社。英語読みではスルザー。
  3. ^ 『日本海軍の潜水艦』26頁。
  4. ^ 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
  5. ^ a b c 『官報』第2298号、大正9年4月2日。
  6. ^ a b c d 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  7. ^ 『官報』第2776号、大正10年11月2日。
  8. ^ 『官報』第282号、昭和2年12月6日。
  9. ^ 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
  10. ^ 『官報』第857号、昭和4年11月6日。
  11. ^ 『官報』第975号、昭和5年4月2日。

参考文献

  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。

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