福岡県立小倉高等学校(ふくおかけんりつ こくらこうとうがっこう、Fukuoka Prefectural Kokura High School)は、福岡県北九州市小倉北区愛宕二丁目にある県立高等学校。
略称は「倉高」(くらこう)[1]、「小倉」(こくら)。スーパーサイエンスハイスクール (SSH)、ふくおかスーパーハイスクール (FSH) 指定校。
概要
福岡県第二学区(北九州市門司区、小倉北区、小倉南区、戸畑区)。
授業は、平日は50×6又は7コマの正課授業に加え朝講習と呼ばれる課外授業が7時30分から行われている。(但し、一年生の一学期は2023年度より廃止。)かつては土曜日に土曜講座として50分×4コマの授業が行われていたが、現在は廃止されている。
九州大学をはじめとした地元の国公立大学を目指す学生が多いのが特徴であるが、国立大学医学部や東京大学や京都大学、私立の早慶といった他の地方の名門大学へも、毎年一定数の合格者を輩出している。
映画「無法松の一生」の原作「富島松五郎伝」の中では、主人公無法松が可愛がる吉岡大尉の遺児のぼんぼん(小倉中学から五高・東大へ進学)の母校として登場、松本清張の名作「菊枕」(同題材は、田辺聖子の「花衣ぬぐやまつわる」―わが愛の杉田久女―でも取り上げられている)では、主人公の夫が美術教師として勤務していたのが小倉中学である。
制服
- 男子
旧制中学校を前身とする全国の公立高校のなかでも、旧制時代の制服・制帽の伝統が最もよく維持された学校である。冬季は、標準型の黒の学生服。だが、合服として着用されるグレーの霜降学生服こそ、別名「霜降り小倉」と言われるほど著名な地元の小倉織の生地で、他校にない小倉高校の特色をよく表現している。いずれにおいても、自分から見て右襟にローマ数字の学年章、左襟に数字の組章を、金色の大きな衿文字バッジで装着する。校章バッジはつけない。夏季は、両胸ポケットの開襟シャツに合服と同じグレーのズボンで、学年章と組章はフェルトにつけて、胸章として開襟シャツの左胸につける。また、白線一本を巻いた黒色の制帽をかぶることが、義務付けられている。制鞄があり、旧制中学時代と同じ、白い帆布製肩掛け鞄である。
伝統を堅持しているとはいえ、機能的に不都合な点については、2012年度より小規模な変更がなされた。例えば、体操着を風呂敷に包んでくるという校則が廃止された。布製のため雨天には中身が濡れやすかった制鞄は、蓋に防水加工が施された。また、伝統型の詰襟ではカラーを外し黒襟のバンカラ的着こなしがあとを絶たなかったことと、硬いカラーが窮屈感を増し襟のホックを外す誘因になっていたことから、冬服、合服共に、カラーを廃止して襟に白線を縫いつけたラウンドカラーに変更、合服は襟のサイズを緩くし、同時に、襟ホックを常時留める指導が強化された。
- 女子
冬季は、紺色のダブルのスーツ型、下にはブラウスを着用。ネクタイやリボンの類はなく、ブラウスの第一ボタンを常にかけて着用しなければならない。スカートは膝下10cm、束ねていない長髪は禁止、前髪は眉上。上着の自分から見て左下に、校章、学年章、クラス章という3つのバッジをフェルトに付けた胸章を装着する。夏服は、冬服と似た型で白色。スカートは男子の合服と同じグレー。胸章を、冬服と同じ位置に装着する。制鞄は、手持ち式の伝統的な型の学生鞄である。
象徴
- 校訓 - 「勉学・創造・規律・勤労・敬愛」
- 校是 - 「文武両道」「質実剛健」
- 校章 - 小倉藩主であった小笠原氏の家紋の三階菱の中に「小中高大」の文字が入っている。旧制小倉中学の校章(「小中(小倉中学)は大なり」と読む)に高を加えたもの。
- 校歌 - 作詞は元永辰夫、作曲は大塚淳。3番まであり、校名は歌詞に登場しない。逍遥歌(作詞:山口憲雄、作曲:宮崎昇)もある。
- 同窓会 - 「明陵同窓会」と称する。関東などに支部を置く。
沿革
小倉藩は幕末に長州戦争で破れ、藩庁・藩校を豊津(現・みやこ町)に移転したことから、小倉藩校の直系は、旧制豊津中学(現・福岡県立育徳館高等学校)であり、その小倉分校が小倉中学(第一次)であった。しかしながら、下記沿革にあるとおり、小倉中学(第一次)は1887年(明治20年)に廃止されている。その後、小倉市民の20年余に亘る復活運動を経て、1908年(明治41年)、福岡県立小倉中学校として再興された。なお、現在の小倉高校では、明治41年を開校の年としている。2008年(平成20年)に創立100周年を迎えた。
前史
正史
学校行事
3学期制をとる。
1学期
- 4月 - 入学式、始業式、対面式、応援練習、自律と協働の体験学習(規律と友情の皿倉登山)
- 5月 - 開校記念式典、文化祭、中間考査、PTA総会
- 6月 - 小倉・東筑定期野球大会、期末考査
- 7月 - 生徒会役員選挙、夏期クラスマッチ、終業式
2学期
- 9月 - 始業式、体育大会、中間考査
- 10月 - 学校開放説明会、除草作業
- 11月 - 芸術鑑賞教室、期末考査
- 12月 - 文化部発表会、終業式
3学期
- 1月 - 始業式、修学旅行
- 2月 - 学年末考査
- 3月 - 卒業式、冬季クラスマッチ、修了式
部活動
「文(=勉学)武(=課外活動)両道」の校是のもと、運動部文化部を問わず部活動が盛んである。
野球部は、上述のとおり1947年の第29回全国中等学校優勝野球大会で旧制小倉中学として、翌1948年の第30回全国高等学校野球選手権大会で新制小倉高校としてそれぞれ優勝、連覇を達成している。これを受け、第90回全国高等学校野球選手権記念大会では主将が始球式を行った。
ラグビー部は、山田章仁を擁した2003年に福岡県大会で優勝する(東福岡高校との同時優勝、全国大会へはトライ数の差で出場できず)など県内有数の強豪である。
放送部は、2023年に第七十回NHK杯全国高校放送コンテストアナウンス部門で準決勝まで勝ち進んだこともあるなど、強豪校である。
かつて存在した定時制課程の庭球部は 1980年(昭和55年)8月10日に全国大会で優勝している。
- 運動部
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- 文化部
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進路
以前は難関国立大学への現役合格志向が強く、九州大学への進学者が7、80人程度と特に多かったが、2000年代以降は生徒の意志を尊重した進路指導が行われていて(倉高ONLY ONE計画)、その数は減った。代わりに県内の他の進学校と比べて、東京大学、京都大学、大阪大学、その他有名私大を中心とした、関東・関西地区の難関大への進学者数が多い傾向にある。また、2020年以降、海外大学進学者も増加してきている[3]朝課外が実施されており、放課後には希望者を対象とした志望大学別の明陵講習も1講座あたり300円で行われている。2005年のSSH指定後、物理・化学・生物のI・IIの枠を外して学校設定科目を新設し、さらに医療系を目指す生徒向けに理科3科目を履修するコースが設置された。(尚、現在は廃止されている)文系は、地歴・公民2科目の受験にも対応している。
その他
乃木門
アクセス
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周辺
著名な出身者
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政界
官界
財界
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軍人
医学界
学術界
文芸界
芸能界
マスコミ界
スポーツ界
脚注
関連項目
外部リンク
部活動実績 |
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1910年代 | |
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1920年代 | |
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1930年代 | |
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1940年代 |
- 1940 海草中
- 1941 (中止)
- 1942-1945 (中断)
- 1946 浪華商
- 1947 小倉中
- 1948 小倉
- 1949 湘南
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1950年代 | |
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