6区 (パリ)
パリ・6区の位置
パリ・6区の位置
パリ の6区 (6く、仏 : 6e arrondissement de Paris ) は、フランス の首都 ・パリ市を構成する20の行政区 のひとつである [ 1] 。第6区、パリ6区ともいう。市のほぼ中央、1区 の南に位置しており、セーヌ川 の南岸に面している。
概要
The cultural center Le Lucernaire . Façade 53 rue Notre-Dame-des-Champs , quartier Notre-Dame-des-Champs . (ル・ルセルネール : モンパルナス 至近にある、3つの劇場ないし映画館, ギャラリー, 小書店, レストラン, カフェバー等を備えた施設)
パリ の6区は、市のほぼ中央にある行政区 。「リュクサンブール区 (Arrondissement du Luxembourg )」と呼ばれることもある[ 2] 。セーヌ川 の南岸に面しており、ルーヴル美術館 の対岸にあたる区域である。人口は、44,919人 (1999年。人口の推移等詳細については後述 )。
区の名称は、市の中央部から時計回り に螺旋 を描くようにして各区に付けられた番号を基にしており、当区はその6番目にあたることから、「6区」と名づけられた。5区 から6区にかけての地域はカルチエ・ラタン と呼ばれ、大学など多くの高等教育機関 が立地し、古くから学生街 として知られている。6区には、国立高等美術学校(ボザール) 、パリ第2大学(パンテオン・アサス) などがある。ほかに主要な施設としては、リュクサンブール宮殿 (元老院 (フランス上院) )、サン=シュルピス教会 、フランス学士院 などがある。
なお、セーヌ川に沿った地域は、「パリのセーヌ河岸 」として世界遺産 に登録されている。
6区は街並みの景観の良さや注目すべき建築物の存在、そして伝統的に知的文化の中心地であり、なおかつパリの中心部に位置していることから、長きに渡ってフランスの知識人が多く住まう区であった。加えて今日では画廊やファッション・ブティックが多く立地しており、パリの中でも最も地価の高い地区のひとつであり、住民の収入額がパリで最も高い区のひとつでもある。5区 、7区 などとともに「セーヌ左岸 」に属する。
地理
パリ・6区の詳細地図
Bouquiniste sur le マラケ河岸 (ブキニスト:セーヌ川 両岸、左岸であれば5区トゥルネル河岸 から7区ヴォルテール河岸 にかけて見られる、中古本、稀覯書等を取り扱う古書屋)
6区は、パリのほぼ中央部、1区 の南に位置しており、セーヌ川 の南岸に面している[ 3] 。面積は2.15 平方キロメートルで、20区 のうちで5番目に面積が小さい。
北は、セーヌ川を挟んで、同じパリの行政区 である1区 に接している。南は、"芸術 の街" モンパルナス 地区のある14区 及び15区 に接している。西は7区 に接し、東は5区 に接している。
"カルチエ・ラタン " は5区と6区にまたがり形成され、モンパルナス地区にも近いほか、サン=ジェルマン=デ=プレ地区 にはサン=ジェルマン=デ=プレ教会 や、ノートルダム大聖堂 に次ぎパリで2番目の規模を持つサン=シュルピス教会 が位置している。
隣接する自治体(行政区)
地区(カルチェ)
パリ・6区のカルチエ詳細図
パリの行政区 は、それぞれ4つの地区(カルチェ)に区分されている。6区を構成する4地区のコードと名称は、次のとおりである。
住民
人口
6区の人口は、1911年に102,993人となり、ピークに達した。しかし、その後は減少を続け、1999年には半分以下の44,919人となった。2005年の推計では45,200人と見積もられており、人口の回復が見込まれている。
また、人口の減少とともに人口密度も減り続けており、1999年の人口密度は、ピーク時の半分以下の20,854人となっている。人口の推移の詳細は、次のとおりである。
年
区人口
市人口
区人口/市人口
区人口密度
市人口密度
備考
1872年
90,288
1,851,792
4.88%
41,916
21,303
1911年
102,993
2,888,110
3.57%
47,815
33,225
人口がピークに達する。
1954年
88,200
2,850,189
3.09%
40,947
32,788
1962年
80,262
2,790,091
2.88%
37,262
32,097
1968年
70,891
2,590,771
2.74%
32,911
29,804
1975年
56,331
2,299,830
2.45%
26,152
26,457
1982年
48,905
2,176,243
2.25%
22,704
25,035
1990年
47,891
2,152,423
2.22%
22,234
24,761
1999年
44,919
2,125,246
2.11%
20,854
24,449
2005年
45,200
2,166,200
2.09%
20,984
24,920
人口は推計。
歴史
現在の6区界隈は、幾世紀にも渡り、6世紀設立のサン=ジェルマン=デ=プレ修道院 の強い影響下にあった。その結果、多くの宗教団がこの地区に居を構えていた。
1612年 、王妃マリー・ド・メディシス はこの地の建物を買い上げ、建築家サロモン・ド・ブロス (Salomon de Brosse ) に依頼して豪華なリュクサンブール宮殿 に改装させた。宮殿は広大な王室庭園に囲まれた形となっていた。この宮殿および庭園の完成の影響で、この地区はにわかにフランス上流階級 の集まる上品な地区へと変貌していった。
1950年代 からは区内外に高等教育機関 が集中し、また著名なカフェ(カフェ・ド・フロール 、ドゥ・マゴ [ 注 1] 、ラ・パレット (La Palette ) など)、および出版社(ガリマール出版社 、ジュリアール出版社 (Éditions Julliard )、グラッセ出版社 (Éditions Grasset ) 、エロール出版社 (Éditions Eyrolles ) など)が区内外に集中して、パリの中でも戦後の知的・文学的ムーブメントの歴史的中心地となった。シュールレアリスム 、実存主義 、および現代的なフェミニズム などはこの地において産まれた、あるいは育まれたと言うことができよう。
リュクサンブール宮殿
政治・行政・司法
主な官公庁・公共機関
経済
主な店舗・商業施設
ル・プロコップ
カフェ・ブラッスリー・レストラン
ル・プロコープ (Le Procope )
カフェ・ド・フロール (Café de Flore )
リップ (Lipp )
レ・ドゥ・マゴ (Les Deux Magots )
ラ・ロトンド (La Rotonde )
ル・セレクト (Le Select )
同様にピカソ、フィッツジェラルド、ヘミングウェイらが集ったモンパルナス地区にある1923年創業のブラッスリー。ヴァヴァン交差点 (現 パブロ=ピカソ広場) 界隈にある。
ラ・クロズリー・デ・リラ (La Closerie des Lilas )
同様にモネ、ルノワールら印象派 からピカソ、モディリアーニ、サルトルらが、特に米国人のフィッツジェラルド、ヘミングウェイ、ヘンリー・ミラーらが集ったことでも知られる1847年創業のブラッスリー。モンパルナス大通りとリュクサンブール庭園 南側オプセルヴァトワール大通りとの交差点界隈にある。ラ・ロトンドなどと同様、モンパルナスの文化人らが集っていた。第一次世界大戦 後、サン=ジェルマン=デ=プレに開店した上記カフェ・ド・フロールに人の波が移りかつて程の輝きは無くなったとのこと[ 10] 。
パティスリー
ラデュレ (Ladurée )
8区 ロワイヤル通り (Rue Royale ) 16番地にある本店の他、シャンゼリゼ大通り (Avenue des Champs-Élysées ) 75番地や、6区ボナパルト通り (Rue Bonaparte ) 21番地のほか、新宿 や銀座 の他、2018年に表参道 (南青山 5丁目交差点)に路面店が設けられるなど日本も含めた海外店舗がある。
ラ・メゾン・デュ・ショコラ (La Maison du Chocolat )
1977年10月、8区フォーブール=サントノレ通り (Rue du Faubourg-Saint-Honoré ) 225番地で開店した。6区内では、メトロ セーヴル=バビロヌ駅 最寄りのル・コルビュジエ広場界隈、セーヴル通り (Rue de Sèvres ) 19番地・・等にある他、国外では、東京表参道(南青山5丁目交差点界隈)、丸の内 (有楽町 )・・等に店舗がある。
ピエール・エルメ・パリ (Pierre Hermé Paris )
ラデュレなどと同様マカロン 等で知られる1998年"東京 発"のピエール・エルメ の店舗。ボナパルト通り72番地や15区 ヴォージラール通り (Rue de Vaugirard ) 185番地、16区 ポール=ドゥメール大通り (Avenue Paul-Doumer ) 58番地、1区 カンボン通り (Rue Cambon ) 4番地、2区 オペラ大通り (Avenue de l'Opera ) 39番地、シャンゼリゼ大通り、東京表参道(南青山5丁目交差点界隈)・・等に店舗がある。
ジャン=シャルル・ロシュー (Jean-Charles Rochoux )
2004年に独立し、アサス通り (ダサス通り, Rue d'Assas )16番地に店舗がある。2018年1月、東京・南青山5丁目骨董通り 界隈に海外1号店が開店した。2018年現在Wikipedia仏語版が無いように新進のショコラティエ 。
パティスリー・サダハル・アオキ・パリ (Pâtisserie Sadaharu AOKI paris )
2001年ヴォージラール通り16番地に開店した。その他、5区 ポール=ロワイヤル大通り (Boulevard de Port-Royal ) 56番地、7区 サン=ドミニク通り (Rue Saint-Dominique ) 103番地、15区ペリニョン通り (Rue Pérignon ) 25番地、9区 オスマン大通り (Boulevard Haussmann ) 35番地、東京ミッドタウン や丸の内(有楽町)、台北 等に店舗がある。
ファッションブランド
ソニア・リキエル (Sonia Lykiel )
6区グルネル通り (Rue de Grenelle ) 4番地と同サンジェルマン大通り (Boulevard Saint-Germain ) 175番地、8区フォーブール=サントノレ通り (Rue du Faubourg Saint-Honoré ) 70番地、14区 南側アレジア通り (Rue d'Alésia ) 110-112番地等に店舗がある。グルネル通り店は 7区 至近にあり、近くにはセリーヌ 、クリスチャン・ルブタン 、エルメス 、プラダ 、ボン・マルシェ百貨店 、高級食材店ラ・グランド・エピスリー・ド・パリ等がある。
学術・研究
フランス学士院、右にルーブル宮殿
École Nationale Supérieure des Beaux-Arts
Lycée Montaigne 、rue Auguste-Comte
学術団体
教育
大学等
社会科学高等研究院 (ウー・アッシュ・ウー・エス・エス(EHESS)、École des hautes études en sciences sociales ))
国立行政学院 (エナ、École nationale d'administration )
パリ政治学院 (シアンスポ、Institut d'études politiques de Paris )
パリ国立高等鉱業学校 (ミンヌ、École nationale supérieure des mines de Paris )
国立土木学校 (エコール・デ・ポンあるいはポン・ゼ・ショッセ、École nationale des ponts et chaussées )
パリ国立高等美術学校 (ボザール、École Nationale Supérieure des Beaux-Arts )
パリ第1大学 (パンテオン・ソルボンヌ、Université Paris I (Panthéon-Sorbonne) )
フール通り (Rue du Four ) 沿いに校舎の一つがある。
パリ第2大学 (パンテオン・アサス、Université Paris II (Panthéon-Assas) )
パリ第5大学 (デカルト、Université Paris V (Descartes) )
パリ・カトリック大学 (Institut catholique de Paris )
高等学校
その他
グランド・ショミエール芸術学校 (Académie de la Grande Chaumière )
1904年に設立された私立の美術学校 。グランド・ショミエール通り (Rue de la Grande Chaumière) 14番地にある。
アリアンスフランセーズ (Alliance française )
フランス語 とフランス文化 理解促進を趣旨目的とする学校を世界各地に展開する財団 。ラスパイユ大通り (Boulevard Raspail) 101番地、フルリュース通り (Rue de Fleurus) 34・35番地に財団本部とパリ・イル=ド=フランス 校がある。
宿泊施設
主な宿泊施設
文化施設
美術館・博物館
パリ造幣局博物館 , コンティ河岸
Rue de Médicis vue du passage de l'Odéon .
映画館・劇場
その他
宗教施設
教会・寺院
観光・憩い
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Le Jardin du Luxembourg
Le Jardin du Luxembourg
Fontaine Médicis du Jardin du Luxembourg
グラン=エクスプロラトゥール・マルコ=ポーロ・エ・カブリエ=ド=ラ=サール庭園。リュクサンブール庭園方向を見る
La fontaine Saint-Sulpice, au centre de la place Saint-Sulpice.
スクアール・ローラン=プラッシュ(ローラン=プラッシュ広場)。背景は
サン=ジェルマン=デ=プレ教会
建築
公園・緑地等
交通
メトロ セーヴル=バビロヌ駅 (Station Sèvres - Babylone)
メトロ マビヨン駅 (Station Mabillon)
鉄道
道路
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アサス通り (ダサス通り、Rue d'Assas )
オーギュスト=コント通り (Rue Auguste-Comte )
アンシエンヌ=コメディ通り (ランシエンヌ=コメディ通り、Rue de l'Ancienne-Comédie )
オプセルヴァトワール大通り (ロプセルヴァトワール大通り、Avenue de l'Observatoire )
リュクサンブール庭園、グラン=エクスプロラトゥール・マルコ=ポーロ・エ・カブリエ=ド=ラ=サール庭園に沿って走るサン=ミッシェル大通りから引き続いて南北に伸びる通り。モンパルナス大通りと交差し14区 に入りパリ天文台 界隈まで続く。
ギヌメール通り (Rue Guynemer )
グルネル通り (Rue de Grenelle )
コンデ通り (Rue de Condé )
モネ地区を南北に走るマザリヌ通りが途中、アンシェンヌ=コメディ通りと名を変え、サン=ジェルマン大通りと交差する。交差点から先はさらにオデオン通りと名を変え、オデオン座のあるオデオン広場界隈やリュクサンブール庭園へ伸びる。そのオデオン通りからコンデ通りとムッシュ=ル=プランス通りとが分岐し、ムッシュはオデオンの東側を、コンデはオデオンの西側をそれぞれ南北に並走する。コンデ公 の居宅「Hôtel de Condé 」が所在した。館は現在のオデオン座。
ケ・デ・グラン=オーギュスタン通り (ケ・デ・グラン=ゾーギュスタン通り、Quai des Grands-Augustins )
ケ・ド・コンティ通り (Quai de Conti )
ケ・マラケ通り (Quai Malaquais )
サン=アンドレ=デ=ザール通り (サン=タンドレ=デ=ザール通り, Rue Saint-André-des-Arts )
サン=シュルピス通り (Rue Saint-Sulpice )
サン=シュルピス教会 の北側に沿ってサン=ジェルマン=デ=プレ界隈を東西に走る、ファッションのブティックや雑貨店等が並ぶ通り。東京青山 でも展開するインテリア店メゾン・ドゥ・ファミーユ (Maison de Famille)[ 12] や無印良品 の店舗もある。サン=シュルピス広場界隈で交差するボナパルト通りから西へは、ヴュー=コロンビエ通り (Rue du Vieux-Colombier ) と通り名を変えて続き、サン=シュルピス駅交差点でレンヌ通りと、さらにセーヴル通りと交差する。通り沿いには上記無印の他、ボナパルト通り側にあるピエール・エルメ 等のパティスリー、2014年創業の新進ブランド クロエ・ストラ (Chloé Stora) のパリ旗艦店、エルベ・シャプリエ 、共にパリ市内各所にあるマージュ (Maje) とザディグ・エ・ヴォルテール (Zadig & Voltaire)、ロンシャン ・・等のブティック、ヴュー・コロンビエ劇場 ・・等がある。
サン=ジェルマン大通り (Boulevard Saint-Germain )
サン=ブノワ通り (Rue Saint-Benoît )
ボナパルト通りの至近西側を南北に並走する。ジャコブ通りとサン=ジェルマン大通りとの間を走る。同通り5番地にはマルグリット・デュラス が亡くなるまで暮らした建物があり、プラークが掲げられている。ジャコブ通り側には少なくなったとはいえ書店のほか、アート・ギャラリー 等がいくつかある。また公立学校が連なり、アラン・ドロン とナタリー・ドロン の子アントニー・ドロン もそうであったようにサン=ジェルマン=デプレ界隈のセレブリティ 達の子も通う12番地のサン=ブノワ小学校 (école primaire Saint-Benoît)、16番地のサン=ブノワ幼稚園 (école maternelle publique Saint-Benoît)、18番地のジャック=プレヴェール中学校 (collège Jacques-Prévert) がある。他に、ジャズクラブ のル・クルブ・サン=ジェルマン (Le Club Saint-Germain)、ホテル、フランス料理店、和食店の円から、著名なカフェ・ド・フロール、ルイ・ヴィトン ・・までが店舗を構える。
サン=ペール通り (Rue des Saints-Pères )
サン=ミッシェル大通り (Boulevard Saint-Michel )
シェルシュ=ミディ通り (Rue du Cherche-Midi )
セーヴル=バビロヌ駅交差点ル・コルビュジエ広場の北側にあたるセーヴル通り界隈から派生し、同セーヴル通りの東側を南北に並走しながら、14区との区境を走るモンパルナス大通り先まで走る。8番地の老舗ブーランジュリー チェーンのポワランヌ (Boulangerie Poilâne) 、14番地の革バッグで知られる1996年創業のロックスウッド (Loxwood Le Parisien Cabas) などのブティックが軒を連ねる。
ジャコブ通り (Rue Jacob )
サンジェルマン=デ=プレ地区の"心臓部"で、南北に走るボナパルト通りと東西に交差する通り。東側で下記セーヌ通りまで伸び、西側の7区側でユニヴェルシテ通りに接続し、エッフェル塔 真横まで伸びてゆく。
セーヴル通り (Rue de Sèvres )
南北に走るレンヌ通りから7区・15区との境界上アンリ=キュイユ広場 (fr ) まで6区内を左斜め下に伸びる通り。セーヴル=バビロヌ駅付近のバビロヌ通りや下記ラスパイユ大通りとの交差地点ル・コルビュジエ広場界隈は7区との境界線付近にあたる。セーヴル=バビロヌ駅からサン=シュルピス駅にかけた一帯には、ブシコー公園、ホテル・ルテシアやボン・マルシェ百貨店 、マージュ (Maje)、ベルルッティ (Berluti )、セリーヌ 、サン=ローラン 、エルメス 、プラダ 、クリスチャン・ルブタン 、フェラガモ 、キプリング (Kipling)、イネス・ド・ラ・フレサンジュ ・・等のブティック、ラ・メゾン・デュ・ショコラ (La Maison du Chocolat)、高級食材店ラ・グランド・エピスリー・ド・パリ・・等がある。また、ラスパイユ大通りを北側へ、ヴァレンヌ通りとの交差地点を過ぎて、バック通りやサン=ジェルマン大通りと交差するメトロ リュ・ド・バック駅 があるルネ=シャール広場界隈までには、ショコラ等のパティスリー で知られるユーゴ・エ・ヴィクトール (Hugo et Victor)、ケンゾー やポール・スミス 等のブティックや香水店、ワイン専門店 ラ・カーヴ・ド・ジョエル・ロブション (La Cave de Joël Robuchon)、スーパーのモノプリ (Monoprix)・・などがある。さらにルネ=シャール広場からバック通りへ進むと、ラトリエ・ド・ジョエル・ロブション (L'Atelier de Joël Robuchon)等のレストラン、マージュ (Maje)、サントノレ通り 界隈の店舗が知られるインテリアデザインのメゾン・サラ・ラヴォワンヌ (Maison Sarah Lavoine)・・等が立地している。
セーヌ通り (Rue de Seine )
サン=ジェルマン=デ=プレ地区とモネ地区とのカルティエ 間の境界上を走り、オデオン地区まで走る通り。ビュシ、フール、アンシェンヌ=コメディ、ドーフィヌ通り・・等、ボナパルト通り東側に位置するセーヌ通り一帯にレストランやカフェからブティックまで点在している。上記ジャコブ通りの起点界隈にファッションブランドのジェローム・ドレフュス (Jérôme Dreyfuss ) とイザベル・マラン (Isabel Marant ) のブティックがあるが、両人共夫婦。共に東京表参道 界隈にブティックがある。
セルヴァンドニ通り (Rue Servandonie )
「三銃士 」のダルタニャン は設定で当通り12番地界隈に居住し(実際に居住した地は7区 バック通り界隈)、「レ・ミゼラブル 」のマリウス・ポンメルシー は設定で1817-1827年の間、通り界隈に居住していたとされている。サン=シュルピス教会とリュクサンブール庭園 との間を南北に結ぶ短い通り。
デュパン通り (Rue Dupin )
ボン・マルシェ百貨店の南側に沿って走るセーヴル通り界隈から南へ伸びる通り。
トゥルノン通り (Rue de Tournon )
ドーフィヌ通り (Rue Dauphine )
ノートル=ダム=デ=シャン通り (Rue Notre-Dame-des-Champs )
フール通り (Rue du Four )
サン=ジェルマン大通りでビュシ通りから名を変え西側へ続く通り。サン=ジェルマン=デ=プレ界隈のボナパルト通り、レンヌ通りと交差し、7区側区境ドラゴン通りとヴュー=コロンビエ通りとの交差点、ル・コルビュジエ広場の北側界隈でセーヴル通りと接続する。通り沿いには主にフランス国内200カ所にあり青山・銀座など日本にも進出しているシネクァノン(Sinéquanone )・・といったブティック等が軒を連ねている。
フルリュース通り (Rue de Fleurus )
フルスタンベール通り (Rue de Furstemberg )
ヴォージラール通り (Rue de Vaugirard )
ボザール通り (ボ=アール通り、Rue des Beaux-Arts )
ボナパルト通り (Rue Bonaparte )
マザリヌ通り (Rue Mazarine )
モネ地区を南北に走る通り。途中、アンシエンヌ=コメディ通りと名を変え、東西に走るサン=ジェルマン大通りと交差する。交差する先は、オデオン通りと名を変えオデオン座やリュクサンブール庭園北側に至る。通り沿いにはレストランやパティスリー等が軒を連ねる。
メディシス通り (Rue de Médicis )
モンパルナス大通り (Boulevard du Montparnasse )
14区との境界線上を走る通り。モンパルナス駅 からラスパイユ大通りとのヴァヴァン交差点 (パブロ=ピカソ広場) 界隈、メトロのヴァヴァン駅 付近にかけて、著名なカフェないしレストラン等が集積している。
ラスパイユ大通り (Boulevard Raspail )
バック通りやサンジェルマン大通りが接続する7区内のルネ=シャール広場から6区内を右斜め下に横切り、モンパルナス大通りと交差し14区内に入る。14区中心にあるダンフェール=ロシュロー広場 (カタコンブ・ド・パリ ) 界隈までを走る通り。
レンヌ通り (Rue de Rennes )
ボナパルト通りとサンジェルマン大通りとが交差するサンジェルマン=デ=プレ広場界隈からモンパルナスへ南北に走る通り。通りのサンジェルマン=デ=プレ広場界隈付近には、上記のカフェないしブラッスリーから、スーパーマーケットのモノプリ (Monoprix ) の他、 エンポリオ・アルマーニ やカルティエ 、ZARA 、GAP 、ケンゾー、セイコー 、ロレックス 、Mont Blanc 、オーガニックコスメで知られるイヴ・ロシェ(ール)(Yves Rocher) など、ファッションやラグジュアリーブランド店等が軒を連ねる。
橋梁
シテ島 、サン=ルイ島 付近の橋
セーヌ川 に架かる区内の橋は、次のとおりである(上流から順に列挙)。
サン=ミッシェル橋 (Pont Saint-Michel )
ポンヌフ (新橋, Pont Neuf )
現存するパリ最古の橋。シテ島を挟んでセーヌ川両岸を結ぶ。
ポン・デザール (芸術橋, Pont des Arts )
カルーゼル橋 (Pont du Carrousel )
広場・交差点
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パリの「広場 (プラス、Place )」は、しばしば2以上の道路 が交差する場所に位置し、中心の「島」を道路が周回するロータリー 状の交差点 となっている場合が多い。中心の「島」部分は、オベリスク や緑地 等に利用されている場合もあり、エトワール凱旋門 があるシャルル・ド・ゴール広場 は世界的に有名である。6区の広場や交差点には、次のようなものがある。
オデオン交差点(Carrefour de l'Odéon )
南北に走るマザリヌ通りがアンシエンヌ=コメディ通りと名を変え、東西に走るサン=ジェルマン大通り と交差するが、その交差点の先、至近にある交差点。オデオン交差点から、アンシェンヌ=コメディはオデオン通り、コンデ通り、ムッシュ=プランス通りの3つに分岐し、オデオン通りはオデオン座 があるオデオン広場に至る。同広場のすぐ南側はリュクサンブール庭園 になる。
オデオン広場 (Place de l'Odéon )
サン=ミッシェル広場 (Place Saint-Michel )
サンジェルマン=デ=プレ広場 (Place Saint-Germain-des-Prés )
1940年6月18日広場 (プラス・デュ・ディズウィット=シス=ミル・ヌフ・サン・キャラント, Place du 18-Juin-1940 )
ミッシェル=ドゥブレ広場 (Place Michel-Debré )
旧ラ・クロワ=ルージュ交差点 (赤十字交差点, Carrefour de la Croix-Rouge )。下記ル・コルビュジエ広場の北側至近にある。グルネル、セーヴル、フール、シェルシュ=ミディ、ヴュー=コロンビエ通り等が交差する。名称はミシェル・ドゥブレ から。
ル・コルビュジエ広場 (Place Le Corbusier )
6区と7区 の境界に位置し、セーヴル=バビロヌ駅界隈にはボン・マルシェやオテル・ルテシア、ブティック・・等が軒を連ねる。ブシコー公園に面している。名称はル・コルビュジエ から。
レオン=ポール=ファルグ広場 (Place Léon-Paul-Fargue )
船舶
著名な出身者
La Rue du Jardinet (カミーユ・サン=サーンス の出生地界隈)
Rue Hautefeuille (シャルル・ボードレール の出生地界隈)
サンジェルマン・デ・プレ広場
貴族
政治
学者
文化
芸能
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著名な居住者
王族・貴族・軍人
政治
財界
学者
文化
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モンパルナス大通り (Boulevard du Montparnasse ) 居住者
芸能
スポーツ
その他
ゆかりの人物
政治
文化
芸能
6区を舞台にした作品
小説・詩
映画
脚注
注釈
^ 「レ・ドゥ・マゴ」または「ドゥマゴ」と表記されることもある。
出典
^ フランス語 の 「6e 」 = 「sixième 」 は、英語 の「sixth 」 に相当する序数 。「第6の」 「6番目の」を意味する。したがって、原語の「6e arrondissement 」を直訳すると「第6区」となる。
^ レジフランス (Légifrance ). “地方自治一般法典 (Code Général des Collectivités Territoriales (CGCT) )” R2512-1条 . 2008年6月26日閲覧.
^ セーヌ川の左岸にあたる。
^ 地球の歩き方 編集室編 『地球の歩き方A07・パリ&近郊の町 2007〜2008年版 』 ダイヤモンド社 、2007年、p.254.
^ JTBパブリッシング 編 『ワールドガイド ヨーロッパ2・パリ』 JTBパブリッシング、2006年、p.162.
^ 地球の歩き方編集室編 『地球の歩き方A07・パリ&近郊の町 2007〜2008年版 』 ダイヤモンド社、2007年、p.281.
^ 地球の歩き方編集室編 『地球の歩き方A07・パリ&近郊の町 2007〜2008年版 』 ダイヤモンド社、2007年、p.132.
^ JTBパブリッシング編 『ワールドガイド ヨーロッパ2・パリ』 JTBパブリッシング、2006年、p.18.
^ 海外業務提携一号店にあたる同カフェは『ドゥマゴ パリ 』 トランジットジェネラルオフィス公式HPを、同ブーランジュリーは『ドゥマゴ 』 サンジェルマン 公式HPをそれぞれ参照。
^ 『ラ・クローズリー・デ・リラ La Closerie des Lilas 』 paris-bistro-japon
^ 地球の歩き方編集室 編 『地球の歩き方A07・パリ&近郊の町 2007〜2008年版 』、ダイヤモンド社 、2007年、p.360.
^ 1993年に同通り29番地で創業し、イタリアの他、1998年から南青山骨董通り でも展開するクラシックモダンな家具雑貨などのインテリアショップ(仏公式HP (仏語) 、Maison de famille (メゾン ドゥ ファミーユ) besanee 2015年10月25日)。
^ Mary Ann Caws , Les Vies de Dora Maar : Bataille, Picasso et les surréalistes , Paris, Thames & Hudson, 2000 , 224 p. (ISBN 2878111850 ) , p. 13 228 illustrations dont 87 en couleurs.
但し、日本ではユーゴスラビア 生まれ、アルゼンチン 生まれとする解説もある。
^ a b « Rue de Furstemberg, dans le 6e arrondissement », Paris, de Lutèce à nos jours , no 19, décembre 2018, janvier février 2019, Édition Soteca (ISSN 2271-9083).
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参考文献
関連項目
外部リンク
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