サン=ジェルマン=アン=レー(またはサン=ジェルマン=オン=レー[1]、フランス語・英語等:Saint-Germain-en-Laye)は、フランスのイル・ド・フランス地域圏イヴリーヌ県(パリの西部)のコミューン。パリやセーヌ川を一望できる台地にある。パリ郊外では、随一の高級住宅地の一つであるとされる。
歴史
1124年、ルイ6世によって最初の城塞(16世紀以降の名称:シャトー・ヴィユー[château vieux、意:古城])が築かれた。16世紀には、アンリ2世によってシャトー・ヌフ(château neuf、意:新城)が建造され、以後、1689年に当時の国王ルイ14世がヴェルサイユに移り住むまで、王の居城であった。
1837年にはパリのサン・ラザール駅からサン=ジェルマン=アン=レーへの鉄道が開通する。これはパリ発の鉄道としては初めての路線であったが、フランス初の鉄道はリヨンが発祥である。まず1836年に手前の駅シャトゥーまでが開通した後、翌年にセーヌ川を渡る高架橋が建設され、サンジェルマンまで延長された。
サン=ジェルマン=アン=レー条約
フランスの歴史上、この名で呼ばれる条約は多い。以下は全て、サン=ジェルマン=アン=レー条約(Traité de Saint-Germain-en-Laye)と呼ばれるものである。
交通
鉄道
RER A線の終着駅である。前述のとおり、フランスで2番目、パリ発では初めての路線であるが、サン・ラザール駅発着の路線であったものが、パリ東部のバスティーユ駅発ヴァンセンヌ線とを1961年にパリ市内を地下で結び、現在のRER A線となった。
グランド・サンチュールの駅も存在するが、長いこと廃線となっていた。しかし2004年、ノワジー=ル=ロワとを結ぶ一部路線がグランド・サンチュール・ウェストとして旅客用路線としての営業を復活させた。RERとグランド・サンチュールの駅は離れている。連絡線は存在するが、現在[いつ?]は電気系統および運行会社が異なるため旅客用列車には使われておらず、両駅を結ぶナヴェット(シャトルバス)が運行されている(フランス語版ウィキペディア、当該項目も参照のこと)。
かつて19世紀にはサンジェルマン=アン=レーよりアシェール経由ポワシー行きのトラムウェイが運行されていた。これはサンジェルマンの森の中を通るトラムであったので、当時のポスターではロングスカートの婦人が車窓から森を眺める絵柄で半ば休日のピクニック用路線として宣伝されていた。現在[いつ?]は存在しない。
グランド・サンチュール・ウェストの駅
観光名所
施設名のラテン文字表記はフランス語。
- ルイ6世の時代からルイ14世の時代まで、国王の主要な居城の一つとして機能した。元イングランド王ジェームズ2世はルイ14世の保護の下この城に亡くなるまで住んでいた。現在の城はルネサンス様式のもので、フランソワ1世によって再建され、ナポレオン3世によって修復されたもの。
- 現在[いつ?]、サン=ジェルマン=アン=レー城内に設けられている。約2万5千年前(後期旧石器時代)の女神像として有名な「ブラセンプーイのヴィーナス(英語版)」を始めとして、先史時代からメロヴィング朝時代にかけての考古学的・歴史的遺物を展示。
- 画家モーリス・ドニの旧邸宅を美術館にしたもので、彼や他のナビ派の作品を展示している。
- 作曲家クロード・ドビュッシーの生家。1階は観光案内所になっており、住居であった2階が展示室、3階が演奏室になっている。
- サン=ジェルマン=アン=レー市立博物館 Musée municipal de Saint-Germain-en-Laye (fr)
- 初期フランドル派の画家ヒエロニムス・ボスの作品 "The Conjurer" (オランダ語原題:"De goochelaar")などを展示。
- その他
- ウェルキンゲトリクスの像 Statue de Vercingétorix, Saint-Germain-en-Laye
- エメ・ミレーの手による、ガリアの英雄ウェルキンゲトリクスの銅像。詳しくは別項「ウェルキンゲトリクス#フランス最初の英雄」を参照のこと。
当地にゆかりのある有名人
当地で生まれた有名人
生まれ以外でゆかりのある有名人
姉妹都市
脚注
- ^ フランス語の「en」の発音は、サンジェルマン・オン・レーの表記がより原音に近い。ちなみに、ランバンの日本におけるライセンスブランド表記も「ランバン・オン・ブルー」である。
- ^ 太字の駅は始発・終着列車がある
- ^ メトロ、列車、トラムなどのガイドされた交通機関(フランス語版)のみ記載している。バス路線などのその他の交通機関とはすべての駅で連絡する。
外部リンク