ロラン・バルト(Roland Barthes、1915年11月12日 - 1980年3月26日)は、フランスの哲学者、記号学者、批評家。高等研究実習院(École pratique des hautes études)教授、コレージュ・ド・フランス教授を歴任した。
思想・作風
シェルブールに生まれ、バイヨンヌに育つ。ソシュール、サルトルの影響を受け、エクリチュールについて独自の思想的立場を築いた。歴史家にとどまらないミシュレの活動に着目した『ミシュレ』、『作者の死』の一編を収めた『物語の構造分析』、フランスのさまざまな文化・慣習を分析した『神話作用(英語版)』、衣服などの流行を論じた『モードの体系』、バルザックの中編を過剰に詳細に分析した『S/Z(英語版)』、自伝の形をとりながら自伝ではない『彼自身によるロラン・バルト』、写真に対して抱く、感動に満ちた関心の中で道徳的、政治的な教養(文化)という合理的な仲介物を仲立ちとしている、いわば教養文化を通して感じられる「ストゥディウム(studium)」、そのストディウムをかき乱し、印象に残る細部として表象される「プンクトゥム(punctum)」という二つの概念で論じた遺作『明るい部屋』など、その活動は幅広いが、一貫しているのは、文学への愛(『零度のエクリチュール』、『物語の構造分析』など)と文学作品や映画、演劇、写真などによる作者の主体として発信されるメッセージに対して、そのメッセージを受け取る享受者による解釈の可能性についての考察(『明るい部屋』、『神話作用』)である。
作者の死
バルトの仕事の中でも頻繁に議論されるのが、『物語の構造分析』に収録されている「作者の死」である。本稿でバルトは、現代においても、大きな支配的な概念となっている「作者」という概念に疑問を投げかける。私たちは、ある芸術作品を鑑賞するとき、その作品の説明をその作品を生み出した作者に求めがちである。これは、作品を鑑賞するということは、作者の意図を正確に理解することであるという発想である。このことから、たとえばボードレールの作品はボードレールという人間の挫折のことであり、ヴァン・ゴッホの作品とは彼の狂気であるという発想が導き出せる。しかし、バルトは、この発想を「打ち明け話である」として批判する。このように作者=神という発想ではなく、作品とはさまざまなものが引用された織物のような物であり、それを解くのは読者であるとして、芸術作品に対してこれまで受動的なイメージしかなかった受信者の側の創造的な側面を本稿で強調した。この概念は、後年のバルトの作品でもよく言及されている。たとえば、『テクストの快楽』においても、この概念についての論考が見られる(『テクストの快楽』p120)
生涯
幼くして父を亡くし、女手一つで育てられたバルトは、非常に母親思いであったという。
パリ大学で古典ギリシア文学を学んだあと、結核のために長期間に渡り療養所で暮す。
療養期間を終えたあとは、各地でフランス語講師として働きながら思索をめぐらす。
1953年、『Le Degré zéro de l'écriture』を発表、文学と社会の関係を鋭く分析したこの作品で、一躍時代の寵児になる。1962年から高等研究実習院指導教授。1977年、コレージュ・ド・フランス教授に就任した。1980年2月25日、交通事故にあい、1か月後の3月26日に亡くなった。
バルトは、構造主義者だと見なされる向きを嫌い、常に変容していった思想家だった。また、バルトは、生涯小説を発表することはなかったが、コレージュ・ドフランス講義における、『小説の準備』や『エクリチュールの零度』における書くことである、エクリチュールの論考が示すように、小説を書くことへの希求は常にあったと考えられる。
1970年、日本について独自の分析をした『表徴の帝国』(『記号の国』)も発表している。
1979年の映画『ブロンテ姉妹』に、19世紀の高名な作家ウィリアム・メイクピース・サッカレー役で出演している。ただし、台詞はほとんどない。
主な著作
- Le Degré zéro de l'écriture, 1953
- Michelet par lui-même, 1954
- Mythologies, 1957
- Essais Critiques, 1964
- La Tour Eiffel, 1964
- 『エッフェル塔』 宗左近・諸田和治訳 審美社 1979年/ちくま学芸文庫 1997年
- 『エッフェル塔』 花輪光訳 みすず書房 1991年
- Critique et vérité , 1966
- Système de la mode, 1967
- S/Z (1970年)
- L'Empire des signes, 1970
- 『表徴の帝国』宗左近訳、新潮社「創造の小径」 1974年/ちくま学芸文庫 1996年
- Nouveaux Essais critiques, 1972
- Le Plaisir du texte, 1973
- Roland Barthes par Roland Barthes, 1975
- Fragments d"un discours amoureux, 1977
- Leçon, 1978
- La Chambre claire, 1980
- L"Obvie et l"obtus, 1982
- Le Bruissement de la langue, 1984
- Incidents(英語版), 1987
- LE GRAIN DE LA VOIX Entretiens 1962-1980
- その他の邦訳書
- 『サド、フーリエ、ロヨラ』篠田浩一郎訳 みすず書房 1975年
- 『旧修辞学 便覧』 沢崎浩平訳 みすず書房 1979年
- 『物語の構造分析』 花輪光訳 みすず書房 1979年
- 『映像の修辞学』 蓮實重彦・杉本紀子訳 朝日出版社 1980年/ちくま学芸文庫 2005年
- 『<味覚の生理学>を読む ブリヤ=サヴァラン』 松島征訳 みすず書房 1985年 ISBN 4622089548
- 『作家ソレルス』 岩崎力・二宮正之訳 みすず書房 1986年
- 『記号学の冒険』 花輪光訳 みすず書房 1988年
- 小さな神話 下沢和義訳 青土社 1996年
- 小さな歴史 下沢和義訳 青土社 1996年
- ロラン・バルト 映画論集 諸田和治編訳 ちくま学芸文庫 1998年
- ラシーヌ論 渡辺守章訳 みすず書房 2006年
- 喪の日記 石川美子訳 みすず書房 2009年、新装版2015年
- ロラン・バルト 中国旅行ノート 桑田光平訳 ちくま学芸文庫 2011年
- ロラン・バルト モード論集 山田登世子編訳 ちくま学芸文庫 2011年
集成
- ロラン・バルト著作集
- Oeuvres complètes de Roland Barthes, 2002/みすず書房、2003-2017年
- 文学のユートピア 1942 - 1954 渡辺諒訳
- 演劇のエクリチュール 1955 - 1957 大野多加志訳
- 現代社会の神話 1957 下澤和義訳
- 記号学への夢 1958 - 1964 塚本昌則訳
- 批評をめぐる試み 1964 吉村和明訳
- テクスト理論の愉しみ 1965 - 1970 野村正人訳
- 記号の国 1970 石川美子訳
- 断章としての身体 1971 - 1974 吉村和明訳
- ロマネスクの誘惑 1975 - 1977 中地義和訳
- 新たな生のほうへ 1978 - 1980 石川美子訳
- ロラン・バルト講義集成
- いかにしてともに生きるか コレージュ・ド・フランス講義 1976-1977年度、野崎歓訳、筑摩書房、各・2006年
- 〈中性〉について コレージュ・ド・フランス講義 1977-1978年度、塚本昌則訳
- 小説の準備 コレージュ・ド・フランス講義 1978-1979年度と1979-1980年度、石井洋二郎訳
ロラン・バルト研究(日本語文献)
- ルイ・ジャン・カルヴェ『ロラン・バルト伝』(花輪光訳、みすず書房、1993年)
- 渡辺諒『バルト-距離への情熱』(白水社、2007年)
- 原宏之『〈新生〉の風景』(冬弓舎、2002年)
- グレアム・アレン『ロラン・バルト』(原宏之訳、「シリーズ現代思想ガイドブック」青土社、2006年)
- 鈴村和成『バルト テクストの快楽』(「現代思想の冒険者たち21」講談社、1996年)
- 遠藤文彦『ロラン・バルト 記号と倫理』(近代文芸社、1998年)
- 石川美子『ロラン・バルト 言語を愛し恐れつづけた批評家』(中央公論新社〈中公新書〉、2015年)
- 『ロラン・バルトの遺産』(石川美子・中地義和訳、みすず書房、2008年)
- エリック・マルティ、アントワーヌ・コンパニョン、フィリップ・ロジェ
- 桑田光平・伊澤拓人・伊藤靖浩・黒木秀房・清水雄大・福井有人 訳
脚注
注釈
- ^ 「INCIDENT(アンシダン)」を訳すにあたり、通常「出来事」「偶発事」などと訳されるが、沢崎は「偶景」という言葉を新たに造った。バルト本人の著書での、「偶景(アンシダン)」の概念の説明は「偶発的な小さな出来事、日常の些事、事故よりもはるかに重大ではないが、しかしおそらく事故よりももっと不安な出来事」とある。
出典
- ^ 岡村正史「プロレスという文化」(2018年)ミネルヴァ書房 1頁
関連項目
外部リンク