1989年東京都議会議員選挙

1989年東京都議会議員選挙
東京都
1985年 ←
1989年7月2日
→ 1993年

公示日 1989年6月23日
改選数 128
選挙制度 中選挙区制
選挙後の党派別勢力図

投票率 58.74% (増加 5.24%)
  第1党 第2党 第3党
 
党首 粕谷茂 斉藤一雄 多田省吾
政党 自由民主党 日本社会党 公明党
選挙前議席 63 11 29
獲得議席 43 29 26
議席増減 減少20 増加18 減少3
得票数 1,557,071 1,252,493 799,111
得票率 30.36% 24.42% 15.58%

  第4党 第5党 第6党
 
党首 西井教雄 大内啓伍 白河忠一
政党 日本共産党 民社党 進歩党
選挙前議席 19 2 0
獲得議席 14 3 1
議席増減 減少5 増加1 増加1
得票数 712,874 113,736 39,060
得票率 13.90% 2.22% 0.76%

選挙前都議会議長

近藤信好
自由民主党

選出都議会議長

小倉基
自由民主党

1989年東京都議会議員選挙(1989ねんとうきょうととぎかいぎいんせんきょ)は、東京都議会である東京都議会を構成する東京都議会議員を全面改選するため1989年平成元年)7月2日に投開票が行われた選挙である。

概要

東京都議会議員選挙は、1965年(昭和40年)の東京都議会自主解散で時期がずれたため、統一地方選挙で行われない3つの都県議会選挙の1つである(残り2つは茨城県沖縄県の議員選挙)。

宇野内閣発足後、初めての大型選挙となっただけでなく、都議選投票日と同じ月の7月23日に投票が行われる参議院議員選挙の行方を占う前哨戦としての意味合いが強い選挙となり、各政党とも国政選挙並みに力を入れた選挙となった。

  • 東京都知事鈴木俊一
  • 都議会議員定数:128議席
  • 告示日:6月23日
東京都議会議員選挙の候補者数
党派 合計 うち
女性
現議席
自由民主党 71 2 60 1 10 63
公明党 28 0 26 0 2 29
日本共産党 43 10 15 1 27 19
日本社会党 公認 31 9 10 3 18 11
推薦 10 5 1 0 9 1
民社党 公認 7 0 2 1 4 2
推薦 6 0 1 0 5 1
進歩党 3 0 0 0 3 0
諸派 23 6 0 0 23 0
無所属 24 1 0 3 21 0
合計 246 33 115 9 122 126
  • 出所:「都議選の候補者数」(朝日新聞1989年6月23日付夕刊1面)。『朝日新聞縮刷版 1989年6月号』1115頁。なお党派の掲載順序は現有議席の多い順である。

選挙データ

  • 選挙事由:議員の任期満了
  • 告示日:1989年(平成元年)6月23日
  • 投票日:1989年(平成元年)7月2日
  • キャッチコピー: 『自分の街だもの』
  • イメージキャラクター椎名桜子[1]
  • 投票率:58.74%[2]

選挙結果

党派 得票数 得票率 合計
議席数
女性 改選前
議席数
増減
(±)
自由民主党 1,557,071 30.36 43 1 41 0 2 63 減少20
日本社会党 公認 1,252,493 24.42 29 8 10 3 16 11 増加18
推薦 252,917 4.91 7 4 1 0 6 1 増加5
公明党 799,111 15.58 26 0 24 0 2 29 減少3
日本共産党 712,874 13.90 14 3 12 0 2 19 減少5
民社党 公認 113,736 2.22 3 0 2 1 0 2 増加1
推薦 83,688 1.63 2 0 1 0 1 1 増加1
進歩党 39,060 0.76 1 0 0 0 1 0 増加1
  諸派※ 87,464 1.71 2 1 0 0 2 0 増加2
  無所属 230,853 4.50 1 0 0 0 1 0 増加1
合計 5,128,267 128 17 91 4 33 126
欠2
※諸派2名の内訳は以下のとおり
出所:朝日新聞1989年7月3日付夕刊1面「党派別当選者」と5面「都議選 選挙区別当選者数」、朝日新聞7月4日付26面「都議選 党派別当選者・得票数」。『朝日新聞縮刷版 1989年7月号』123頁、127頁、164頁。

参議院選挙の前哨戦として注目された都議選は翌日開票の結果、自民党がリクルート事件消費税導入、宇野首相の女性問題などの逆風をまともに受ける形で現有議席を大幅に減らし惨敗した。これに対して社会党は前回より得票を大幅に伸ばし、公認候補のみで都議会第二党に躍進した上に当選した推薦候補も含めると現有議席を3倍に伸ばした。得票で見た場合、自民党との票差は1%程度にまで縮めた。公明党は現有29議席より候補者を絞って選挙に挑んだが、候補者2名が落選した。共産党も社会党躍進の余波を受ける形で現有議席を5議席減らした。一方、民社党は善戦健闘し、現有議席を増やすことができた。またミニ政党の進歩党も世田谷区で新人候補が当選した。

杉並区選挙区では社会党現職三井マリ子の大量得票により、他候補の当選ラインが大幅に下がった。その影響で、革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)系の長谷川が滑り込み、1期務めた。MPDは後に大衆党と改名し、下元が代表を務めた。

当選した議員

 自由民主党   日本社会党   公明党   日本共産党   民社党   進歩党   無所属 

千代田区 内田茂 中央区 立石晴康
港区 植村アサ江 清原錬太郎 五十嵐正
新宿区 四谷信子 藤井富雄 塚原宏司 茶山克巳 文京区 片岡幸三 加藤隆一 河村文生
小野田隆[辞職 1]
台東区 前島信次郎 保坂三蔵 飯村恵一[辞職 2] 墨田区 石橋正夫 石井義修 桜井武
江東区 市川隆 岩舘衛 木村勉 室橋昭[辞職 3]
品川区 川崎三男 中山秀雄 秋田穫雄 佐藤裕彦 目黒区 大久保青志 松井比呂美[辞職 4] 小山敏雄 野村友子
内藤尚
大田区 嶋田実 加藤雅子 松原仁 曽雌久義 世田谷区 大場暢子 熊本哲之 大沢孝明 桜井良之助
大野進見 大山均 名取憲彦 池山鉄夫 菅沼元治 林永二 阿部俊之 下元孝子
渋谷区 石塚聡 小倉基[辞職 5] 福井典子[辞職 6] 矢部一 中野区 高山真三 橋本辰二郎 松本文明 植木紘二
杉並区 三井マリ子[注釈 1][辞職 7] 森田安孝 山田宏[注釈 2][辞職 7] 阿部昭作 豊島区 広田貞治 高野之夫 長橋孝 池田梅夫
仁木清二郎 長谷川英憲
北区 藤田十四三 大木田守 花川與惣太 飯田幸平 荒川区 鈴木貫太郎 西川太一郎[辞職 8] 橋立啓子
高木信幸
板橋区 菅原宗一 足羽維清 田中秀男 田中晃三 練馬区 佐々木啓之 石川芳昭 吉田公一[辞職 9] 奥山則男
下村博文
足立区 安形惣司 近藤信好 土持正豊 岡安孝明 葛飾区 大川久雄 今井悦豊 出口晴三[辞職 10] 木村陽治
渡辺康信
江戸川区 米山久美子 鈴木善次郎 西田ミヨ子 宇田川芳雄 八王子市 植松敏夫 白井常信 黒須隆一
立川市 山本譲司 武蔵野市 新美信正
三鷹市 高谷真理 三浦政勝 青梅市 水村一郎
府中市 尾崎正一 大室政右 昭島市 江口守
町田市 河合秀二郎 渋谷守生 谷口卓三 小金井市 前田由美子
日野市 渡辺みづえ 北多摩1 青木菜知子 萩谷勝彦
北多摩2 池田敦子 三田敏哉 北多摩3 片山哲 須田耕作
北多摩4 坂口光治 小林莞爾 永沢豊晶 北多摩5 宮尾英世 岡野誠一
南多摩 佐久間む津美 白井威 西多摩 島田久 田村市郎
島部 川島忠一

補欠選挙

月日 選挙区 当選者 当選政党 欠員 欠員政党 欠員事由
1991年 4月7日 新宿区選挙区 秋田博 自由民主党 小野田隆 自由民主党 新宿区長選挙立候補準備のため辞職
江東区選挙区 山崎孝明 自由民主党 室橋昭 自由民主党 江東区長選挙立候補準備のため辞職
目黒区選挙区 青木英二 自由民主党 松井比呂美 自由民主党 第39回衆議院議員総選挙立候補のため退職(自動失職)
1992年 7月26日 渋谷区選挙区 染谷賢治 自由民主党 福井典子 日本共産党 不祥事による辞職
田端清 日本新党 小倉基 自由民主党 第16回参議院議員通常選挙立候補準備のため辞職

脚注

注釈

議員辞職
  1. ^ 新宿区長選挙立候補準備のため、1991年3月8日付で辞職。
  2. ^ 台東区長選挙立候補のため、1991年4月14日付で退職(公職選挙法規定により自動失職)。
  3. ^ 江東区長選挙立候補準備のため、1991年3月8日付で辞職。
  4. ^ 第39回衆議院議員総選挙立候補(旧東京都第3区)のため、1990年2月3日付で退職(公職選挙法規定により自動失職)。
  5. ^ 第16回参議院議員通常選挙立候補準備(東京都選挙区)のため、1992年7月6日付で辞職。
  6. ^ 1991年6月12日付で辞職。
  7. ^ a b 第40回衆議院議員総選挙立候補(旧東京都第4区)準備のため、1993年7月2日付で辞職。
  8. ^ 第40回衆議院議員総選挙立候補(旧東京都第6区)準備のため、1993年7月2日付で辞職。
  9. ^ 第40回衆議院議員総選挙立候補(旧東京都第5区)準備のため、1993年7月2日付で辞職。
  10. ^ 葛飾区長選挙立候補のため、1992年8月30日付で退職(公職選挙法規定により自動失職)。
注釈
  1. ^ 1993年1月13日付で日本社会党を離党し、同月27日付で一人会派「平等の会」を会派結成。
  2. ^ 1993年2月3日付で自由民主党を離党し、同月4日付で日本新党へ入党。

出典

  1. ^ 「「自分の街だもの」忘れずに 都議選啓発ポスター(選挙・せんきょ)」『朝日新聞東京版』1989年6月10日、朝日新聞縮刷版。
  2. ^ 東京都選挙管理委員会 | 選挙結果&データ | 各種選挙における投票率 - ウェイバックマシン(2003年8月11日アーカイブ分)

参考文献

  • 朝日新聞社『「朝日新聞」縮刷版 1989年6月号』
  • 朝日新聞社『「朝日新聞」縮刷版 1989年7月号』

関連項目

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