1955年東京都議会議員選挙
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投票率
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59.63 % ( 5.47%)
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第1党
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第2党
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第3党
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政党
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日本民主党 |
日本社会党 (左派) |
自由党
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獲得議席
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55 |
19 |
17
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得票数
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1,044,663 |
318,315 |
347,531
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得票率
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41.5% |
12.7% |
13.8%
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第4党
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第5党
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政党
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日本社会党 (右派) |
日本共産党
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獲得議席
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13
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2
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得票数
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299,732
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72,728
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得票率
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11.9%
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2.9%
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1955年東京都議会議員選挙(1955ねんとうきょうとぎかいぎいんせんきょ)は、東京都の議会である東京都議会を構成する東京都議会議員を全面改選するために行われた選挙で、第3回統一地方選挙の前半戦投票日である1955年(昭和30年)4月23日に投票が行われた。
概要
東京都議会議員の任期(4年)が満了したことによる選挙である。
社会党左派は選挙前の6議席から大きく進出し19議席を獲得した。さらに新しく当選した13人の中には都労連の現役組が8人おり、都政に明るい立場であることから都議会の監視役としての期待が寄せられた[1]。
また無効投票が前回の2倍以上となる152,979票となった。荒川選挙区では6,261票(前回1,670票)にも上り、そのうち「名前の書き間違い」が5000票ほどを占めた。この無効投票の多さについて、東京都選挙管理委員会は「都政と都民生活が直結していない証拠だが、主因は何といってもダブル選挙だ」としている[2]。
基礎データ
- 選挙事由:任期満了
- 告示日:1955年4月3日
- 投票日:1955年4月23日
- 議員定数:120名
- 選挙区:32選挙区
選挙結果
党派別当選者数及び得票数
党派
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得票数
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得票率
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議席数
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女性
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新旧内訳
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現
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元
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新
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日本民主党
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1,044,663
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41.5%
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55
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40
|
4
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11
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自由党
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347,531
|
13.8%
|
17
|
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14
|
1
|
2
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日本社会党(左派)
|
318,315
|
12.7%
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19
|
|
6
|
0
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13
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日本社会党(右派)
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299,732
|
11.9%
|
13
|
1
|
10
|
1
|
2
|
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日本共産党
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72,728
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2.9%
|
2
|
|
1
|
0
|
1
|
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労働者農民党
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1,755
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0.1%
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0
|
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0
|
0
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0
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諸派
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16,042
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0.6%
|
0
|
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0
|
0
|
0
|
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無所属
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415,420
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16.5%
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14
|
2
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8
|
2
|
4
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合計
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2,516,186
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100.0%
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120
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3
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79
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8
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33
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出典:朝日新聞1955年4月25日付8面(東京版)「都議党派別当選数」、「都議選党派別得票数」
当選した議員
日本民主党
自由党
日本社会党(左派)
日本社会党(右派)
日本共産党
無所属
脚注
注釈
- 議員辞職
- 議員死去
出典
- ^ 朝日新聞1955年4月25日付8面(東京版)「反省望まる'安井都政':都議会の監視役?'左社'の大量進出」
- ^ 朝日新聞1955年4月25日付8面(東京版)「意外に多い無効投票:ひどい所は前回の四倍」
- ^ 都議会議員選挙投票率 - 東京都選挙管理委員会