1987年イタリアグランプリ は、1987年F1世界選手権 の第11戦として、1987年 9月6日 にモンツァ・サーキット で開催された。
概要
ウィリアムズがアクティブサスペンション 仕様のFW11B を持ち込み、ネルソン・ピケ が使用した。ピケには標準のサスペンションを装備したマシンがスペアとして与えられたが、「アクティブサスペンションの方が1周で1秒速い」としてアクティブ仕様車で決勝までを走った[ 1] 。
予選ではウィリアムズ のネルソン・ピケが、標準サスペンション仕様のマシンに乗るチームメイトのナイジェル・マンセル を抑えてポールポジション を獲得した。
決勝スタート時にリカルド・パトレーゼ のマシンから出火し、スタートがやり直しとなった。このため、予定より1周少ない50周でレースが争われた。
レースはスタートからピケがリードを奪うが、ピケがタイヤ交換を行うと、タイヤ無交換作戦を選択したアイルトン・セナ のロータスがトップに立った。レース終盤に周回遅れの処理を誤ったセナがパラボリカでコースアウトすると再度ピケがトップに浮上し、そのままゴールした。ウィリアムズは初めて持ち込んだアクティブサスペンション車で勝利を獲得した。
レースウィーク中にはウィリアムズとホンダの契約が1年を残し1987年いっぱいで打ち切られると発表された[ 2] 。1986年シーズン にコンストラクターズタイトルを獲得し、この年もタイトル争いをリードしているコンビネーションの解消は大きなニュースとなった。
これには、マンセルとピケを擁するウィリアムズが中嶋悟 をドライバーとして採用させようとするホンダ側の要求を拒絶したことが契約打ち切りの一因だとの見方があったが[ 3] [ 4] [ 5] 、事実はロータスからセナがホンダとともにマクラーレンへ移籍する計画があり、残るロータスとホンダが、ピケをエースドライバーとしてウィリアムズから受け入れることを了承したことであった。
結果
予選
決勝
記録
初グランプリ(ドライバー):フランコ・フォリーニ、ニコラ・ラリーニ
初グランプリ(チーム):コローニ
脚注
^ Roebuck, Nigel; Alan Henry (1988年1月). Barry Naismith. ed (英語). Grand Prix . John Townsend. Glen Waverley, Victoria: Garry Sparke & Associates. pp. pp.116-ff. ISBN 0 908081 27 8
^ ホンダ来季はウィリアムズと訣別を発表「マクラーレンは将来思考のあるチーム」桜井総監督、記者の質問に答える F1GPX 1987年イタリア 31頁 山海堂
^ “BBC SPORT ”. 2008年7月28日 閲覧。
^ “Grandprix.com ”. 2008年7月28日 閲覧。
^ “Telegraph.co.uk ”. 2008年7月28日 閲覧。
^ 「フジテレビオフィシャルF1イヤーブック 87-88」昭和62年12月21日刊 ISBN 4-594-00191-2
関連項目