パスカル・ファブル(仏: Pascal Fabre, 1960年1月9日 - )は、フランス・リヨン出身のレーシングドライバーである。
経歴
キャリア初期
1979年、エルフ石油の特待生[1]としてエキュリー・エルフよりフランスフォーミュラ・ルノーに参戦し四輪レースデビュー、ランキング7位となる。
フォーミュラ3
1980年にフランスF3選手権へと昇格し、優勝はなかったが手堅く表彰台を獲得。同年チャンピオンとなったアラン・フェルテに続くランキング2位を獲得。同年から並行してヨーロッパF3選手権にも参戦し、1983年のヨーロッパF3選手権でランキング10位となった。1983年からはフォーミュラと並行してスポーツカーのル・マン24時間レースにも参戦する。
フォーミュラ2
1982年、のちにF1でも所属する南フランスのゴンファロン(英語版)に本拠を置く小コンストラクターAGSのF2マシンでヨーロッパF2選手権に参戦を開始。第6戦ヴァレルンガで3位表彰台を獲得した。
1984年にマーチ製のシャーシ「842」で参戦するPMCチームに移籍し、ヨーロッパF2第7戦ホッケンハイムリンクでティエリー・タッシン、ミシェル・フェルテを抑えてF2初優勝を達成。F2からF3000へと改組され1986年の国際F3000選手権では開幕戦でポールポジションを獲得し決勝レースでも優勝。1987年に向けて、前年よりF1への挑戦を開始したAGSのシートを獲得する。
フォーミュラ1
1987年のF1にAGSのチームメンバーと共に挑戦が始まった。開幕戦ブラジルGPから第7戦イギリスGPまで、ファブルは全ドライバーの中で唯一の全戦完走を果たしていたが、AGS・JH22の戦闘力の問題もあり「走るシケイン」の異名を取るワーストレベルのドライバーだと評された[2]。第10戦オーストリアGPでもレースをフィニッシュしたが、最低周回数を満たさず完走扱いにはならなかった。後半戦では1カーエントリーだったオゼッラとラルースがセカンドカーの出走を決め、コローニもスポット参戦を開始したため、JH22での予選通過は至難の業となった。ファブルは第11戦イタリアGPで予選落ちし、第14戦メキシコGPで3回目の予選落ちを喫した[3]。このグランプリを最後にチームが新たにロベルト・モレノの起用を決め、ファブルはシートを失った。F1での決勝最高位は9位(フランスGP、イギリスGP)。
スポーツカーレース
1989年よりクラージュ・コンペティションに加入し、世界スポーツプロトタイプカー選手権 (WSPC)に参戦。以後スポーツカーレースを舞台に参戦し、ル・マン24時間レースには2001年までの長い間参戦した。
レース成績
ル・マン24時間レース
フランス・フォーミュラ3選手権
ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権
ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権
国際F3000選手権
- ‡ : ハーフポイント。レース周回数が75%未満で中断終了したため、得点が半分となる。
F1
脚注