辰己 茜(たつみ あかね、旧姓 : 石井(いしい)、1982年8月2日 - )は、関西棋院所属の囲碁女流棋士。埼玉県出身。
略歴
囲碁愛好家で高校教師の父に教えられ、物心がつく前から囲碁を始める[1][2]。父は、その後2002年より囲碁教室を経営している[3]。小学2年生から緑星囲碁学園に通い、実力をつける。
1993年、上尾市立中央小学校5年で第14回全国少年少女囲碁大会4位入賞。翌1994年、6年生で出場した第15回全国少年少女囲碁大会では決勝戦で大橋拓文を下し優勝。初の女子の優勝者となる(2018年現在、小学校の部の女子の優勝は、辰己と万波佳奈(1995年)・向井千瑛(1999年)・加藤千笑(2013年)の4名のみ)。
1996年、上尾市立東中学校1年時に出場した第16回全国少年少女囲碁大会では山森忠直に敗れ、5位に入賞。その後日本棋院院生となる。
1997年、棋士採用試験で本戦には残るも、最下位に終わる[4]。
1998年、棋士採用試験では、予選落ちに終わる[5]。女流棋士採用試験で甲田明子・富紅梅らに次ぐ4位で入段ならず[6]。
1999年、棋士採用試験では、本戦17位に終わる[7]。女流棋士採用試験で万波佳奈・渋澤真知子の次点の3位で入段できず[8]。
2000年、棋士採用試験では、山田晋次・上田崇史・竹清勇の次点の4位に終わる[9]。女流棋士採用試験では3位に終わり、入段できず[10]。17歳の院生年齢制限で退会し、囲碁から遠ざかる。
2002年、日本大学芸術学部美術学科に入学し、第1回全日本学生囲碁王座戦に出場し3位となる[11]。
2003年、前述学生王座戦並びに世界学生王座戦に出場により、再度囲碁界へ戻り女流棋士採用試験を受けるも、入段した向井千瑛・奥田あやに次ぐ3位で入段ならず[12]。
2004年、冬季棋士採用試験に臨み、外来予選は突破するものの合同予選で敗退し、本戦に残れず[13]。女流棋士採用試験では、向井芳織の次点である2位に終わる[14]。
2005年、全日本女流アマ囲碁選手権で優勝。朝日アマ囲碁十傑戦で8位に入賞し、女流棋士採用試験に臨むも、3位に終わる[15]。
2006年、女流棋士採用試験に臨むも、4位に終わる[16]。
2007年3月、全日本女流アマ囲碁選手権で再度優勝。6月、関西棋院の棋士と試験対局を2局打ち、宮本直毅に負・星川愛生に勝の内容が認められて、プロ入りが決まり8月1日付で初段となる。日本棋院の棋士採用試験で1回・女流棋士採用試験で3回の次点に終わるなど、日本棋院でのプロ入りは成らなかったが、関西棋院でプロ入りを果たした。入段後1年間は女流棋戦のみに参加棋戦を絞られていたが、その間の成績を認められて全棋戦の出場を解禁される。
2008年、第12期女流棋聖戦本戦入り、関西棋院新人賞を獲得。関西棋院第一位決定戦で横田茂昭九段を下しベスト8入りを果たす。2009年、女流本因坊戦本戦初出場、挑戦者決定戦に進出などの活躍をしている。
2010年9月23日、囲碁界とは無縁の男性と結婚。結婚後も棋士名は変更しない旨を書いている[17]。2011年1月に結婚式を挙行[18]。
2011年8月11日、第30期女流本因坊戦挑戦者決定戦に進出。
2012年、第16期女流棋聖戦挑戦者決定戦進出。
2013年、第17期女流棋聖戦挑戦者決定戦進出。
2014年、3年連続女流名人戦リーグ入り(前期陥落も即復帰)。11月、長男を出産し、1か月半後に復帰した[19][20]。
2019年4月、結婚後も旧姓のまま活動していたが、棋士としての登録名を本名の辰己茜に改名。
人物
棋歴
良績
昇段履歴
脚注
外部リンク