滄州市(そうしゅう-し)は、中華人民共和国河北省に位置する地級市。
北は保定市、廊坊市、天津市、東は渤海湾、南は山東省、西は衡水市に接する。市域内の献県では、西から流れる滏陽河(ふようが)と、西南の山西省方面から流れる滹沱河(こだか)が合流して子牙河となっており、天津市へ流れて海河に合流している。
滄州の市名は渤海湾に臨むことに由来する。古代は幽州及び兗州、西周では青州、春秋戦国時代には燕・斉・晋・趙に属した。
秦朝が成立し郡県制が施行されると滄州は鉅鹿郡及び済北郡に属した。漢代には冀州及び幽州、南北朝時代には北魏により瀛州及び冀州の管轄とされた。517年(熙平2年)、北魏は滄州を設置、浮陽・楽陵・安徳の3郡を管轄した。隋朝が成立すると607年(大業3年)に州制が廃止され、滄州は渤海郡とされている。
唐朝が成立すると627年(貞観元年)には河北道の管轄区域とされ、その後宋朝では河北東路河間府、元朝は河間路、明清朝には直隷省河間府(一部は天津府)の管轄とされた。
中華民国が成立すると道制が施行され、滄州は渤海道及び津海道の管轄とされたが、1928年(民国17年)に道制が廃止され河北省直轄とされている。日中戦争期間中は中国共産党により晋察冀辺区冀中、津南行署及び山東渤海区行署の管轄とされている。
1947年(民国26年)に県級市の滄市が成立したが、1949年(民国38年)8月1日に共産党が河北地区の実効支配権を確立、河北省人民政府が設置されると滄市は廃止となり滄県滄鎮に降格、同時に滄県専区が新設され下部に11県を管轄した。1958年6月に天津市が河北省に移管されると滄県専区は天津専区に統合されている。同年9月に滄県滄鎮を県級市の滄州市として分割されたが、12月には廃止となり滄県に編入されている。1959年、天津専区が天津市に統合、1961年6月1日には滄州専区が設置され、併せて県級市の滄州市も再設置されている。1967年12月に滄州専区は滄州地区と改称している。1983年12月、滄州市が河北省直轄市に昇格、1993年7月に滄州地区及び滄州市が統合され現在の滄州市が成立し現在に至る。
2市轄区・4県級市・9県・1自治県を管轄する。
この節の出典[1]
鉄道