水郷大橋(すいごうおおはし)は、利根川に架かる国道51号、および国道125号(重複)、および国道355号(重複)の道路橋である。千葉県香取市と茨城県稲敷市を結ぶ。
水郷大橋は、国土交通省関東地方整備局千葉国道事務所管理の橋梁である。橋長535.25メートル、幅員25.5メートル、最大支間長178.9メートル[1]のハープ型斜張橋である。現在の橋は2代目。
水郷大橋の架設運動は1924年(大正13年)頃から当時の千葉県佐原町の有志によって始まった。それまでは、佐原の小野川の河口とその対岸に町営の佐原渡船があり、また佐原から潮来、鹿島、鉾田、土浦、高浜などへは汽船により結ばれていた。建設に向けて佐原町の水郷利根保勝会が茨城県の町村に賛同依頼に行く活動など10年の歳月を経て1934年(昭和9年)2月に工事に着手、1936年(昭和11年)3月に完成。位置は現在の水郷大橋の下流300 m付近、県道佐原麻生線として千葉県の施工によるものであった。完成を記念し水郷利根保勝会が徳富蘇峰に碑文を依頼した石碑「水郷之美冠天下(水郷の美、天下に冠たり)」が建てられ(当時の建設省が横利根閘門付近を広げるために、現在は水郷佐原あやめパーク内に移動)、鹿島参宮鉄道(現在の関東鉄道)のバスが走り始めている。当時は利根川下流域唯一の橋として、千葉県と茨城県を結ぶ重要な橋であった。戦後二級国道123号、国道51号に指定。
初代の橋は2本の主塔を持つトラス橋として、橋と形の似た遠くに望む筑波山と共に地域住民に親しまれた。
初代の橋は幅員が狭く、交通量も増大しつつあったことから架け替えの機運が高まり、当時の建設省により1973年(昭和48年)10月に架け替え工事に着手、1977年(昭和52年)3月に現在の水郷大橋が開通した。当初は利根川上流側2車線の片側1車線での暫定開通であったが、交通量の増加に伴い4車線化された。1976年10月、新東京国際空港(現在の成田国際空港)のパイプライン輸送開始までの間行われた航空燃料鉄道輸送(暫定輸送)の受け入れに際し、4車線早期開通が地元から要求されている[2](→成田空港問題)。
形式の選定にあたっては、初代の水郷大橋が住民に親しまれてきたものであることから、形式に特徴のある斜張橋となったが、現在水郷のシンボル的存在として地域住民に親しまれている。
1977年度に橋梁の新設などですぐれた特色を持つものに贈られる土木学会田中賞に建設省の橋梁で初めて選定されている。
斜張橋の主塔が千葉県と茨城県の県境となっている。
広小路交差点 - 寺台インターチェンジ - 三の丸1丁目交差点
北千葉 - 酒々井 - 成田拡幅 - 大栄拡幅 - 佐原 - 東 - 牛堀 - 潮来 - 鹿嶋 - 夏海 - 大洗
佐倉街道 - 成田街道 - 佐原街道
成田橋 - 十余三トンネル - 水郷大橋 - 神宮橋 - 新神宮橋
千葉県道137号 - 国道409号 - 茨城県道11号 - 茨城県道5号 - 茨城県道16号 - 茨城県道・千葉県道2号
東関東自動車道 ・ 鹿島臨海鉄道
桜川 - 阿見美浦 - 土浦新治 - つくば - 下妻 - 古河 - 栗橋大利根 - 加須 - 加須羽生 - 行田
新鬼怒川橋 - 利根川橋
栃木県道・茨城県道294号 - 栃木県道・茨城県道261号 - 茨城県道228号 - 埼玉県道152号 - 埼玉県道38号 - 埼玉県道128号
香取市
稲敷市 - 潮来市 - 行方市 - 小美玉市 - 石岡市 - 笠間市
牛堀麻生 - 玉造 - 石岡道路 - 石岡岩間 - 宍戸
かさま
国道51号 - 国道356号 - 国道125号 - 国道51号 - 国道354号 - 国道6号 - 国道50号
茨城県道・千葉県道11号 - 茨城県道183号 - 茨城県道116号
座標: 北緯35度54分29秒 東経140度29分27秒 / 北緯35.90806度 東経140.49083度 / 35.90806; 140.49083