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柳原 隆弘(やなぎはら たかひろ、1955年6月12日 - )は、奈良県吉野郡大淀町出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。愛称は『ナマズ』。
智弁学園から大阪商業大へ進学。関西六大学野球リーグでは1年上のエース斉藤明雄を擁し、高校の1年先輩である田中昌宏とともに打線の主軸となって、1975年春季のリーグ初優勝に貢献。その後も2回の優勝を飾る。全日本大学野球選手権大会では準優勝2回。リーグ通算92試合出場、319打数75安打、打率.235、12本塁打、39打点、ベストナイン2回。優勝した1977年秋季リーグで首位打者になり、記者クラブ賞を受賞。
1977年ドラフト1位でヤクルト入団。
1978年、球団初のユマキャンプを前にした神宮での一次キャンプ初日に現れず、広岡達朗監督の判断で二軍スタートとなった。その後一軍に上り、主に代打として起用される。同年の阪急ブレーブスとの日本シリーズでは、第6戦の3回裏に代打として起用されるが、白石静生の前に遊ゴロに終わる。同年から3年連続でジュニアオールスターに出場。右の長距離打者として期待されたが一軍での打撃成績は低迷し、層の厚いヤクルトの外野陣ではレギュラーに届かなかった。
1982年オフに鈴木康二朗と共に井本隆との2対1の交換トレードで近鉄へ移籍。
1984年6月11日の対南海ホークス戦(藤井寺球場)において山内和宏から日本プロ野球史上4人目、パ・リーグでは初となる代打逆転サヨナラ満塁本塁打を放っている。近鉄は前試合(6月9日)の南海戦においても加藤英司が逆転サヨナラ満塁本塁打を放って勝利しており、2試合続けての逆転サヨナラ満塁本塁打による勝利となった[1]。9月からリチャード・デービスが一塁手に回り、右翼手の定位置を得る。
1985年は68試合に先発出場、8本塁打を放ち活躍。
1986年には新井宏昌、淡口憲治が移籍してきたこともあり、段々と出場機会が減る。
1988年オフ、金銭トレードで日本ハムに移るも一軍出場はなく、翌年のシーズン途中で現役を引退した。
1984年、朝日放送が彼を題材としたドキュメンタリーを製作した。ナレーターは、近鉄ファンで『必殺仕事人』の中村主水役だった藤田まこと。