新京成電鉄新京成線
新京成線 (しんけいせいせん)は、千葉県 松戸市 の松戸駅 と千葉県 習志野市 の京成津田沼駅 を結ぶ、新京成電鉄 が経営する鉄道路線 である。駅ナンバリング で使われる路線記号はSL 。
国土交通省 監修『鉄道要覧 』では京成津田沼駅が起点・松戸駅が終点だが、案内・運行上は松戸方面行きを「上り 」、京成津田沼方面行きを「下り 」としている。台地 の分水嶺 に沿ったルート(小金牧 の区域内)をとっており、トンネル や水域を渡る橋 が1つも存在しない[ 4] [ 5] [ 注 1] 。
路線データ
運行形態
全て6両編成 の普通列車 (各駅停車)で、京成津田沼駅 - 松戸駅間の全線通し運転を基本とする。朝晩に車両基地 (本社)のあるくぬぎ山駅発着の列車があり[ 広報 2] 、朝ラッシュ時 には新津田沼駅折り返し列車がある。一部の列車は京成千葉線 千葉中央駅 まで直通運転 する[ 広報 3] (後述 )。また、深夜に松戸発新津田沼行きが運行され、その列車は新津田沼駅で夜間停泊 後、翌日の新津田沼始発京成津田沼行き初電として運行される。
2014年までは8両編成の列車も運行されていたほか、かつてはラッシュ時を中心に京成津田沼駅 - 鎌ヶ谷大仏駅間や新津田沼駅 - 高根公団駅 間の区間列車も設定されていた。
朝のラッシュ時は京成津田沼駅 - 新津田沼駅間が単線 のため9分間隔で、他の区間が4分半間隔、夕方のラッシュ時は8分間隔で運転しており、日中でも10分間隔で運転と郊外路線ながら本数が多い。日中に関しては一部を除き接続する東京 直通路線よりも本数が多いほどである[ 注 3] 。これは駅間距離の短さも手伝って日中の生活需要も大きいためである。一方、長い区間を乗車する旅客が少ないことなどから、急行運転 を行う予定はない[ 広報 6] 。
車両については「新京成電鉄#車両 」を参照。
京成千葉線への直通運転
全通した1955年 に実施したものの、同年中に取りやめて以来長らく実施してこなかった京成千葉線 への直通運転を2006年 12月10日 に再開した[ 広報 7] 。2011年 3月11日 の東北地方太平洋沖地震 (東日本大震災 )発生後しばらく休止されていたが、同年6月27日 に再開されている。
2021年11月時点で、乗り入れは8900形 および80000形 以外の新京成電鉄の車両により行われていて、全て6両編成で運行されている。運行区間は全列車とも松戸駅 - 京成津田沼駅 - 千葉中央駅 間で、新京成線や京成千葉線の途中駅止まりの列車は運行されていない。将来は京成電鉄 の車両による相互乗り入れや運行時間の拡大、千葉中央駅で接続する京成千原線 への乗り入れ区間拡大も検討している。
直通運転はラッシュ時には行っていない。2024年 3月23日 改正のダイヤでは、松戸駅発車時刻で平日は午前8時41分から午後3時40分まで、土曜・休日は午前6時20分から午後4時40分まで運転している。なおこの時間帯は、一部を除いて京成津田沼駅始発・終着の新京成線の列車が同駅の6番線から発着するところ、同駅始発・終着の京成千葉線の千葉中央・ちはら台 方面の列車の多くは同一ホーム上の5番線から発着し、乗り換えの便宜を図っている。他方、直通運転が行われていない時間帯は、5・6番線とも新京成線の列車の発着に使用されることが多く、京成千葉線の列車は2番線に到着し、3・4番線から発車する。
使用される方向幕 は全車英字入りとなっており、新京成線内では行先のみ、京成千葉線内では「普通」表示の付いた行先表示となる。表示変更は京成津田沼駅での停車中に行われる。
乗り入れ再開時には、沿線から千葉市 方面への乗客誘致をアピールするため、乗り入れ対応編成の一部に「Chiba」をあしらったステッカーを車体に貼付けするとともに、車内ドア上部には「matsudo to CHIBA 06.12.10」(後に単に「matsudo to CHIBA」に変わった)というキャッチフレーズ も添えられた。
歴史
松戸駅 (2007年1月8日)
本路線大半の区間は旧日本陸軍 鉄道連隊 が演習 用に敷設した軌道敷(鉄道連隊演習線 松戸線)であり、第二次世界大戦 後の京成電鉄 への払い下げを経て民間利用されているものである[ 4] [ 注 4] 。
大東亜戦争 (太平洋戦争 ・第二次世界大戦)において日本が降伏 したことを受けて、鉄道連隊は解散した。鉄道連隊演習線のレール は西武鉄道 に払い下げられたが、軌道敷はそのまま残されていたことから、西武鉄道と京成電鉄は早くからこれに着目していた。鉄道連隊の旧軍人を入社させた両社は、日本の占領統治を担う連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ)に鉄道敷設のための使用許可を働きかけた[ 8] 。最終的に陳情合戦は営業基盤を千葉県内に持つ京成電鉄が制し、1946年 (昭和 21年)3月に軌道敷使用が認可された(正式な払下げは1955年 )[ 8] 。この背景には、京成電鉄に入社した旧鉄道連隊大尉椎名三郎 とその元上官で終戦当時中将だった鎌田銓一 の存在が大きかったといわれている。鎌田中将は大東亜戦争以前にアメリカ陸軍 士官学校 に留学経験があり、その際に上級生に、GHQ最高司令官ダグラス・マッカーサー がいたことから戦後はGHQの首席接待委員となり、いわゆる鎌田機関を組織。「鎌田を通さなければマッカーサーには会えない」と言われるほどの影響力を持っていたという。
京成電鉄は同年10月に子会社 として新京成電鉄を設立した。1947年(昭和22年)1月に開始された工事は、新たな資材の入手が困難であったため、県外に足を延ばして規格の異なる古資材をかき集めて行われた[ 8] 。
開業直前にGHQが旧軍用線 の復活を懸念し一時は開業が危ぶまれたが[ 9] 、新京成電鉄幹部の説得により、予定通り1947年 (昭和22年)12月27日に新津田沼駅 - 薬園台駅 間を軌間1,067 mm で開業している。
演習線は規定の線路延長(45 km )を確保することと[ 8] 、様々な状況での路線敷設演習のために急曲線が多数介在する屈曲線形 で、旅客線開業時に可能な限り直線化を図るも現在なお良好な線形でない。移動距離に比して道程が長く、津田沼駅 - 松戸駅間は直線距離約16 kmに対し道程26.5 kmである[ 4] 。演習線軌間は600 mm と極端に狭隘 ( きょうあい ) だったが京成電鉄払い下げ時に1,067 mm(3フィート 6インチ )へ改軌 される。当時の地方鉄道法 では「地方鉄道ノ軌間ハ1.067メートルトス特別ノ場合ニ在リテハ1.435メートル又ハ0.762メートルト為スコトヲ得」とあり、軌間1,372 mm での建設が認められなかったため、親会社の京成電鉄準拠の軌間1,372 mmは許可されず、1,067 mmに設定している。
払い下げ以後、新津田沼側から延伸し、建設資金不足から一時期は常磐線 松戸駅までの全通を諦めて初富駅 - 松戸駅間にバスを運行するも、沿線の船橋市にあった日本建鐵工業 を傘下に収めた三菱電機 の支援で敷設工事を再開、松戸駅まで全通する。なお、松戸駅 - 上本郷駅 間は旧軍用線ではなく、全くの新線であるため、台地を切り崩す工事が行われた。切り崩しで生じた残土を利用して平潟土地整理事業がなされた。開業当初、開発が進んでいない沿線付近は雨や霜 解けでぬかるむ道路を駅まで歩き革靴やハイヒール へ履き替える乗客が多く、松戸駅延伸開業時は各駅に下駄箱 設置もみられた。
全通は地域の人々から温かく迎えられ、数々の恩恵を受け、近所の農家 から赤飯 や餅 、夕飯のおかず等の差し入れが度々あったという[ 12] 。
古くは松戸新田駅 やみのり台駅 などの5駅が小さな駅舎で一人勤務のワンマンボックス駅(畳 一帖未満の小さな建物)だった。
1953年 (昭和28年)10月、全線の軌間を1,372 mmへ、1959年 (昭和34年)8月に1,435 mmへ改軌 する。親会社の京成電鉄よりも早期の改軌で、京成電鉄の改軌予行演習も意図したと推察されている[ 13] 。
従前に、松戸 - 柴又 (東京都 葛飾区 )間[ 注 5] 、国府台 間も免許取得して松戸市内で路線用地を買収するも、千葉大学園芸学部 や柴又駅 周辺の反対や常磐線の複々線化 、北総線 が計画された影響もあり、計画が頓挫して未成線 のまま1971年 (昭和46年)頃に免許失効している。買収した路線予定地のうち仮称三矢小台駅はリブレ京成三矢小台店 と松戸新京成バス 折り返し場へ、その他の多くが住宅地[ 15] へ転用されている。国府台駅 までの延伸計画は、流山電鉄(後に総武流山電鉄を経て現在の流鉄 )の市川駅 延伸免許取得による周辺地域での路線バス運行など、営業機会損失を阻止する意図もあった。
急激な乗客増による複線 化が行われた。演習線軌道敷の大半は複線分あったので工事は比較的容易に進められ、1975年(昭和50年)2月に新津田沼駅 - 京成津田沼駅間を除く全線が複線化された[ 13] 。
新津田沼駅は現位置へ至るまで駅舎位置や路線が変遷しており、以前の同駅と京成津田沼駅への2路線に分かれていたものを現在は急カーブで1線にまとめている(詳細は「新津田沼駅 」参照)。新津田沼駅 - 京成津田沼駅間のイオンモール津田沼 所在地は1982年 (昭和57年)頃まで京成電鉄第二工場が存在し、京成線改軌 期間中に、京成電鉄所属構内側線 の引き込み線扱いとして先行改軌された新京成線1,435 mmと京成線1,372 mmの軌間を移設してレール4本を敷設している。京成電鉄第二工場の出入構は主に深夜に行われた。京成電鉄の車両工場が宗吾参道 へ移転後、1987年 (昭和62年)に新京成電鉄へ譲渡され、0キロポスト は現在も新津田沼駅に設置されている。
優等列車 は現在設定されていないが、かつて同線内各駅停車で京成千葉線方面へ急行「九十九里号 」を運行し、赤電 なども使用した京成本線 京成上野駅 始発の同名列車も運行していた。
2023年(令和 5年)10月31日、親会社の京成電鉄は、2025年 (令和7年)4月1日 付で簡易合併 形式により、当路線を保有している新京成電鉄を吸収合併 することを発表した[ 16] が、現在の路線・駅・従業員の雇用と、運賃体系はそれぞれ維持する方針としている。その後2024年6月25日、合併後の路線名を「松戸線 」とすること、並びに各駅の駅番号 を新津田沼側よりKS-66〜KS-88に変更することが発表された[ 広報 8] 。
年表
今後の予定
C-ATSを全線に拡大する予定[ 広報 11] 。
2025年(令和7年)4月1日、京成電鉄が新京成電鉄を簡易合併方式により吸収合併する予定[ 16] [ 25] 。これに伴い本路線が京成電鉄「松戸線」となる予定。なお、これによる列車運賃、並びにダイヤの変更は行わない[ 広報 8] [ 26] 。また、駅ナンバリング、特徴のピンク色の車両デザインなどは刷新される。
駅一覧
全駅千葉県 内に所在。
全列車が各駅に停車。
駅番号 は2014年2月23日から導入[ 広報 10] 。「SL」とは「Shinkeisei Line」の略[ 注 8] 。
全駅で出改札を終日実施(下記○印の駅は発売券種制限あり)。
駅員
●:終日配置
○:7:00 - 22:00に限り「係員」を配置。その他の時間はインターホン対応。遠隔監視システム導入。
各駅とも交通バリアフリー法 上の「特定旅客施設」に該当する一日5,000人以上の乗降人員がある。
廃駅
藤崎台駅 (前原駅 - 京成津田沼駅間 1953年11月1日開業、1968年5月14日廃止)
沿線風景
松戸駅 - 新鎌ヶ谷駅間
松戸駅 を出発すると右側に大きくカーブをし、下総台地 を登る緩やかな勾配にさしかかる。国道6号 を超え、勾配を登り終えると新京成鉄道模型館 があった上本郷駅 へと到着する。松戸駅 - 上本郷駅間は新たに建設された区間であり、切り通しの残土は松戸駅の向こう側である平潟の土地整理に利用された。元々の鉄道連隊演習線 跡とは上本郷駅手前で合流する。次の松戸新田駅 とみのり台駅 は駅間距離が短く、しばらく住宅地の中を走る。JR東日本 武蔵野線 との乗換駅 である八柱駅 を過ぎると、左手に21世紀の森と広場 や森のホール21 を見ながら右にカーブし、常盤平駅 へと至る。この周辺は新京成線の開通後に常盤平団地 としてベッドタウン 化した街である。次の五香駅 を過ぎるとカーブが連続する線形 が続き、併走する千葉県道57号千葉鎌ケ谷松戸線 (一部区間は国道464号 との重複区間)とはこの先踏切 で4回も交差をすることになる。元山駅 を出ると陸上自衛隊 松戸駐屯地 の中を走り、新京成電鉄本社のあるくぬぎ山駅 へと至る。沿線は梨 園が多く、シーズンになると観光農園として賑わっている[ 4] 。線路は東に進路を変え、くぬぎ山車両基地 を右手に見ながら北総線 ・成田スカイアクセス線 の高架をくぐった後高架線となり北初富駅 へ至る。この先、新鎌ヶ谷駅 までは北総線・成田スカイアクセス線と併走して走る。
新鎌ヶ谷駅 - 京成津田沼駅間
新鎌ヶ谷駅を出ると南へ大きく進路を変え、初富駅 へと至る。この区間は新鎌ケ谷 の街の開発にあわせ、連続立体交差化 が行われた。次の鎌ヶ谷大仏駅 は船橋新京成バス の車庫に隣接しており、駅の近くには駅名の由来にもなった鎌ヶ谷大仏 がある。しばらく直線区間が続くが、二和向台駅 を過ぎると再びカーブの多い線形となる。三咲駅 から滝不動駅 にかけては沿線に畑や果樹園 などの田園風景が広がるが、次の高根公団駅 を過ぎると再び住宅地の中を走る。高根木戸駅 にかけての周辺には日本住宅公団 (現在のUR の前身)により開発された高根台団地 が広がり、「高根公団」駅の駅名の由来にもなっている。やがて線路は東葉高速鉄道線 との乗換駅である北習志野駅 へと到着する。周辺には習志野台団地 が広がり、また学校が多く朝夕は学生で賑わっている。北習志野駅を過ぎると右にカーブし、すぐに習志野駅 へと到着する。習志野 と称するものの、駅は習志野市 ではなく船橋市 に位置している[ 注 9] 。次の薬園台駅 付近は直線区間が続くが、前原駅 を過ぎると国道296号 と交差し、線路はイオンモール津田沼 を左に見ながら大きくカーブして新津田沼駅 へと至る。周辺は繁華街 となっているが、JRの津田沼駅 とは400m程離れており徒歩連絡となる。これから先は単線 区間となり、大きく逆S字カーブを描きながら京成本線 と合流し、終点の京成津田沼駅 へと到着する。
車両
自社車両
現用車両
過去の車両
800形以前の過去の車両(吊り掛け駆動方式 )については京成電鉄の「1988年以前消滅形式 」の項目を参照。
乗り入れ車両
新京成は京成千葉線 に乗り入れているが、片乗り入れであるため他社から乗り入れてくる車両は存在しない。
過去の乗り入れ車両
利用状況
2005年度の旅客輸送人キロ は722百万人キロ[ 29] となっている。
輸送実績
年度別輸送実績
新京成線の近年の輸送実績を下表に記す。表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度
輸送実績(乗車人員):万人/年度
特記事項
通勤定期
通学定期
定期外
合計
1975年(昭和50年)
4397.7
1391.5
1816.5
7605.7
1976年(昭和51年)
1977年(昭和52年)
1978年(昭和53年)
4660.2
1458.2
2190.9
8309.4
北総開発鉄道北総線(当時)と相互直通運転開始
1979年(昭和54年)
4897.3
1467.5
2277.7
8642.6
1980年(昭和55年)
5083.3
1548.2
2360.4
8992.0
1981年(昭和56年)
1982年(昭和57年)
1983年(昭和58年)
住宅・都市整備公団線(当時)と相互直通運転開始
1984年(昭和59年)
1985年(昭和60年)
5409.5
1716.8
2508.3
9634.6
1986年(昭和61年)
5535.5
1794.9
2591.2
9921.6
1987年(昭和62年)
5693.6
1894.3
2647.4
10235.3
1988年(昭和63年)
5987.7
1981.7
2791.8
10761.2
1989年(平成元年)
6123.6
2014.4
2901.6
11039.6
1990年(平成2年)
6324.5
2140.1
3050.7
11515.3
1991年(平成3年)
6087.5
2059.1
3158.2
11304.8
1992年(平成4年)
6116.9
2086.7
3265.4
11469.0
新鎌ヶ谷駅開業 北総公団線(当時)との相互運転廃止
1993年(平成5年)
6125.7
2065.2
3411.7
11602.6
1994年(平成6年)
6097.2
2025.4
3661.4
11784.0
1995年(平成7年)
6087.9
2001.3
3651.5
11740.7
1996年(平成8年)
5753.3
1780.0
3578.6
11111.9
1997年(平成9年)
5589.7
1626.6
3472.5
10688.8
1998年(平成10年)
5450.9
1540.3
3420.5
10411.7
1999年(平成11年)
5319.8
1485.9
3427.2
10232.9
2000年(平成12年)
5210.9
1412.4
3430.9
10054.2
2001年(平成13年)
5124.7
1355.4
3479.5
9959.6
2002年(平成14年)
4990.4
1327.2
3507.3
9824.9
2003年(平成15年)
4971.8
1318.1
3603.1
9893.0
2004年(平成16年)
2005年(平成17年)
2006年(平成18年)
京成千葉線と直通運転開始
2007年(平成19年)
2008年(平成20年)
2009年(平成21年)
5143.1
1232.6
3733.0
10108.6
2010年(平成22年)
2011年(平成23年)
東日本大震災発生
2012年(平成24年)
5074.1
1328.7
3738.0
10140.8
2013年(平成25年)
5171.1
1374.6
3763.3
10309.0
2014年(平成26年)
5107.7
1326.4
3714.4
10191.5
全営業車両が6両編成化
2015年(平成27年)
5218.4
1350.5
3764.7
10333.6
2016年(平成28年)
5237.8
1356.2
3736.7
10330.7
2017年(平成29年)
5314.3
1333.4
3768.0
10415.7
2018年(平成30年)
5381.9
1308.8
3748.7
10439.3
2019年(令和元年)
5460.8
1288.3
3661.6
10410.7
2020年(令和2年)
4693.1
728.1
2643.9
8065.0
2021年(令和3年)
4592.4
974.6
3021.0
8588.0
収入実績
年度別収入実績
新京成線の近年の収入実績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最低値を青色で表記している。
年度
旅客運賃収入:千円/年度
運輸雑収 千円/年度
総合計 千円/年度
通勤定期
通学定期
定期外
手小荷物
合計
1975年(昭和50年)
1,820,606
←←←←
1,190,971
0
3,011,577
131,734
3,143,311
1976年(昭和51年)
←←←←
1977年(昭和52年)
←←←←
1978年(昭和53年)
2,638,668
←←←←
1,839,039
0
4,477,708
171,262
4,648,970
1979年(昭和54年)
3,030,630
←←←←
2,088,927
0
5,119,558
204,226
5,323,784
1980年(昭和55年)
3,256,123
←←←←
2,286,686
0
5,542,809
240,599
5,783,407
1981年(昭和56年)
←←←←
1982年(昭和57年)
←←←←
1983年(昭和58年)
←←←←
1984年(昭和59年)
←←←←
1985年(昭和60年)
4,585,066
←←←←
3,144,182
0
7,729,248
302,645
8,031,893
1986年(昭和61年)
←←←←
1987年(昭和62年)
1988年(昭和63年)
1989年(平成元年)
1990年(平成2年)
4,912,010
958,377
4,180,930
0
10,051,317
442,598
10,493,915
1991年(平成3年)
1992年(平成4年)
1993年(平成5年)
4,724,949
929,296
4,602,878
0
10,257,123
380,808
10,637,931
1994年(平成6年)
4,723,490
917,052
4,765,521
0
10,406,063
392,940
10,799,003
1995年(平成7年)
4,981,672
943,989
5,105,802
0
11,031,463
399,431
11,430,894
1996年(平成8年)
5,124,301
927,040
5,360,423
0
11,411,764
431,883
11,843,647
1997年(平成9年)
4,958,606
840,738
5,277,437
0
11,076,781
395,802
11,472,583
1998年(平成10年)
4,841,544
797,483
5,210,264
0
10,849,291
451,101
11,300,392
1999年(平成11年)
4,730,600
770,182
5,219,053
0
10,719,835
385,456
11,105,291
2000年(平成12年)
4,635,149
730,045
5,218,532
0
10,583,726
410,653
10,994,379
2001年(平成13年)
4,547,525
700,352
5,307,957
0
10,555,834
385,681
10,941,515
2002年(平成14年)
4,429,873
685,067
5,366,980
0
10,481,920
338,704
10,820,624
2003年(平成15年)
4,416,424
679,571
5,528,151
0
10,624,146
1,449,882
12,691,838
2004年(平成16年)
2005年(平成17年)
2006年(平成18年)
2007年(平成19年)
2008年(平成20年)
2009年(平成21年)
4,543,746
624,510
5,669,358
0
10,837,613
349,265
11,186,878
2010年(平成22年)
2011年(平成23年)
2012年(平成24年)
2013年(平成25年)
2014年(平成26年)
4,487,353
663,320
5,150,673
0
10,826,080
344,326
11,170,406
2015年(平成27年)
4,555,084
676,141
5,756,394
0
10,987,619
414,180
11,401,799
脚注
注釈
^ 他の道路や鉄道路線を越える橋は何か所か存在する[ 広報 1] 。
^ 新京成電鉄のほか、京成電鉄 、北総鉄道 、京浜急行電鉄 、都営地下鉄浅草線 で使用されている[ 6] 。
^ 北総線 は日中それぞれ、京成線扱いであるアクセス特急を含めれば毎時4-5本[ 広報 4] 、東葉高速線 は毎時4本程度[ 広報 5] 。
^ これに関し「新京成電鉄の線路はなぜ曲がっているのか(曲線が多いのか)?」とのテーマから旧日本陸軍鉄道連隊や戦争の歴史学習へ導く記載が、高校日本史 教科書 の一部[ 7] に見られる。
^ かつて筑波高速度電気鉄道 が松戸支線として梅島 (東京都足立区 ) - 柴又 - 松戸間を計画していたが、青砥 経由に変更して京成電鉄吸収合併後に現在の京成本線として開業した区間以外(青砥 - 柴又 - 松戸間)は免許失効。
^ 自社線内は当日より空間波式アナログ列車無線から一斉切り替え。空間波式デジタル列車無線は直通先の京成電鉄でも使用されているがこの時点では京成電鉄は従来の誘導無線 式アナログ列車無線との併用となっており、直通する編成においては京成線内では誘導無線式アナログ列車無線を使用。
^ 移行完了に伴い、直通先である京成線内でも新京成車を含む直通先事業者所属車両における空間波式デジタル列車無線を使用開始した。
^ 「SK」は西武国分寺線 で使用済みのため。
^ 新京成電鉄の習志野駅は1948年の開業[ 27] で1954年の習志野市の成立[ 28] より前に生まれている。詳細は「習志野 」の項を参照。
出典
広報資料・プレスリリースなど一次資料
参考文献
関連項目
外部リンク