■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート
川名 慎一(かわな しんいち、1970年4月10日 - )は、鹿児島県鹿児島市[1]出身の元プロ野球選手(外野手)、プロ野球コーチ。
小学4年生から野球を始め、中学時代には全日本メンバーとしてアメリカ遠征を経験した[1]。
鹿児島商工高校(現:樟南高校)2年生時の1987年に夏の甲子園に外野手として出場[1]。2回戦で石井忠徳(後の石井琢朗)がエースだった足利工業高校に勝利したが、3回戦で木村龍治と後藤孝次を擁する中京高校に敗れた。同学年には濱涯泰司、1学年下には大西崇之と吉鶴憲治がいる。
1988年のドラフト3位で日本ハムファイターズに入団[1]。
現役時代は球界屈指の俊足選手として知られ、代走としての起用が多かった。本来は右打ちであるが、俊足を生かすために一時期スイッチヒッターに挑戦していた。1997年10月に戦力外通告を受け、阪神タイガースにテスト入団にて移籍[1]。
1998年、一軍出場が僅か1試合に終わり再び戦力外通告を受け現役引退。
引退後はプロゴルファーの研修生になっていたが、2004年から2012年まで日本ハムの二軍外野守備・走塁コーチを務めた。コーチ退任後の2013年からは日本ハムのアマ兼プロスカウトを務めた[2]。
2015年から再び二軍外野守備・走塁コーチを務める。2016年からは一軍外野守備・走塁コーチに配置転換された。攻撃時は一塁ベースコーチを務めていたが、2019年シーズンからは三塁ベースコーチを務める。
2020年シーズンから2年間プロスカウトを務めたあと、2022年は育成コーチとして3年ぶりに現場復帰した[3]が、1年限りで退任。2023年からはチームスタッフ札幌屋内練習場担当に転換された[4]。2024年限りで退団。
2025年から東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍外野守備走塁コーチを務める。背番号は99[5]。
足が速く、中学時代に陸上選手として200m走の県記録を作ったことがある[1]。スーパーカートリオで知られ球界一の俊足とも言われた屋鋪要が、「自分より足が速いと思ったのは川名だけ」と述べている[6]。
趣味は塗り絵。また、CHAGE and ASKAのものまねをさせたら右に出る者はいないと言われている。