嶋田 章弘(しまだ あきひろ、1966年6月27日 - )は、和歌山県有田市[1]出身の元プロ野球選手(投手・外野手)。
実兄は元プロ野球選手(捕手)で、住友金属でのプレーを経て、章弘と同時(1985年)に阪神タイガースへ入団した嶋田宗彦[1]。宗彦とは、阪神の投手時代に公式戦でバッテリーを組んでいたほか、お互いに現役を引退してから兄弟揃って阪神球団のスコアラーを11年間務めていた(本文を参照)。
来歴・人物
プロ入り前
実兄の宗彦に続いて和歌山県立箕島高等学校へ進学すると、2年時(1983年)夏の第65回全国高等学校野球選手権大会3回戦で、津野浩を擁する高知商業を相手に吉井理人(1学年先輩)の後を受けて登板[2]。この時のチームメイトには、山下徳人(吉井と同期の右翼手)もいた。選手権の全国大会には、3年時(1984年)の第66回大会にも「右投左打のエース兼3番打者」[3]として出場。控え投手には同期の杉本正志などがいて、自身は2回戦(初戦)で取手二高の石田文樹などと投げ合ったが、チームは3対5というスコアで敗れた[2]。
左打席からの強打[3]や足の速さも当時から高く評価されていたが、1984年のNPBドラフト会議では、「投手」として阪神と広島東洋カープから1巡目で指名。指名の重複に伴う抽選の結果、阪神が章弘への独占交渉権を獲得した。さらに阪神は、夏のロザンセルスオリンピック・野球競技で日本代表チームのメンバーとして金メダルを獲得していた宗彦を4巡目で指名。いずれも、指名との交渉を経て入団に至った。ちなみに、自身は入団の当初に背番号15を着用。その一方で、章弘の控え投手だった杉本は、広島から1巡目で改めて指名された末に入団している。
現役時代
登録上は一貫して「右投左打」であったが、実際には、投手として阪神へ在籍していた時期に右打ちへ転向していた。入団の当初に指導を受けていた投手コーチから、「打者として左打席に立つ限り、(投球で使う)右肩に死球を受ける危険性がある」と指摘されたことによる[3]。
1985年には、8月3日の対読売ジャイアンツ戦で、7回表から救援投手として一軍公式戦にデビュー。4点ビハインドからの登板ながら、3イニングを被安打1の無失点に抑えた。8月26日の対ヤクルトスワローズ戦で、一軍の公式戦に初先発。この試合では、「右打者」として臨んだ第1打席で、一軍公式戦における初安打をライト前に放っている[3]。レギュラーシーズン全体では、高卒1年目ながら一軍公式戦10試合に登板。先発での登板は3試合で、9月15日の対中日ドラゴンズ戦(いずれも阪神甲子園球場)では8回まで中日打線をノーヒットノーランに抑えていた[4]が、いずれの登板でも勝敗は付かなかった。
1986年には、4月25日の対中日戦(甲子園)で宗彦との「兄弟バッテリー」が初めて実現。一軍公式戦には前年を上回る13試合に登板したものの、シーズンの途中に右肩を痛めたことを境に、未勝利のまま実戦から遠ざかった。
1988年には、アメリカで右肩の手術を受けた後に、リハビリへ専念する目的でNPBから任意引退選手として公示。後に支配下登録選手へ復帰したものの、1989年には背番号を60に変更している。
1990年に外野手へ転向[1]。これを機に、左打席でのバッティングを本格的に再開した[3]。「外野手」として正式に登録された1991年には、投手時代の1986年以来5年振りに一軍公式戦へ出場すると、27試合の出場で打率.221ながら6打点をマーク。その一方で、亀山努が右翼手として一軍で台頭した1992年には、故障の影響もあって2試合の出場にとどまった。
1993年には、亀山がシーズンの途中から故障で戦線を離脱したことを背景に、主に「2番・右翼手」として44試合にスタメンで出場。しかし、シーズンの終了後に、米崎薫臣との交換トレードで近鉄バファローズへ移籍した[1]。近鉄では背番号35を割り当てられた。
1996年のレギュラーシーズン開幕前(3月)に北村俊介との交換トレードで中日ドラゴンズへ移籍。日本人の選手としては珍しく、移籍を機に背番号42を着用したが、この年限りで現役を引退した[1]。
現役引退後
1997年から2003年まで中日で先乗りスコアラーを務めた。
2004年からスコアラーとして阪神へ復帰。
2018年頃からチーフスコアラーを任されている[5][6]。ちなみに、宗彦は1992年で現役を引退してからも、ブルペン捕手やバッテリーコーチとして阪神球団に一貫して在籍。現場を離れた2012年以降[7]は、2023年に一軍のバッテリーコーチとして現場へ復帰するまで、兄弟揃ってスコアラーを務めていた[8]。
詳細情報
年度別投手成績
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
1985
|
阪神
|
10 |
4 |
4 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
.250 |
.250 |
.250 |
.500
|
1986
|
11 |
4 |
4 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
.250 |
.250 |
.250 |
.500
|
1991
|
27 |
88 |
68 |
8 |
15 |
3 |
0 |
0 |
18 |
6 |
3 |
1 |
5 |
0 |
14 |
0 |
1 |
17 |
1 |
.221 |
.361 |
.265 |
.626
|
1992
|
2 |
2 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
.000 |
.000 |
.000 |
.000
|
1993
|
59 |
180 |
158 |
15 |
39 |
4 |
4 |
0 |
51 |
13 |
3 |
2 |
7 |
1 |
14 |
0 |
0 |
32 |
3 |
.247 |
.306 |
.323 |
.629
|
1994
|
近鉄
|
9 |
23 |
19 |
4 |
3 |
1 |
0 |
0 |
4 |
1 |
1 |
0 |
1 |
0 |
3 |
0 |
0 |
4 |
0 |
.158 |
.273 |
.211 |
.483
|
1995
|
16 |
17 |
14 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
1 |
0 |
.000 |
.176 |
.000 |
.176
|
1996
|
中日
|
4 |
2 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
.000 |
.500 |
.000 |
.500
|
通算:8年
|
138 |
320 |
270 |
28 |
59 |
8 |
4 |
0 |
75 |
20 |
7 |
4 |
13 |
1 |
35 |
0 |
1 |
62 |
4 |
.219 |
.309 |
.278 |
.587
|
背番号
- 15 (1985年 - 1988年)
- 60 (1989年 - 1993年)
- 35 (1994年 - 1995年)
- 42 (1996年)
脚注
関連項目
外部リンク