『少年H 』(しょうねんエッチ)は、妹尾河童 の自伝的小説。当時の名前は「肇」だったので、セーターに書いてあったイニシャルからの愛称。1950年代 以降、「エッチ 」という読みは卑猥な意味を持つようになったため、H の読みとして「エイチ 」が推奨されるようになっているが、戦前から終戦の2年後までを描いた本作ではすべてのルビが「エッチ」とされており、本作の読みも上記の読みが正しい。1997年 (平成9年)、講談社 より刊行された。1997年(平成9年)度、毎日出版文化賞 特別賞受賞作品[1] 。1997年(平成9年)度の第24回大佛次郎賞 最終候補作でもあった。
上・下2巻から成る。後に講談社文庫 、新潮文庫 、青い鳥文庫 から刊行されたほか、ジョン・ベスター の翻訳による英訳本 A boy Called H [2] も出ている。
2013年 (平成25年)8月2日 、累計発行部数が340万部に達する[3] 。
1997年 (平成9年)に『週刊こどもニュース 』でアニメ化、1999年 (平成11年)と2001年 (平成13年)にスペシャルドラマ化、2013年 (平成25年)に映画化され、他、舞台化もされた。
登場人物
妹尾肇
主人公。通称はH 。1930年 (昭和 5年)生まれ。
腕白坊主だが根は真面目で、意外に正義感は強い。
藤原義江 にあこがれている描写があり、成人後に実際に対面を果たすこととなるが、本作では藤原が直接登場する描写はない。
中学校を卒業後は、看板屋のフェニックス工房での勤務を経て舞台芸術家となる。
ドラマ版では老年期になってからも「肇」と名乗り続けているが、実際は1970年 (昭和45年)に下の名前を「河童」に改名している。
妹尾盛夫
1902年 (明治 35年)生まれ。肇の父親。洋服屋を営む。肇の良き理解者で、理論的に考えるタイプ。身長は153cm。
ドラマ版では演じた中井が長身ということもあってか、小柄という設定は破棄され、足が悪いという設定になった。そのためか、後述の吉本繁男は登場しない。
妹尾敏子
1905年 (明治38年)生まれ。肇の母。熱心なクリスチャン(プロテスタント )だが、それが原因で周囲との間に摩擦を生むこともある。
妹尾好子
1932年 (昭和7年)生まれ。肇の妹。優しい心の持ち主だが泣き虫。
羽田野金四郎
通称「羽田野の小父さん」。妹尾家に下宿していたことがあり、妹尾一家とは親しい間柄。終戦の翌年に病死。
林五和夫
肇の親友。巨漢で相撲 に詳しい。
ドラマ版では同窓会のシーンで、林本人が登場した。
郁夫
炭屋の次男坊。通称は「イッチャン」。嘘をつく癖があるが、根は真面目。
勝造
原作とドラマ版での位置づけが大きく異なるキャラクター。
原作では全く好意的に描かれておらず、登場シーンも少ない。肇の机に十字架や「スパイ」の文字を書いた犯人ではないかと疑われている(実際の犯人は不明)。通称は「バラケツの勝 」(バラケツとは神戸の方言で不良 の意)。苗字は不明。
ドラマ版では当初は肇と不仲だったが、オトコ姉ちゃんの仲介で仲直りし、以後友人として親しくなる。老年期に入り肇と再会。名前は、山本勝造 と設定。
勝造の父
原作、ドラマ版ともにヤクザ として描かれているが、その描き方は息子同様大きく異なる。
原作では「本物のヤクザ」と本文中に触れられている程度で、肇たちと直接絡むシーンは無い。名前も不明。
ドラマ版では体に刺青 をしており、荒くれとしての側面が強調されていたが、風呂屋でオトコ姉ちゃんの手ぬぐいを奪った肇を叱りつけるなど、単純に悪人といえない側面も持ち合わせている。南京陥落 の祭りの際にトラブルを起こして逮捕され、息子との再会がかなわぬまま死亡する。原作における「岩夫さん」(風呂屋のシーンのみの登場)と「在郷軍人の小父さん」(後述)の側面を持ち合わせている。名前は、山本新造 と設定。
ミセスステープルス
宣教師。肇が2歳の頃まで日本にいた。
うどん屋の兄チャン(赤盤の兄チャン)
妹尾家の向かいにあるうどん屋で働く青年。実は非合法活動をしていた。共産主義 運動と周囲は推測するが、詳細は不明。
ドラマ版では小林繁夫 という役名がある。
オトコ姉ちゃん
映画技師で旅回りの役者。戦争に行くことを拒否し、廃屋になったガソリンスタンドの便所で首吊り 自殺する。
ドラマ版では花房恵三郎 、映画版(後述 )では下山幸吉 という名前がつけられている。また、原作と比較してドラマ版では登場シーンが増えており、『風の又三郎 』を肇に見せるシーンなどが追加されている。
在郷軍人の小父さん
上記のとおり在郷軍人 で、戦局が優勢のころはいつも「天皇陛下のために」と叫んでいた。しかし、戦局が悪化するとともにその態度にも変化が現れる。
ドラマ版には登場せず、その設定は前述の勝造の父親に移された(ただし、ドラマ版の勝造の父と異なり自然退場する形になっている)。
ピエールさん
フランス人のコック。三宮 のレストランで働く。
宮本順二
盛夫の弟子として働いていた男性。肇たちは「順さん」と呼び慕っていた。
作中で登場していた時点(1940年 (昭和15年))ですでに30代になっていたこともあって、当初の契約よりも1年半早く独立した。
吉本繁男
宮本順二が独立した後雇われた男性。愛称は「シゲさん」。
足が悪く店員として不向きと思われたが、盛夫が本人のやる気を認めたことから雇われることとなった。しかし、開戦による客の減少から経営難となり、わずか1年で店を退職することとなる。
オッペンハイマーさん
ユダヤ系ドイツ人。神戸港に来航したユダヤ人(杉原千畝 を参照)の洋服の修繕を依頼し、お礼に肇の誕生祝いを送る。
金田さん
朝鮮人 の男性。本姓は「金(キム)」。一時期妹尾家に下宿していたが…。
原作では、本名・日本名とも不明だが、ドラマ版では金田正之 と設定された。
田森教官
主人公らが通う神戸二中(兵庫県立兵庫高等学校 )の軍事教官。本名は田森信太郎。あだ名は「エロ天」。極度なまでにサディスティックな性格で、生徒達に暴力を振るうことに快感を覚えている節すらあったが、敗戦後は抜け殻のようになってしまった。
久門教官
中学校の軍事教官。肇が所属する教練射撃部の顧問も務める。田森教官とは対照的に生徒からの信頼は厚い。終戦直前に徴兵されるが、終戦後は復員し本職の時計屋に戻る。
藤田譲治
肇の中学校の親友。肇より1歳年上だが、病気で休学したために同学年となった。通称「ジョージ 」。
母親はイギリス人で英語 に堪能だが、その白人の血が色濃く出た容貌ゆえ、戦時中は周囲からからかわれることも多く、自身が日本人であることを殊更に強調していた。卒業後は、進駐軍 の通訳となる。
書誌情報
翻訳
Kappa Senoh (2002-12). A boy called H: a childhood in wartime Japan . The Kan Yamaguchi series. translated by John Bester (1st paperback ed.). Kodansha International Ltd.. ISBN 4-7700-2935-7 - Co-published by Kodansha America, Inc.
CD
『少年H』 上、日本障害者リハビリテーション協会、2000年2月。 - 形態:CD-ROM1枚、平成10年度厚生省 委託事業。
『少年H』 下、日本障害者リハビリテーション協会、2000年2月。 - 形態:CD-ROM1枚、平成10年度厚生省 委託事業。
作品に対する批判
同世代で児童文学作家の山中恒 は、「作中に夥しい数の事実誤認や歴史的齟齬がみられること」や、「主人公やその家族の視点が当時の一般的な日本人の感覚から大きく乖離していること」、「戦後になるまで誰も知らなかったはずの事実をまるで未来からでも来たかのように予言していること」、さらに「自身が編纂に関わった書物の記述がその誤りの部分も含めてまるごと引用されている点」などを自著『間違いだらけの少年H 』で指摘し、『少年H』は妹尾の自伝でもなんでもなく、戦後的な価値観や思想に基づいて初めから結論ありきで描かれた作品であると看破し、「年表と新聞の縮刷版をふくらませて作り上げたような作品」「戦争体験者の酒の席での与太話を小説風にまとめただけのもの」と酷評した[4] 。さらに、2001年(平成13年)に山中は『「少年H」の盲点 』という批判書を出版した[5] 。
妹尾はあくまでも「自らの記憶と体験を元に書いた作品である」との主張を撤回してはいないが、山中の挙げた具体的な誤りや欺瞞の指摘に対しては口を閉ざし、一切の反論を行っていない。ただし『少年H』の文庫化に際しては、山中に指摘された部分を中心に何箇所もの訂正や変更、削除などが行われている。
2013年に映画化された際に監督の降旗康男 は、他の資料とともに山中の『間違いだらけの少年H』も参照し、直すべき個所は直したという[6] 。
アニメ
「少年Hが見た戦争」というタイトルで、1997年 8月17日・24日に『週刊こどもニュース 』内で前後編形式でアニメ化された。
この回では原作者の妹尾自ら母校である神戸市立長楽小学校 を訪れ、課外授業の一環として5年生の児童(当時)に戦時中の出来事を語りながら並行してアニメを上映するという形式が取られている。クリスチャン関連の描写はアニメでは全て省略され、妹尾の講話内で少し語られる程度に留められた。
キャスト(アニメ)
スタッフ(アニメ)
原作:妹尾河童
音楽:有澤孝紀
脚本:杉江羲浩
キャラクターデザイン:伊藤有壱
演出・絵コンテ:外山草 、山里亜希
美術:古宮陽子、砂川千里
作画:大島りえ、朝倉隆、大西治子、杉江丸治
CGアニメ技術:伊藤正弘、新垣純子、江連孝博、瀬戸奈緒美、本間薫、丸山哲右、佐藤節子
資料提供:日本ゴルフ協会 、埼玉県平和資料館 、コスモポリタン製菓 、KRAC、花田桂子
音声:志村宏
技術:堀雅樹
音響効果:佐藤剛
編集:加藤広志
構成:吉野拓治
制作統括:茂手木秀樹
舞台
劇団ひまわり公演
劇団ひまわり により、1999年 8月4日 から16日 まで新国立劇場 中劇場にて、同年8月21日 から29日 まで梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティにて公演された[7] 。原作者の妹尾が美術も担当した。
キャスト(劇団ひまわり)
スタッフ(劇団ひまわり)
演出:栗山民也
脚本:マキノノゾミ
原作・美術:妹尾河童
音楽:甲斐正人
照明:勝柴次朗
衣裳:宮本宣子
音響:山本浩一
方言指導:大原穣子
アクション:渥美博
ヘアメイク:馮啓孝
演出助手:豊田めぐみ
プロダクションマネージャー:元木たけし
舞台監督:今野忠明
演出部:劇団ひまわり 舞台部
照明:(株)ステージファクトリー
音響:(株)サウンドクラフト
大道具:東宝舞台 (株)
背景画(空の絵):妹尾太郎
小道具:東宝舞台(株)
衣裳:松竹衣裳(株)
履物:(株)神田屋
総合プロデュース:砂岡誠、千野毅彦
制作:伊東亜美、横山陽子、佐藤厚、種村達也、柴田惠美子(劇団ひまわり)、津田敬子、田中裕行
宣伝美術協力:妹尾太郎
写真:江川誠志
企画:砂岡事務所
主催:(株)電通 、劇団ひまわり、朝日新聞社
製作:(株)電通、劇団ひまわり
協力:講談社
後援(大阪公演):朝日放送
関西芸術座公演
関西芸術座 により、2003年 9月4日 から10日 まで関芸スタジオにて公演され、2003年 10月から2008年 12月にかけて中学校・高校での巡演も行われた[8] 。
キャスト(関西芸術座)
スタッフ(関西芸術座)
原作:妹尾河童
脚色:堀江安夫
演出:鈴木完一郎
装置:柴田秀子
照明:福井邦夫
音楽:ノノヤママナコ
音響:須川由樹
衣裳:中川文
小道具:坂本真貴乃
舞台監督:辻村孝厚
演出助手:大井敦代
制作:柾木年子、菊池久子、宮崎恵美子
テレビドラマ
フジテレビ にてスペシャルドラマ2作が放送されている。1999年 (平成11年)11月5日 にフジテレビ開局40周年記念作品として放送された前編『少年H それが僕たちの戦争だった 』は原作上巻の内容を基に大幅な脚色を加えている。2001年 (平成13年)3月23日 に放送された後編『少年H 青春篇 』は下巻の内容をベースとしている。前編は第54回芸術祭 優秀賞、第28回放送文化基金賞 テレビドラマ番組賞、2000年(平成12年)日本民間放送連盟賞 最優秀賞を受賞している。
キャスト(テレビドラマ)
スタッフ(テレビドラマ)
映画
2013年 (平成25年)8月10日 公開。テレビ朝日 開局55周年記念作品。
全国307スクリーンで公開され、2013年(平成25年)8月10日、11日の2日間で興収1億4,697万4,100円、動員13万1,959人になり、映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)で初登場第7位となった[10] 。
第35回モスクワ国際映画祭 のGALA(ガーラ)部門で特別作品賞を受賞した。
2014年 8月17日 にはテレビ朝日系列 の『日曜洋画劇場 』で放送された(文字多重放送 / データ放送 )[11] 。
キャスト(映画)
ほか
スタッフ(映画)
受賞
1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代
1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
脚注
関連文献
関連項目
外部リンク
シングル アルバム ドラマ 映画 監督 関連人物 関連項目
カテゴリ