前進座(ぜんしんざ)は、1931年5月22日に創立され、東京都武蔵野市を本拠とする日本の歌舞伎劇団である。法人名称は一般社団法人劇団前進座[1]で、2017年6月1日に株式会社から移行[3]。同市吉祥寺南町2丁目4-3に事務所を置く。同地には本拠劇場「前進座劇場」(収容人員500、1982年 - 2013年)を有していた。劇団前進座ビルを保有し、前進座附属養成所を開設している。
創立参加者ら[4]は、歌舞伎の門閥制度から独立するために松竹と袂を分かった。
そのうち、四代目河原崎長十郎・三代目中村翫右衛門・五代目河原崎国太郎・五代目嵐芳三郎・六代目瀬川菊之丞・藤川八蔵(藤川武左衛門)・坂東調右衛門らが七人の侍と呼ばれている[5]。
尾上菊五郎劇団と並び、市井の庶民・江戸っ子をリアルに描く世話物を得意としており、配役の一部を女性が演ずる歌舞伎を出すことも多い。創設直後より「演劇のデパート」とも呼ばれ、時代劇・現代劇・児童劇など幅広い演目を持つ。全国津々浦々を巡回公演し、地元草の根の観劇団体(演劇鑑賞会・市民劇場など)の招聘に応じて第一線の俳優たちが都市部の大劇場と同じ内容を演じる。
給与制をとっており、興行収入によって、座員の生活を保障する事を創立以来の理念としている。
自由民主党石橋湛山、読売新聞務臺光雄などの保守派から、日本共産党やその心情的支持層、文学・芸能関係者ら(松本清張・永六輔・山田洋次、山川静夫など)、演劇ファンなどが劇団の贔屓となっている。1968年には前進座を応援し次代を育てる会として「矢の会」が創立された。海音寺潮五郎・大佛次郎・井上靖・松本清張・水上勉ら五人の作家が発起人で、現在に続いている。
過去には「絶対修業」「翫右衛門のむち」という厳しい座員教育が行われていたことが知られている。
松竹とは1933年から現在まで業務提携関係にあり、毎年1月に南座で共同興行を行っている。
国立劇場は前進座と武智鉄二の公演は拒否してきた。しかし1977年7月に劇界および児童演劇分野の代表的な4賞を重ねた『さんしょう太夫』の芸術祭賞受賞記念公演が小劇場で行われて以降は、毎年5月に大劇場にて公演を行っている。
1982年、集団住宅を一部取り壊し、敷地の一部に前進座劇場を新設した。残りは武蔵野市に売却され、吉祥寺南町コミュニティセンターが建設された。
2012年3月2日、隣接する吉祥寺南病院の施設拡張に協力するため、病院側に前進座劇場の敷地を譲渡すること並びに、2013年1月の公演を以て劇場を閉鎖することを発表した[9]。
2013年1月9日、前進座劇場ファイナル公演『三人吉三巴白浪』をもって閉館。30年にわたる劇場の歴史に幕を下ろした。同年8月に吉祥寺駅東口前のビルを取得して新しい本拠地(前進座ビル)とし、稽古場と事務所を構え、社宅の一部も移転した[10]。劇場については、既存の劇場で公演活動を継続していくという[11]。
北海道巡演中(モリエール『守銭奴』、近松『俊寛』、舞踊劇『どんつく』)[5]、北海道赤平町での公演当日(1952年5月24日)に会場使用を拒否され、警察ぐるみの組織による妨害を受けた。集まっていた観客が会場に入り上演が行われた翌日に、会場で上演中止の挨拶を行ったことを家宅侵入罪として座員5名、地元の青年4名が逮捕され、3代目翫右衛門にも逮捕状が出された。3代目翫右衛門は警察から逃れ、一週間以上にわたって地下に潜る逃亡生活を送り、群衆に紛れて会場に入り、舞台上で俊寛の拵えをして上演[16]。「神出鬼没の翫右衛門」と異名をとったという。実際には、このとき演技についての論文も執筆していた。
しかし公演会場で警察官と支持者たちが衝突し、負傷者がでた。その後、3代目翫右衛門は亀田東伍[17]とともに小さな漁船で密出国し、北京に滞在していたという。
中国共産党の大衆組織が、1952年10月に北京で国際会議「アジア太平洋地域平和会議」を開こうと全世界に呼びかけた。 親中派として知られる大山郁夫(戦前の労農党委員長)、日本社会党の松本治一郎、アナキスト神近市子、マクロビオティックの創始者桜沢如一というメンバーが日本代表として訪中することが決まった。
日本政府の拒否の態度が覆らないと見るや、9月下旬、突如数人の日本人が北京で発見され、それらの人が松本らに代わる日本代表団として会議に臨むことになった。3代目翫右衛門が松本の代理として副団長として会議に参加し、大会議長にも名を連ねた。
1955年、国慶節に中国で歌舞伎公演を行うべく2代目市川猿之助一座が大阪歌舞伎座社長松尾國三を帯同して訪中。11月7日、2代目猿之助は3代目翫右衛門を連れ立って帰国した。前進座の贔屓であった久原房之助、北村徳太郎、馬島僴などの尽力によって赤平事件の当時の逮捕状は取り消されており、鈴木茂三郎と井谷正吉が身元引受人となった。3代目翫右衛門は建造物侵入と出入国管理令違反で裁判にかけられたが、「懲役6ヶ月、執行猶予2年」の執行猶予付き判決を得た[18]。
2019新型コロナウイルス感染症の流行により、公演の中止・延期や劇場の定員制限を余儀なくされたほか、贔屓に高齢者が多かったことから出控えの影響を受けたり、団体キャンセルが相次ぐなどのことで劇団は大打撃を受けた。寄付[19]・助成金・銀行からの融資を充てても間に合わず、半数以上の劇団員を職員待遇から業務契約待遇に切り替える決断もあったという。
2021年9月1日より、READYFORにて「『進め若く 新たに』創立100周年を目指す前進座へご支援を」と題したクラウドファンディングを行い、同年10月31日までに16,360,000円の支援を集めた。支援金は前進座の運営・活動費として用いられるとしている[20]。
座として製作に関与した映画、座としてユニット出演した映画のうち、主なもの。
その他
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