牧 冬吉(まき ふゆきち、1930年11月28日[1][2][3] - 1998年6月27日[1][4])は、日本の俳優。本名、岡村 信行[1][2][3]。
秋田県大館市出身[1][3]。秋田県立大館鳳鳴高等学校卒業[1][3]。松竹芸能に所属していた[2]。
父は公務員で、四男二女の次男[3]。高校卒業後、舞台芸術学院に入学する[5][6]。1951年に舞台芸術学院を中退し「前進座」に入座[1][6]。その後、舞台芸術学院の仲間と劇団「舞芸座」を創設し、シェークスピア劇などを演じるが生活は苦しく、アルバイトに明け暮れていた[7]。この間に監督の船床定男と知り合い、宣弘社制作のテレビドラマ『豹の眼』(KRテレビ)の敵役「殺し屋ジョー」役でテレビドラマにデビューする[6][7][8][9][10]。引き続き同社制作の『快傑ハリマオ』でも敵役を演じる[9][8][7]。
1963年に『隠密剣士』第二部で悪役「柘植の黒兵衛」として出演し人気を集めた。これを受けて第三部からは、善玉の準主役「霧の遁兵衛」役に抜擢された[11][7][9]。1967年、『仮面の忍者 赤影』(東映、関西テレビ放送)に「白影」役で出演して人気を得て、以降も『河童の三平 妖怪大作戦』(NET)・『柔道一直線』(TBS)・『好き! すき!! 魔女先生』(朝日放送)・『変身忍者 嵐』(毎日放送)など、子供向けドラマに名脇役として次々と出演した[12][4]。
晩年もテレビと映画を問わず時代劇を中心に活躍したが、1998年(平成10年)6月27日に間質性肺炎のため死去。67歳没[1]。
高校時代に演劇部で演劇に目覚め、親に「早稲田大学を受験する」と偽って上京、舞台芸術学院の入学試験を受けた。ところが面接で与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を朗読したところ、あまりのなまりの強さに試験官からひとこと「やめとけ」と言われ、不合格となった[9]。そこで牧は標準語を猛勉強し、4カ月間聴講生として通い、その熱意を買われて入学となった[5]。
1952年に新星映画の映画作品『箱根風雲録』(1952年、山本薩夫監督)に出演したが、当時は着物の着方を知らず周りから「この役者の値打が分かった」と言われ悔しい思いをし、これをきっかけに一人で着物の着付けができるようになったという[7]。
テレビドラマデビュー作の『豹の眼』の現地人を撃ち殺した後で大笑いするシーンがあり、監督からOKがなかなか出ないため、テストされていると思いそのまま演技を続けていた[9]。
『仮面の忍者 赤影』では、ピアノ線で吊り下げた「大凧」に赤影(演:坂口祐三郎)や青影(演:金子吉延)らと乗るシーンが多かったが、よくピアノ線が切れたという。その際には必ず子役の金子を抱えて落ちるようにしたという。乗馬での爆発シーンでは、馬が転倒するアクシデントがあり牧をかばって死んでしまい、今でも涙が出ると偲んでいる。京都の撮影所ではロケ弁当が出ないので、坂口祐三郎の祖母が牧の弁当をいつも作ってくれたという[13]。夏場の撮影となった『赤影』第三部では冷やした梅酒をロケに持ち込んでいたが金子吉延がこれを飲んでしまい、酔っぱらったまま演技をしたことがある(第28話)。
「霧の遁兵衛」や「白影」は水に入ってのアクションが多いが「学生時代に水泳で鍛えていたことが生かせた」と後に述懐している。『仮面の忍者 赤影』の主演・坂口祐三郎は泳ぎが不得手だったため、坂口は水に入るシーンはすべて牧に任せていた[14]。潜水したのち水面にガソリン着火するシーンでは火の海となったことがあり、このときは「もう駄目だ」と覚悟したという[15]。
1989年10月8日にTBS系で放送されたバラエティ番組『テレビ探偵団』特番では、これまでに番組で取りあげた映像での最多登場人物としてゲストに招かれ、感謝状を渡された。牧は「表彰されたことがなかったので、大変うれしい」とコメントしていた。また、白影を演ずる前は悪役が中心だったため、自身の子供がいじめられることが多かったが、白影役で人気が出てから子供も人気者になり、子供に感謝されたことが嬉しかったとも語っていた。
『変身忍者嵐』で主演を務めた南城竜也は、共演者で一番お世話になった人として牧の名前を上げ[16]、寝起きの顔での演技を避けるために、ロケバスの中で寝ないように指導されたエピソードを語っている[17]。
夫人は歌手、タレントの牧吉佐登(旧芸名:藤吉佐登)[3][10]。元は別の女性と結婚し東京都高田馬場 に住んでいたが、『隠密剣士』の撮影で京都を訪れた際に料理屋で藤と知り合い、離婚ののちに藤と再婚した[10][18]。夫人と2人で京都先斗町に「吉佐登(きちざと)」というクラブを開いていた[4][19][10](2005年閉店)。店には「白影」を訪ねての来客が引きも切らなかったという。
『ワタリ』『赤影』『河童の三平』などで共演した金子吉延のことを褒めちぎっており、牧の息子は金子に対して嫉妬していたという[20][注釈 1]。金子は牧について「仕事に対しては完璧で、凄くやさしい人だった」と述べている[21]。『赤影』『河童の三平』などをプロデュースした東映の平山亨は、牧を「名脇役であると同時に、番組のまとめ役として貴重な俳優だった」とコメントしている[22]。
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