秋山 和慶(あきやま かずよし、1941年1月2日 - )は、日本の指揮者。東京交響楽団桂冠指揮者、ヴァンクーヴァー交響楽団桂冠指揮者、広島交響楽団終身名誉指揮者。日本指揮者協会会長(第5代)。Osaka Shion Wind Orchestra芸術顧問。洗足学園音楽大学 芸術監督・特別教授。
人物・来歴
生い立ちから桐朋学園大学卒業まで
東京都で生まれる。青山学院初等部、青山学院中等部、桐朋女子高等学校音楽科[注 1]、桐朋学園大学音楽学部卒業[3][4]。
指揮法を齋藤秀雄、ピアノを井口秋子、ホルンを千葉馨、打楽器を岩城宏之に師事。「齋藤メソッド」(指揮法)の継承者であり、小澤征爾、山本直純らと共に齋藤秀雄の門下生。齋藤の下で厳しい指導を受ける。
指揮者デビューと海外での演奏活動
1964年に東京交響楽団を指揮してデビュー[3]。
大阪フィルハーモニー交響楽団指揮者、カナダのトロント交響楽団副指揮者を経て、1972年から1985年までヴァンクーヴァー交響楽団音楽監督(現桂冠指揮者)。1973年から1978年までアメリカ交響楽団音楽監督[6]、1985年から1993年までシラキュース交響楽団音楽監督(現名誉指揮者)を務める。
クリーヴランド管弦楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック、シカゴ交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団、ボストン交響楽団、ロサンジェルス・フィルハーモニック、サンフランシスコ交響楽団、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、ケルン放送交響楽団、ハンブルク北ドイツ放送交響楽団、スイス・ロマンド管弦楽団、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団など、アメリカ、カナダ、ヨーロッパなどのオーケストラに多数客演[3]。
日本での演奏活動
1963年から東京交響楽団専属指揮者、1968年から2004年まで同楽団音楽監督・常任指揮者として40年間にわたり東京交響楽団の指揮者を務め、2004年からは桂冠指揮者[8]。
1967年から大阪フィルハーモニー交響楽団指揮者、1986年から1994年まで同楽団首席指揮者。
1988年から1998年まで札幌交響楽団ミュージック・アドバイザー・首席指揮者[9]。
1998年から広島交響楽団首席指揮者・ミュージックアドバイザー、2004年から2017年まで同楽団音楽監督・常任指揮者(現終身名誉指揮者[3])。
2004年から2013年まで九州交響楽団ミュージックアドバイザー・首席指揮者(現桂冠指揮者)を務めた。NHK交響楽団での指揮も多い[10]。
2010年から中部フィルハーモニー交響楽団芸術監督・首席指揮者[11]、
2020年から日本センチュリー交響楽団ミュージックアドバイザー[12][13]、
2022年から岡山フィルハーモニック管弦楽団ミュージックアドバイザー[14]を務める。
吹奏楽にも造詣が深く、2003年からOsaka Shion Wind Orchestra芸術顧問を務めている[15]。
2014年指揮者生活50年を迎え、回想録「ところで、きょう指揮したのは?」 (共著/アルテスパブリッシング刊)を2015年に出版[3]。
2024年には、指揮者生活60周年記念公演(東京交響楽団第724回定期演奏会)を指揮する[16][17]。
斎藤メソッド
1984年には、恩師・斎藤秀雄を偲んで小澤征爾と共に「斎藤秀雄メモリアルコンサート」を開催。このコンサートがサイトウ・キネン・オーケストラの発足につながる[18]。
1969年に洗足学園大学(現:洗足学園音楽大学)音楽学部客員教授、1989年に同大学専任教授 兼 附属指揮研究所長に就任。2011年に洗足学園音楽大学特別教授 兼 芸術監督[19]に就任。斎藤メソッドの後進指導にもあたっており、指揮法やオーケストラについて解説したDVDにも出演している(ビクター・エンタテインメント)。
2012年6月より日本指揮者協会第5代会長[20]を務める。
受賞・栄典
エピソード
東京交響楽団との長年にわたる関係(楽団の経営破綻から再建・復活と挑戦)
- 東京交響楽団でデビューしたわずか1カ月半後に楽団の解散が発表され、団員たちと自主運営で活動を再開、毎日が練習、本番のきついスケジュールをこなした。
- 東響に出演機会を与えるためにスタートした音楽番組「題名のない音楽会」に数多く出演した。
- 東響が1980年に再建を果たした後、シェーンベルクの「グレの歌」、歌劇「モーゼとアロン」などの大作を指揮、ラッヘンマンの歌劇「マッチ売りの少女」などの日本初演を行い成功を収めた。
ヴァンクーヴァー交響楽団桂冠指揮者、広島交響楽団終身名誉指揮者として
- ヴァンクーヴァー交響楽団音楽監督就任後、その地がすっかり気に入り、ヴァンクーヴァーに本宅を構え暮らしている。
- 本人は、これまで関わった数多くのオケの中で、東京交響楽団、ヴァンクーヴァー交響楽団とともに広島交響楽団が、思い出が多く愛着が強い楽団だと語っている。
鉄道マニア
- 鉄道マニアとしても有名であり[29]、1990年、岐阜県の樽見鉄道に、蒸気機関車による「オーケストラ列車」を走らせ、沿線の公園で野外公演を実現したこともあるほどである。
- 鉄道模型の収集家でもあり、鉄板を切って自作するほどの腕前。ヴァンクーヴァーの自宅には、模型の他、鉄道グッズのコレクションを集めた一室がある[31]。
- 中学までは青山学院に在学。同期に作曲家の筒美京平がいた。小学生の頃、電車での通学時に、あまりに熱心に運転室を覗き込んでいたため、運転士が中に入れ実際に運転をさせてくれたという、古き良き時代ならではのエピソードもある。
外部リンク
脚注
注釈
出典
参考文献
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- 第1回
- 第2回
- 第3回
- 第4回
- 第5回
- 第6回
- 第7回
- 第8回
- 第9回
- 第10回
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- 第12回
- 第13回
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