1953年に処女作"Tu vas mourir!"(『死の匂い』)をフランスの大手ドゥノエル社(フランス語版)から刊行して作家となった。この処女作は、高い評価を得た。1956年に発表した『わらの女』(La femme de paille)は、それまで推理小説においてタブーとされていた完全犯罪の成立を描く衝撃的な結末が話題となった。この作品は当初、前作を刊行したドゥノエルを始めフランスのすべての出版社から拒絶されたが、スイスの出版社Jeheber社から刊行したところベストセラーとなった。1957年に英語訳され、続いて『リーダーズ・ダイジェスト』誌の紹介で26カ国語に訳され、世界的ベストセラーとなる。続いてアメリカでテレビドラマ化もされた。
その後1960年代には"Le talion"(『目には目を』)、"La baie des trépassés"(『死者の入江』)などを発表。フランス本国よりもイギリスや日本において人気作家となった。
フランス本国においては1960年代の間は国外ほどの人気は得られなかった。しかし1970年代になって、それまでユーゴ・ソレンツァ"Regain de désir"(『ぼくのヴィヴィエ夫人』)など官能小説のペーパーバックで知られていたパリのユレディフ社(フランス語版)が推理小説に参入。その際に同社がアルレーの作品を立て続けにペーパーバックで刊行したことでベストセラーとなる。ユレディフ社時代がアルレーの全盛期であり、"A tête reposée"(『三つの顔』)のフランス・サスペンス小説大賞受賞、"Duel au premier sang (Blondy)"(『決闘は血を見てやめる』)の映画化など話題性にも恵まれ、マドレーヌ・クードレー(フランス語版)とともにユレディフ社の看板推理作家として活躍した。
しかし1979年の"L'amour à la carte"(『理想的な容疑者』)を最後にユレディフ社が推理小説から撤退し、児童書の専門出版社となることを決定したためアルレーとの契約を解除。アルレーはシャンゼリゼ書店(フランス語版)(現・マスク書店)のマスク叢書(フランス語版)に移籍することとなる。ユレディフ社で最後に刊行した『理想的な容疑者』は1981年にマスク叢書で復刊した改訂版(その際に" A cloche-cæur"と改題)でフランス犯罪小説大賞を受賞するが、それ以降のアルレーはユレディフ時代のようなヒット作には恵まれなくなった。
1988年の"La gamberge"(『疑惑の果て』)を最後にシャンゼリゼ書店との契約を解除。最後の長編"Entre chien et loup"(『狼の時刻』)はフランスでの出版社が見つからないまま1990年に完成。フランス本国よりも先に東京創元社から日本語版が刊行される。後にフランスでは題名を"En 5 sets"と変えてフルーヴ・ノワール社(フランス語版)(現・フルーヴ社)から刊行され、フランスではテレビドラマ化もされたが、本作を最後にアルレーは作家を引退することとなった。